ヨガ的な優しさを学び、摩擦のない穏やかな日常を過ごそう

「慈・悲・喜・捨」ヨガ的な優しさを学び、摩擦のない穏やかな日常を過ごそう

ヨガをしているときには自分と向き合うことで穏やかさを感じられていても、ヨガクラスから一歩外に出た瞬間、意識が外に向き、周囲の出来事や、他社の言動に心が乱され穏やかさを保てないと悩む方がとても多いです。

今回は、人間関係の悩みについて『ヨガ・スートラ』ではどのように説明しているのかを見ていきたいと思います。

ヨガ・スートラで説かれる慈・悲・喜・捨

『ヨガ・スートラ』の中では、他者に対して慈・悲・喜・捨の感情を育てることによって心の穏やかさを得ることができると説かれています。

他人の幸せ、不幸、善行、悪行に対して抱く、友情、同情、喜び、無関心の感情は心の寂静を生む。(『ヨガ・スートラ』1章33節)

この慈・悲・喜・捨については仏教でも同じように説かれているので、仏教がヨガに影響を与えたのかもしれません。これらは他者と接した時に生まれる感情です。

他者の幸せ⇒友情(慈)
他者の不幸⇒同情(悲)
他者の善行⇒喜び(喜)
他者の悪行⇒無関心(捨)

しかし、相手に対して良くない印象を抱いていたり自分の心の中に悩みがある時には、このような感情を抱けずにネガティブな思考が沸き上がってきてしまいます。
心の働きは外からの情報や刺激によってたやすく動揺させられます。

どれだけヨガを行っていても、日常生活で外から入ってくる情報を完全にブロックすることは不可能なので、必ず感情は生まれてきます。

しかし、その感情のあり方を見直して、自分の感情の癖を知り、どのように考えるべきなのかを学ぶことによって、同じような状況にあっても心の穏やかさを保つことができるようになります。

それぞれの感情に関して詳しく見ていきましょう。

慈:相手の幸せを一緒に喜べる友情

友達や家族に幸福が訪れた時、まるで自分のことのように一緒に幸せを感じることができる感情を慈と呼びます。しかし、次のように様々な原因で一緒に喜べない場合があります。

敵対する人の幸福を喜べるか

本来、人間関係において敵や味方はないはずなのですが、実際に生活をしていると人は自分にとって好ましい相手か好ましくない相手かをジャッジしています。

本来、協力し合うべき関係である職場の同僚とも、忙しい職場環境の中で、お互いに疲労がたまるとギスギスしてしまうことがあります。もし同僚が、時間のかかる雑務をいつも押し付けてくるようならば、ついつい相手のことを「敵」と思ってしまうことが誰にでもあるでしょう。

そのような相手が仕事でいい成績を残して上司から褒められていたら、あなたは素直に喜べますか?「私は地味で時間のかかる雑務を押し付けられたから、時間がなくて目標を達成できなかった。」と、ネガティブに考えてしまうかもしれません。

ヨガ的な考え方を…と思っていても、なかなか一緒に喜ぶことは難しいですね。

悩みがあると素直に喜べない

自分にとって親しい人に嬉しいことがあったとしても、自分の心の状態が不安定だと一緒に喜べないことが多々あります。

例えば、親友からの懐妊の報告。大好きな友達なので本当は一緒に喜んであげたい。しかし、実は自分も1年前から辛い不妊治療を行っていて、まだ妊娠できないことが本当に苦しい。だから、今このタイミングでの妊娠の報告は一緒に喜べない、といったことがあります。

人は常に「私」に最も意識を向けて生活しているので、自分自身の状態が良くないと、他者の幸福を一緒に喜ぶのは難しいです。

近い関係だと生まれやすい嫉妬や妬み

自分に近い存在であるほど、人の心は競争心を生みやすいです。最も分かりやすい関係性は兄弟姉妹です。兄弟関係は、幼少期から常に誰が一番両親に愛されているのかを競争しあっています。これは、自然界の中では生き残るために必要な思考です。

しかし多くの人は、大人になって独立した後も幼少期の感情を抱き続けてしまい、家族関係の溝(みぞ)になってしまいます。

子どもの時に、「お姉ちゃんなのだから、妹に譲ってあげなさい。」と言われたことをきっかけに、妹が両親から何かを与えられるたびに嫉妬してしまいます。

この感情がそのまま残り「子どもの時に、長女の私はいつも我慢ばかりしていて、今でも心のトラウマになっている。」と考えている人は、大人になっても非常に多いです。だけど、実は妹も同じように「お母さんは、いつもお姉ちゃんのことばかり。」と思っていたりして、お互い様だったりしますよね。

慈の感情は自分の幸福から生まれる

このように、私たちは他者の幸福を一緒に喜べない場面が多々あります。これら全ての原因は、自分自身が幸福であると感じられていないからです。

それでは、どうしたら幸福を感じられるようになるのか?「妊娠できたら幸せ」「残業がなくなったら自分の時間ができて幸せ」と、条件付きの幸せは、なかなか叶えることができません。

ヨガの教えである知足(サントーシャ)では、今の自分に与えられたものに満足することを学びます。サントーシャも最初は難しく感じるかもしれませんが、ヨガの練習で今この瞬間を感じる練習を繰り返し行うことによって、少しづつ自分の人生を楽しめるようになります。

慈の感情は自分の幸福から生まれる
自分自身が幸福を感じること

悲:人の悲しみに対する同情

他者が苦しんでいる時に、まるで自分のことのように悲しくなる感情が悲(同情)です。

しかし、自分に対して敵対している相手が苦に直面した時に人は喜びを感じがちです。

他者の苦悩が自分の利益になる場合

例えばスポーツの大切な試合で、あと1試合勝てば念願の全国大会に行けるけれど、一度も勝てたことのない強豪が対戦相手であったら。その状況で試合直前に相手のチームのエースが負傷したと聞いたら、自分たちの勝利できる可能性が高くなって、つい喜こんでしまいますね。

苦手な相手の苦悩に喜びを感じる

単純に苦手な相手の不幸を喜んでしまう場合もあります。例えば、いつも上司が自分の仕事を部下である私に押し付けていたら。その上司の仕事のミスが発覚した時、「いつも部下に押し付けるバチが当たった!」と思ってしまうかもしれません。

これらの、人の苦悩を喜ぶ感情は、とても不純性の心の働きです。自分の心がフラットな状態であれば、たとえ自分に不利益となる相手であっても、苦しんでいる人に対して悲しみの共感をして手を差し伸べたいと思えるようになります。

喜:他者の美徳を喜ぶ

他者が良い行いを行った時に喜ぶ心です。これも、自分自身に自信がないと一緒に喜ぶことができません。

例えば、災害に多額の募金をした著名人のニュースを見たときに、「売名行為だ」「本当に善意ならわざわざ公言しない方が良い」とネガティブな発言をする人がいます。
これは、自分自身に自信がないからこそ、他者の素晴らし行動を認めることができない状態です。

このような思考のクセがついてしまうと、自分自身の行いに対しても卑屈になってしまいます。良い行いに対して素直に良いと感じることができれば、自分自身も気持ちよく良い行いを志すことができます。

捨:他者の悪行に対しての無関心

私たちが生活する社会は、人々がお互いに正しい行動を行っているのかを評価しあうことで秩序を保てるようになっています。しかし、他者の行いに対して過剰に批判することは、私たちの心の自由を極度に奪ってしまいます。

特に自分に影響のない相手の行為、例えば、ニュースで芸能人のゴシップを見た時などに批判をすることは、自分自身にとってマイナスの影響しかありません。

身近な人の悪行に対して

しかし、自分自身の身近な人が間違った行動をしていたら。単純に無関心を貫くことはできませんね。

例えば、自分の子どもが友達のおもちゃを盗んでしまったら、母親としての義務(ダルマ)で当然叱らないといけません。この時の「捨」というのは、感情的になりすぎないことを意味します。

もし感情的になっていると人格を否定するような発言をしがちですが、それは避けましょう。その子の行った行為そのものに対して間違っていることを指摘するべきです。

慈・悲・喜・捨は平等な思考から生まれる

慈・悲・喜・捨は平等な思考から生まれる
慈・悲・喜・捨は平等な思考から生まれる

人間関係はとても強い感情を生むものなので、分かっていてもなかなかできない…という方が大半だと思います。しかし、これらは平等な思考を手に入れることで叶います。

ヨーガは平等の境地である。(『バガヴァッド・ギーター』2章47節より)

クリシュナ神の説く平等とは、自分と他人の境がなく、高尚な聖者であっても、牛や犬であっても、平等のものとしてとらえられる境地です。相手の思考の傾向や見た目、ステータスなどは全て無常のものであり、本質だけを見た時には誰もが同じであるからです。

ヨガを実践して物事を深く見るようになると、自分を客観的にみることもできるようになるし、他者の立場でも考えられるようになります。相手の立場になると、自分とは考えが違ったとしても、相手にはその人なりの立場があることが分かります。

自分の感情は、無理やりコントロールしようとしてもうまくいきません。しかし、まずは今の自分の感情や思考の傾向を知るところから始めましょう。まずは自分を知ることから初めると、徐々に人間関係の悩みも冷静に解決できるようになってきます。

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