両手を広げて光を受け止める様子

神様はいるのか?古典ヨガの流派ごとのユニークな神様

ヨガを勉強していると、沢山のインドの神様の名前を聞く機会があります。そこで、「ヨガって宗教なの?」と疑問を抱く人も少なくありません。

結論から言うと、ヨガを実践するためには、神様を信じても信じなくてもどちらでも問題ありません。

しかし、古代インドで生まれたヨガはインドの文化や宗教とも密接にかかわっているので、神様を信仰するヨガの流派もあります。

今回は、教典や流派ごとのユニークな神様感についてご紹介します。

バガヴァッド・ギーター:実在の人物が神様になったクリシュナ神

クリシュナ神のイメージイラスト
ヨガの経典として知られる『バガヴァッド・ギーター』ではクリシュナという神様が出てきます。

クリシュナ神は人格神という変わった神様です。

人格神とは、地球上の人間が困っている時に、神様が人々を救うために人間の胎児として生まれ、直接的に世界を救う影響を与えてくれる存在です。

現代インドで最も愛されている神様の1人であるクリシュナは、古代インドに実在した人物だと言われています。世界を救った英雄が後に神様として崇拝されることは珍しくありません。

仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタも、ヒンドゥー教の神様ヴィシュヌ神のアバターラ(化身)の1人だと考えられています。

特にヴィシュヌ神は様々な姿で世界に降臨することで知られていて、中でも10のアバターラは有名です。

ギーターの教えを説いたクリシュナって、どんな神様?

神様を親愛するけれど、自分の人生を救うのは自分自身

バガヴァッド・ギーターは日本ではヨガの教典として有名ですが、インドではヒンドゥー教という宗教の教典として知られています。

ギーターの中では熱烈なバクティ・ヨガ(神への信愛)について書かれているため、初めて読んだ人の多くは「これは宗教じゃん!」と思ってしまうことでしょう。

バガヴァッド・ギーターは、様々な立場の人が読む教典なので、ヨガの教科書として読む場合には、ヨガ的な解釈を学ぶ必要があるかもしれません。

バガヴァッド・ギーターをじっくり読むと、人間が苦しみから解放されるためには、結局、自分自身で道を切り開くしかないと分かります。

行為者であることも、行為も、行為の結果も神は生み出さない。物質的な本性によってなされる。(バガヴァッド・ギーター5章14節)

ヨガの神様とは、子宝を授けてくれたり、雨を降らして豊作を導いてくれたり、病気を治してくれる神様ではありません。世界の真実を人々に教えて、自分で自分を救う道を教えてくれる先生です。

ギーターの教え〜神は結果を与えない。責任を負うのは自分〜

真実を知ると神と一体になる

バガヴァッド・ギーターはヴェーダンタ哲学の教えが要約された教典です。

ヴェーダンタ哲学は一元論という理論を信じています。

一元論とは「宇宙の全てはブラフマン(宇宙の根本意識)から生まれた。全てはブラフマンである。」という教えです。

世界にあるあらゆるものは平等にブラフマンの一部であり、人間にも動物にも何の違いもないと考えます。それは、土から花瓶や平皿、コップなど別々のものが生まれて、いつかまた土にかえっていくようなものです。

表面世界を見ているとコップであっても、その本質は土です。人間も、表面的な肌の色や宗教、着ている服で相手を評価しますが、本質を見ればみんな美しい純粋意識だとヨガを通して知ることができます。つまり、私たちも神そのものであるというのが一元論です。

梵我一如を分かりやすく解説 ~ヨガの教えで愛を深める~

ヨガ・スートラ:神様は自分の内側の本質(イシュワラ)

女性の横顔と宇宙のクロスイメージ
ヨガ派の教典である『ヨガ・スートラ』では、イシュワラ(自在神)という神が出てきます。

このイシュワラは、全てを作り出す創造主のようなものではありません。

イシュワラは苦しみ、カルマ(行為)、カルマの結果、カルマへの依存に一度も触れていない特別に純粋なプルシャである。(ヨガ・スートラ1章24節)

イシュワラ(神)とは、特別なプルシャである。これがヨガ派における神の定義です。

プルシャとは、私たち人間1人1人の中に存在する純粋な意識体・霊魂のようなものです。ヨガ・スートラの信じる二元論では、生命の数だけプルシャが存在すると考えます。

無限に存在するプルシャの中で物質的に人間の身体と結びついたものは、思考の働きによって覆い隠されてプルシャ本体の姿を見失ってしまいます。ヨガとは、目に見える物質的な自分に惑わされずに本質のプルシャを知るための方法です。

つまり、神とは自分自身そのものです。すでに内側に存在している真実を探すのがヨガです。

ミーマンサー哲学:神はいるかもしれないし、いないかもしれないが、ダルマが大切

マントラとエネルギーのイメージ
ヒンドゥー教では様々な儀礼(ヤジュル)を行い、神や自然の力を使います。インド6派哲学の中で、この儀礼を司っているのが『ミーマンサー哲学』です。

ミーマンサー哲学では、バラモン教の儀式で重要な言葉(マントラ)の大切さについて解き明かします。また、ダルマ(行うべきこと)や、カルマ(行為)とカルマの結果の関係がとても重要視されます。

物質世界で起こることの全てには原因と結果があります。その原因となるのがカルマです。つまり、私たちの人生で得られるすべてのものはカルマによるものなので、正しい行為(ダルマ)こそが最も重要だと考えます。

そして、世界を正しく導く行為とは言葉の力=マントラ(真言)です。ミーマンサー哲学では、マントラを使った儀式を重要視します。

神とは儀礼によって導くべきエネルギー

ミーマンサー哲学にも複数の宗派がありますが、開祖のジャイミニは神を認めなかったと考えられます。

ジャイミニによると、儀式に重要なヴェーダ教典には様々な神の名前が出てきますが、それはマントラによって動かすべきパワーでしかないと考えます。

例えばシヴァ神と同一視されるルドラは暴風神です。嵐は川を氾濫させ、建物を壊し、大きな被害を招きますが、雨が降った後には必ず植物が育って豊穣が得られます。バラモンと呼ばれる司祭は、マントラ(音)の力で雨を降らせます。そして、マントラを唱える儀式こそダルマ(行うべき行為)だと説きます。

ミーマンサー哲学では、神の存在を信じても信じなくても、どちらでも良いと考えます。なぜならば、物質世界で大切なことはカルマ(行為)とその結果だからです。

実は神様が大好きな宗教大国インドには、神様の存在を認めない宗派も沢山あります。

ミーマンサー哲学の儀式への理論は、現代のヒンドゥー教にとって大切なものです。神様大好きなヒンドゥー教の儀式が、神様に否定的なミーマンサー哲学を参考にしていることは不思議ですね。

それくらい多様性が認められるインドで生まれたのがヨガです。ヨガを志す人の中でも、神様を信仰する人と信仰しない人の両方が混在しているのは自然なことなのかもしれません。

ヨガの教えは誰にでも開けている

今回は、バガヴァッド・ギーター、ヨガ・スートラ、ミーマンサー哲学のそれぞれの神様への概念をご紹介しました。

宗教大国であるインドでは古代から「神様とはなに?」という議論が頻繁に議論されてきました。何となく神様や宗教は盲目に信じないといけないとイメージする人も多いと思いますが、今回紹介した神様の定義は、宗教のイメージと全く違うものだったのではないでしょうか。

ヴェーダンタ哲学では宇宙全体そのものがブラフマンという神的な存在であり、ヨガでは個人の内側の霊魂こそイシュワラ(自在神)、ミーマンサー哲学では自然界の力を神の名前で呼んでも良いと、3者3様です。

共通していることは、結局自身のカルマ(行為)やヨガの実践でしか人生は変えられないと教えることです。

生まれた土地や家族によって信仰している宗教は違うでしょうし、無宗教という信念を持っている人もいます。しかし、ヨガは誰にとっても自由であり、盲目な信仰を強制するものではないと考えましょう。

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