ヨガの落とし穴:ヨガへの執着がないか見つめ直す

ヨガの落とし穴:ヨガへの執着がないか見つめ直す

ヨガの練習はとても効果を感じやすく、身体的にも、精神的にも自分自身が成長していることを実感することができます。そのため、最初は変化を楽しみながら練習を行えますが、あるポイントに来ると、かえって自身の心が窮屈に感じてしまうことがあります。

それは、「ヨガへの執着」によってもたらされた心の迷いかもしれません。

『ヨガスートラ』では、ヨガへの執着さえ解放できれば、心がより幸せに満たされることを説明しています。

「できるようになった!」が執着になる

「できるようになった!」が執着になる
「できるようになった!」が執着になる

ヨガを始めて少しすると沢山のことが「できた!」と感じるようになります。

  • 以前はできなかったアーサナができるようになった
  • 養成講座を受講してインストラクターの資格を得ることができた
  • ヨガの哲学を学んで、アーサナにとどまらないヨガの深さを知った
  • 瞑想状態を体験した

これらは本当に大きな喜びであり、一度味わうとどんどんヨガの虜になっていくことでしょう。ではなぜ、こうしたポジティブであったはずの感情が、ネガティブな感情へと変わってしまう局面が訪れるのでしょうか?考えられる3つの理由を見ていきましょう。

周りの人との比較をするようになる

努力によって与えられた良いことも、“ヨガの結果”にばかり意識が集中すると、ネガティブな心を生んでしまう原因となります。特に注意したいのは他者との比較です。

女性のアイコン3
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私は難しいアーサナをできるようになった

アーサナができるようになったことそのものが、素晴らしいと錯覚してしまう心は、のちに苦しみへと傾きやすくなります。なぜなら、価値があるのは“形”ではなく、そこまでの自身の努力、指導をしてくださる先生への感謝の想い、アーサナの中で感じた感覚の美しさであるはずだからです。

表面的な美しさや、ポーズの難易度に意識が向くと、他者との比較をしがちです。

女性のアイコン2
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私は一緒に練習している○○さんよりも沢山練習して成果が出た
女性のアイコン1
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先生と同じようなポーズができた

アーサナのクラスだとポーズの完成度で評価をしてしまいたくなります。

自分と他者を比べて得られる優越感は、人間関係の衝突の原因にもなります。たとえ言葉に出さなくても、常に気を張った人間関係は窮屈になってしまうかもしれません。

「自分は知っている」という罠

ヨガを学んでいると、たびたび「私は他者よりも知っている」という錯覚をしてしまうことがあります。ヨガでは、心の扱い方に関しても深く学びますが、その知識にさえ執着してはいけません。

愚か者はヴェーダ聖典の言葉に歓喜してそれ以外は何もないと説き、美しい言葉を語る。(『バガヴァット・ギーター』2章42節)

ヨガの教えは生き方を変える影響力の強い教えです。正しく学べば喜びを生んでくれますが、間違った受け取り方で執着してしまうと危険になってしまうこともあります。

だからこそ、学んだ知識は自分の人生で経験するまでひたむきに実践しなくてはいけません。「分かったつもり」が一番危険な場合があります。

サマディへの執着はエゴを生む場合も…

ヨガは、アーサナひとつとっても、生き方を変えられる強力な道具です。ヨガの醍醐味である瞑想はなおさら。深く瞑想を続ければ、サマディ(三昧)と呼ばれる状態を体験することがあります。サマディは神秘的なものではなく、ひたむきに鍛錬を続ければ到達できる精神状態です。

ヨガスートラの瞑想:特徴と実践方法—サマディ(三昧)への道—

サマディはヨガのゴールだと考えられがちですが、ヨガスートラではサマディも最高の解脱へのプロセスとしています。

たとえ高位の神霊からの誘いを受けても、愛着と誇りを抱かないことが大切である。さもないと、再び不幸なことが起こる。(ヨガスートラ3章51節)

サマディによって得られる至高の感覚や、超人的な能力は、とても大きな依存を生みやすいものです。瞑想によって、いったん薄まったエゴや執着も、サマディの強烈な体験で活発に増幅してしまうことがあります。

“サマディが目的ではない”ということを理解していないと、一度体験したサマディへの執着が強くなり、本当の目的を見失ってしまいます。ヨガの目的は、あらゆる執着を手放し、神聖な自分自身の輝きに出会うことであると心に刻んでおきましょう。

「幸せでなくてはいけない」が、プレッシャーになる

「ヨガの教えは素晴らしい」と信じているあまり、「ヨガを実践している私は幸せであるべきだ」と、自身に言い聞かせてしまうことはないでしょうか。特にサントーシャ(知足)を学び始めたばかりの時には、「満足するべきだ」と自分に言い聞かせてしまうかもしれません。

しかし、ヨガは自発的な快適さであり、実践者が自らコントロールして作り出すものではないのです。本心では「大変だな…」と感じる現実がある場合、それを認めて受け入れるところから本当の快適さが始まります。必ず成功しなくてはいけないというプレッシャーは手放しましょう。

自身のダルマ(義務)を忠実に行い、成功と失敗を平等に見た心の状態をヨガと呼ぶ(『バガヴァット・ギーター』2章48節)

私たちが考える成功と失敗の概念は、ヨガの智慧の前では意味を持ちません。

物質的な状態だけでなく、精神状態でも同様に解釈できます。今、心が満たされていないのであれば、心の不安定ささえ受け入れるべきです。ヨガで一度高揚感や幸福感を味わうと、「幸せを感じていることがヨガの成功」だと思い、その精神状態にさえ依存します。しかし、それさえも執着だといえます。

今の自分を認めてあげることはとても大切です。

大切なのは内側の幸せ度

大切なのは内側の幸せ度
大切なのは内側の幸せ度

ヨガではグル(師)の存在が最も大切とされます。師の大切な役割のひとつは、生徒が間違った方角に向かわないために道を修正してくれることです。アーサナの美しさやサマディの超能力はヨガで得られるものですが、永続的に続く喜びではありません。

このような優れた霊能に対してさえも喜びの心を抱かなった時に、全ての悪の元が断たれてプルシャが独立した状態になる。(『ヨガスートラ』3章50節)

途切れることのない平穏さ、幸福な状態は、結果への愛着がなくなった時に訪れます。穏やかな幸福感は外的な要因では手に入らず、心の内側にすでに存在するものです。“ヨガの結果への執着”は、瞬間的な快楽しか生みません。内側から現れる幸せは常に続いているものです。

成功への執着を日常から見直す

ヨガで学んだことは必ず日常生活にも活かせます。「ヨガへの執着」を手放すことができると、人生のあらゆるものへ過剰な依存をしなくなっている自分に気が付くこともできます。

執着を弱めるには、心を客観視することが最も有効です。

努力が叶って成功を手にした時さえ、その喜んでいる心を客観視する冷静さが必要です。同様に、悩みがある時も、安定しない心の働きを客観視できれば、心が軽くなります。

快楽と苦痛の両方を同様に観察することができると、どのような場面にあっても穏やかさを保てるようになります。

盲目にならない意識づけが、自身の心をさらに磨くコツ

盲目にならない意識づけが、自身の心をさらに磨くコツ
盲目にならない意識づけが、自身の心をさらに磨くコツ

ヨガは私たちの人生を大きく変えてくれる素晴らしいメソッドです。効果が大きい分、妙薬であると同時に、使い方を間違えれば毒ともなり得ます。

特にヨガの練習を一定以上の期間練習し続けて、自信が付いてきた頃に改めて自分自身を見直す時間を設けましょう。

  • 努力の結果、手に入れたものに慢心し過ぎていないか?
  • 得たものを手放すことを恐れていないか?
  • ヨガマットを離れた日常も豊かであるか?

ヨガの時間と、それ以外の時間、どちらも幸せに満ちたものであるためには、ヨガを実践しながらもヨガに執着しない、冷静な心が必要です。心の冷静さは、人生のどのような場面でも穏やかにいられる芯の強さとなります。

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