パイプをくわえ帽子をかぶる男性とシャーロックホームズ~名探偵はヨギー!?~のタイトル

シャーロック・ホームズ ~名探偵はヨギー!?~

皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。

今回は、名探偵といえばこの人!「シャーロック・ホームズ」を取り上げたいと思います。

コナン・ドイルが世に送り出した名探偵シャーロック・ホームズを知らない人は世界中にほとんどいないでしょう。

シャーロック・ホームズといえば名探偵の代名詞。探偵といえば、ハンチング帽をかぶり、虫眼鏡を持って、足跡をたどるというイメージがありますが、あれはまさしく、シャーロック・ホームズからきたものです。

ホームズが住んでいたとされるイギリスのベイカー街には、今でもホームズを愛する熱烈なファンが世界中から押しかけ、その人気は少しも衰えていません。

そんな時代を超えた超人気の名探偵シャーロック・ホームズと、ヨガにいったいどんなつながりがあるのでしょう。

皆さんと共に考えていきたいと思います。

シャーロック・ホームズのモデル

虫眼鏡とパイプを持つ帽子をかぶった男性
作者のコナン・ドイルは、1859年生まれ。イギリスの医師でした。

開業医をしていたドイルは、患者を待つ片手間に、ホームズ作品を執筆し始めたと言われています。

シャーロック・ホームズのモデルとなったのは、医学部時代の恩師で外科医のジョセフ・ベル。

ベル医師は、診察室に入って来た患者の外見から、病名、職業、住所、家族構成までも言い当てて、学生達をものすごく驚かせたという逸話の持ち主で、ドイルは、そのことを思い出して、ベル医師をホームズのモデルにしました。

ホームズの外見は、ベル医師の外見と、そっくりそのまんま同じだったようですよ。

さらに、ベル医師は警察の捜査にも関与していて、その鋭い観察眼で、捜査の助言をしていたそうですから、相当な推理力の持ち主だったとわかりますね。

1887年にホームズシリーズの最初の長編小説『緋色の研究』を発表し、1890年には『四つの署名』を出版。

その後、1891年から『ストランド・マガジン』で読み切りのホームズ短編小説の連載を始め、これが爆発的な大ヒットとなりました。

ホームズ作品が時代を超えて愛される理由

木の机に置かれた虫眼鏡・パイプ・帽子と鍵
ホームズ作品は、なぜこんなにも、時代や国境を越えて愛されるのでしょう。

ホームズは19世紀のイギリスの人ですから、その捜査方法はとても古く、拡大鏡を使ったり、足跡追跡を行ったりしています。

DNA鑑定が当たり前の現代の人が読んだら、いかにも古臭い話といって終わりそうな感じもします。

それなのに、現代の人も夢中でホームズ作品を読むその理由は、ホームズの作品が人間の心理を事細かに描いているからではないでしょうか。

ホームズの元には奇怪な事件や、背筋の凍るような恐ろしい怪事件が次々に舞い込みます。

でも、どんなに奇怪で恐ろしい事件もホームズが解いてみれば、そこにいるのは吸血鬼などの恐ろしい怪物ではなくて、どこにでもいるごく当たり前の人間なのです。

ある宗教団体に恋人を殺された恨みを晴らすために殺人を犯してしまった青年とか。

背骨に障がいがあることを悩みぬいていた少年が、父の再婚相手が生んだ元気な赤ん坊が憎らしくて、思わず赤ん坊を殺そうとしてしまったとか。

若い頃の悪事を知っている悪友に脅迫され続けていた男が、大事な愛娘が傷つけられようとした時に、思わずその悪友を殺してしまったとか。

恐ろしい事件の裏にいるのは、様々な事情を抱えた人間なのです。

ある事件を解決した後、ホームズは相棒のワトソンにこんなことを言っています。

「ああ驚いた。運命はなぜこうも弱い人間に悪戯するのだろう? 僕はこんな哀れな話を聞くと、いつでもバクスターの言葉を思い出していわざるをえないよ。神のめぐみのなかりせば、汝もかくなるべし、シャーロック・ホームズよとね」
(『シャーロック・ホームズの冒険』「ボスコム谷の惨劇」)

1歩間違えたら、自分だって犯行を犯すかもしれないとホームズは言っているのです。

数々の難事件を解いてきたホームズは、犯行の裏にあるのは、人間の怒りや嫉妬心、恐怖などだということを知り尽くしているのです。

そうした人間の闇というものは普遍的なものです。時代を超えて、国境を越えて、人間の中にあり続ける問題といえます。

そうした人間の普遍的な問題をリアルに描きこんでいるからこそ、ホームズ作品は、時代や国境を越えて愛され続けているのでしょう。

名探偵はヨギー!?

開いた本のページをめくる様子
ホームズ作品を読めば、奇怪な犯罪の裏にあるのは、人間の怒りや嫉妬心、恐怖や欲望だということが明らかになってきます。

ヨガでは、心が激しい怒りや欲望、激情でいっぱいの状態をラジャス、心が暗い苦悩でいっぱいの状態をタマスといいますが、ラジャスやタマスの状態になった時に、人は犯行を犯してしまうということができるでしょう。

ホームズは、人の心がどんな時にラジャスやタマスの状態になってしまうかということについて、誰よりもよく研究し、知り尽くしています。

だからこそ、ラジャスやタマスに心が支配されないよう、心をコントロールする方法も熟知しているのです。

実際、ラジャスやタマスで心が荒れ狂っていては、名探偵は務まりません。

ホームズは、常日頃から、自分の心を冷静沈着に保つために、全神経を使ってコントロールしています。

心を乱さないために恋だってしないくらいなのです。そのことは「ボヘミアの醜聞」の冒頭で、語り手のワトソンが書いています。

「あらゆる情緒、ことに愛情のごときは、冷静で的確、驚くばかり均斉のとれた彼の心性と、およそ相容れぬものなのだ。(略)訓練のゆき届いた推理家にとって、細心に整頓されたデリケートな心境のなかに、そうした乱入者(あらゆる情緒、愛情)を許すのは、まぎれをおこさせるものであり、その精神的成果のうえに、一抹の疑念を投ずることにもなるのである。鋭敏な機械のなかにはいった砂1粒、彼のもつ強力な拡大鏡に生じた1個の亀裂といえども、彼のもつような天性のなかに、激烈な感情の忍びいった場合ほどには、面倒な妨害になることはあるまい」
(『シャーロック・ホームズの冒険』「ボヘミアの醜聞」)

心の波がちょっとでも荒れていたら、ホームズ自慢の鋭い観察眼も鈍ってしまい、推理の邪魔になってしまうのです。

常に目の前の人物や状況を、冷静かつ沈着、公正に観察するためには、心は少しも波立たず、静まり返っていなければならないのです。

そのために、ホームズは細心の注意を払って、心を訓練しているのです。

『ヨガ・スートラ』の冒頭には、心の荒波をコントロールすることがヨガであると書かれていますから、細心の注意を払って心を訓練しているホームズは、まさしく、ヨギーであると言えるでしょう。

ヨギーにならなくては、名探偵は務まらないのです。

ホームズはヨギーだったと知って、ホームズ作品を読み返してみると、興味深い事実にぶつかります。

捜査の合間に、ホームズは瞑想をしているのです。

銀行強盗との対決の前にヴァイオリン演奏を聞きにいって音楽に没頭したり、詩集に読み耽ったり。

相棒のワトソンがソワソワしてつい事件のことばかり考えて神経をクタクタにさせている間にも、ホームズは科学実験に没頭していたりするのです。

心と頭が十分に冴えていないと難事件は解けないということをホームズはよく知っていて、難しい局面にさしかかればさしかかるほど、まずは音楽や、詩集、科学実験などに没頭して、瞑想しているのです。面白いですね。

名探偵は縛られない

田園と空が広がる様子
ホームズは、どこまでも縛られていません。

ホームズは、事件現場に行くために、美しい田園風景の中を列車で走っている際、相棒のワトソンに次のように言っています。

「美しく平和そうな田園というやつは、ロンドンのどんな卑しい裏町にもまして、恐るべき悪の秘密をひめているものだよ」
(『シャーロック・ホームズの冒険』「掬屋敷」)

美しい景色の広がる田園には平和な暮らしばかりが行われているんだろうという固定観念に縛られていないわけですね。

だからこそ、平和な田園地方の屋敷で起こる恐ろしい事件をかぎつけて、解決に導くこともできるのです。

ホームズは常々以下のように言っています。

「世の中に月並みなものほど、不自然なものはありゃしないんだよ」
(『シャーロック・ホームズの冒険』「花婿失踪事件」)

こうに決まっていると固定観念に縛られず、目の前で起こっている出来事そのものを見つめるからこそ、ホームズは警察が見逃す事件も解くことができるのですね。

ホームズは名声を得るといったことに対しても無頓着です。警察は昇進や手柄を立てることに夢中ですが、ホームズはそんなことには全く感心はありません。

どんなに身分の高い人の依頼でもつまらなそうだと思ったらあっさり断ってしまいますし、逆にどんなに小さな事件や、身分の低い人の依頼でも、面白そうだと思ったら、寝食忘れ、身を粉にして事件の解決にあたります。

そうした点でも、ホームズが身分というものに縛られず、自由であることがわかりますね。

そしてまた、警察と違って法律にも縛られておらず、時には犯人を見逃したりもしています。
宝石強盗犯を逃がした時には、次のようにワトソンに言っています。

「何も警察の欠陥を補うのを僕は頼まれているわけじゃないからね。(略)僕としては重罪犯人を勝手に減刑してやったことにはなるが、その代りこれで1つの魂が救われると思う。あの男は二度と悪いことはするまい。すっかり懲りて、震えあがっている。もしここで刑務所に送ってやれば、あいつは常習犯に転落してしまうだろう」
(『シャーロック・ホームズの冒険』「青いガーネット」)

数々の縛りに捕われず自由であるという点を考えても、ホームズはやはり、ヨギーだといえるでしょう。

推理小説は答えがわかってしまったら、それでおしまいという作品が多い気がしますが、シャーロック・ホームズは犯人がわかっていても、繰り返し読んで面白い稀有な推理小説だと思います。

読書の秋に、シャーロック・ホームズを久しぶりに開いてみてはいかがでしょう。

ホームズのヨギーぶりをぜひ楽しんでみて下さい。

コナン・ドイル著 『シャーロック・ホームズの冒険』 訳 延原謙 新潮社(平成元年)