心をコントロールするのではなく親しくなること、それがプラティヤハーラ

心をコントロールするのではなく親しくなること、それがプラティヤハーラ

次々に現れる思考に邪魔をされたという経験は、瞑想をする人ならば誰にでもあると思います。瞑想中でなくても、仕事に集中しなくてはいけない時に限って別のことを考えてしまったり、怒っている場合ではないのにイライラが治まらなかったり……。自分の心がいうことを聞かなくなってしまうと嫌になってしまいますね。

ヨガは心の使い方を身につけるものですが、どうしたら静かな心を維持できるようになるのか。今回は、「プラティヤハーラ」を学び、その答えを探っていきましょう。

内側に、意識を向けることの本質を説く

『ヨガ・スートラ』の八支則の実践では、プラティヤハーラ(制感)に成功することが深い瞑想状態に入る入り口と説いています。

プラティヤハーラとは、まるでカメが甲羅の中に頭や四肢を隠すようなもの
プラティヤハーラとは、まるでカメが甲羅の中に頭や四肢を隠すようなもの

プラティヤハーラとは、まるでカメが甲羅の中に頭や四肢を隠すようなもの。自分自身の感覚器官が外側に向かないように内側にしまい込むことを意味します。プラティヤハーラの状態に入ると、外側の気温や、音に惑わされなくなり、自分の内側に意識が向きます。

プラティヤハーラ(制感)とは、諸感覚が、それぞれの対象と結びつかない結果、まるで心自体の模造品のようになった状態をいう。(『ヨガ・スートラ』2章54節)

プラティヤハーラを実践しようとすると、一生懸命に感覚を心の中から消し去ろうとする人もいるでしょう。しかし、止めようと思うほど、感覚に敏感になってしまいます。

深い瞑想に入るためにプラティヤハーラは大切ですが、感覚が外に向いてしまっているからといって、練習が上手くいっていないわけではありません。まずは、自分自身の感覚をしっかりと知るとことから始まります。

感覚を押し込めることがプラティヤハーラではない

プラティヤハーラとは外から入ってくる刺激に心が動揺しなくなった状態なので、「感じないこと」がプラティヤハーラだという勘違いに繋がってしまいがちです。

ヒマラヤの奥地で修業をしているヨガ行者は、寒さに惑わされることなく雪山で瞑想を行います。しかし、「寒さを感じないようにするぞ!」と決心して、我慢していることがプラティヤハーラの修業でしょうか?

それは、本来の自分自身の感覚を否定してフタをしていることです。同じように、心の働きで考えると、とても悲しいことがあったのに「私は大丈夫」だと自分自身に言い聞かせて、心の扉を閉ざしてしまった状態で、それは本来の目的とは違います。

我慢し鈍感になることが、本当に心地いい状態へと繋がるのでしょうか?我慢することに慣れると、一見苦しみに対して強くなったように見えますが、根本的には何一つ解決していません。

マインドフルの練習がプラティヤハーラに繋がる

では、ヨガでは、どのようにプラティヤハーラを目指すのでしょうか?

ヨガや、ヨガの理論の元になったサーンキャ哲学では、まずは存在を認めることから始めます。例えば、雑音に気が向いて集中できない場合……

  • まずは「雑音がある」ということを認識します。

次に、以下のステップで出来るだけ客観的に起こっていることを観察します。

  • 私の聴覚が音を受け取っている。
  • 感覚器官(聴覚)が受け取った音を、思考が感じている。
  • それを、うるさいと思考が思うので、瞑想の妨げになっている。

触覚であれば、皮膚が感じる空気の流れによって、自分と外の境界線を認識していることを知ることができます。このように、心を惑わすあらゆる外からの情報を観察します。

自分の思考が五感によって動かされていることを受け入れましょう。雑念を敵対視するのではなくて、感覚を友として受け入れます。

それにより、五感が情報を受け取っていても、「あるけれど気にならない」という状態が起こります。存在していても、意識が惑わされない状態がプラティヤハーラです。

自身の感覚と友のように仲良くなる

感覚器官を自由に制御できるようになると、自分の心を邪魔することがなくなります。

プラティヤハーラの行法を習得していくならば、ついには諸感官に、最高の従順さが生ずる。(『ヨガ・スートラ』2章55節)

諸感覚は人の感情を動かす要因です。人の心は、感じた対象に対して一喜一憂しがちですが、それが感覚に操られている状態といえます。しかし、本来は自分自身が諸感覚の主でなくてはいけません。

では、どうやって感覚を従えればいいのでしょうか?力ずくでコントロールしようとすると、相手も反発します。少しずつ受け入れて、関係性をつくり上げなくてはいけません。

馬を従えるように、心や感覚と関係性をつくる

ビハーグ・ヨガ・スクールの創設者であるスワミ・サッチャナンダ氏は心との向き合い方について馬のしつけの例えを使って説きました。

昔、ある王国の王が4頭の野生の馬を手に入れました。王は、国中から馬のしつけをできる人を募集しました。沢山のトレーナーがやって来て馬を調教しようと挑戦しました。しかし、皆、落馬して怪我をし、骨折し、命を落とした人もいました。沢山の調教師が失敗して王が馬のしつけを諦めた時、一人の若者が訪ねてきました。

馬を従えるように、心や感覚と関係性をつくる
馬を従えるように、心や感覚と関係性をつくる

王は「本当に挑戦する気かい?命を落とした人もいるのだぞ」と尋ねましたが、若者は、「どうか挑戦させてください。しかし、1年間馬を私に預けて下さい」と条件を出しました。

月日が経ち、王は、若者が断念したか、怪我してしまっただろうと考えていました。しかし、ある日、4頭の馬が1列に綺麗に整列して歩いてきました。先頭の馬には、若者が乗っています。

どうやって馬を調教したのかと王が尋ね、何があったのかを若者が説明しました。

まずは、馬と一緒に生活しました。馬が食事をするときに自分も食事をし、馬が水を飲む時には自分もカップにお茶を入れて飲み、座って休む時には一緒に休み、寝る時にも一緒にいました。

その結果、馬は、私のことを5頭目の変な馬だと思ったのでしょう。受け入れてくれるようになりました。少しづつ馬に触れ、ブランケットを馬に乗せ、手縄をかけました。そして、今日、こうやって馬に乗ることができました。

この4頭の馬とは、心の働きであるブッディ(覚)・アハンカーラ(自我)・マナス(心)・五感覚器官です。馬と同じように、心をしつけるためには、じっくりと時間をかけて親しくならなくてはいけません。

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プラティヤハーラの結果を急いではいけません。それは、自分自身の心のインスタント・マスターになろうとすることです。感覚器官や心と友になることがプラティヤハーラです。

友情を築くのには時間がかかります。しかし、着実に積み上げた友情は決して裏切りません。それによって、自分自身の心が、自分にとっての一番の親友となります。

自分の心を受け入れるトレーニング

ヨガスートラの八支則を勉強していると、プラティヤハーラ、ダーラナ、ディヤーナ、サマディと瞑想状態が深くなっていくプロセスについて順番に書かれているため、次の段階に進むことを目標にと考えてしまいがちです。

しかし、これらの心の状態は、「自然に起こること」であって、「自ら成すこと」ではありません。プラティヤハーラの実践においても、「感覚を制御しよう」とすればするほど、本来のプラティヤハーラから遠ざかってしまいます。

それは、八支則のもっと前の段階から学ぶことができます。

アーサナであれば、「このポーズができるようになりたい」と思うと、遠くなります。変に力が入ったり、無理をして傷みに繋がることもあります。一番の近道は、淡々と練習を続けることで、ある日、天から降ってきたようにアーサナができるようになります。

ヤマのアヒムサでも、変に力が入ってしまうと…、それに反する行動をした人に対して批判をしたり、人に親切にしようとし過ぎて、自分に我慢を強いているかもしれません。

ヨガの練習は、全ての段階で「今の自分を受け入れる」ことから始まります。

心を快適な状態に保てるようにするためには、心に強要するのではなくて、まずは今の自分の心の働きを受け入れるところがスタートです。それが、プラティヤハーラの練習のプロセスです。

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