イギリスの田園風景

「鉄道きょうだい」~神さまの心にも似た愛~

皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。

今回は、イギリスの児童文学作家イーディス・ネズビットの「鉄道きょうだい」を取り上げたいと思います。

イーディス・ネズビットという名前を聞いたことがあるという方はいらっしゃるでしょうか。

イギリスの有名な女流作家で、100冊もの本を書いたと言われています。

大人向けの作品も多く書いたそうですが、それよりも高く評価されているのは、彼女が書いた児童書です。

「鉄道きょうだい」をはじめとする18冊もの児童書は、イギリスの児童文学の古典として高く評価をされており、「ナルニア国物語」の作者 C.S.ルイスも影響を受けたと言われています。

今回は、そんなイギリスの女流作家ネズビットの「鉄道きょうだい」とヨガのつながりを考えていきたいと思います。

現実生活が苦労の連続だったからこその明るい作品

「鉄道きょうだい」の作者イーディス・ネズビットは、1858年8月15日にロンドンで生まれます。

姉メアリーが病弱だったため、家族は療養のため、イギリスや、ヨーロッパ各地を転々と引っ越して回る生活を送っていました。

そのため、ネズビットは各地の寄宿学校に入れられたようですが、彼女自身は、どの学校も苦手で、学校生活には嫌な思い出しかないようです。そのために、彼女の作品にはあまり学校生活が出て来ません。

1871年にメアリーが亡くなった後、一家はイギリスに戻り、ケント州にあるハルスデットという村に落ち着きました。

この村の近くにはノックホウルト線という鉄道が走っていたそうですが、ここでの生活が「鉄道きょうだい」の舞台となりました。

彼女は、ここで一生のうちで最も幸せな時期を過ごします。

しかし、17歳でロンドンに引っ越します。その後、ブラシ製造業を営んでいたヒューバート・ブランドと知り合って結婚をしますが、結婚直後、夫が天然痘にかかって命を落としかけるという悲劇に見舞われます。

おまけに、共同経営者が資本金を全部持って姿を消してしまったため、一家は一晩で無一文になりました。

どうしてもお金が必要だったネズビットは、生活のために小説を書いて、書いて、書きまくり、あちこちに強引に売りつけました。

そんなある日、「わたしの学校時代」という回想記を依頼されて書いたネズビットは、子ども時代の思い出が活き活きをよみがえり、収入のためではなく、子どもの頃の自分を喜ばせるためにお話を書きたいという強い衝動にかられます。

そうして書き上げたのが「宝さがしの子どもたち」。

これが非常に人気となり、以後、ネズビットは、児童小説作家として、様々な子ども向けの物語を執筆しました。その中の1つが「鉄道きょうだい」でした。

この「鉄道きょうだい」は、「若草の祈り」という題名でも知られており、イギリスでは1951年、1957年、1968年、2000年にテレビドラマ化されたほか、1970年には映画化もされました。その映画は、日本でも1971年に「若草の祈り」という題で公開されました。

突然の異変

主人公は、3人の兄弟。長女のロバータ(愛称はボビー)、長男のピーター、次女のフェリスという子ども達です。

この3兄弟には、とてもすてきなお母さんがいました。

ボビーたちのお母さんはたいてい家にいて、せがまれなくても子どもたちといっしょに遊んだり、本を読み聞かせたり、宿題をてつだったりしてくれました。
このお母さんについてはもう1つ、書いておかなければいけないことがあります。ボビーたちが学校にいっているあいだに、お母さんは楽しいお話を書いて、それをお茶のあとなんかに読んでくれました。そればかりではありません。子どもたちの誕生日とか、何かとくべつなとき(たとえば子ネコの命名式とか、人形の家の模様替えとか、おたふくかぜの治りかけといった)には、そのときどきにふさわしい、ゆかいな詩をつくってくれました。
(「鉄道きょうだい」)

おまけに、この兄弟のお父さんもすばらしい人なのです。

いつもきげんがよく、いつも公平で、ひまがあればいつでも子どもたちといっしょに遊んでくれる、100点満点のお父さんでした。用事があって、子どもたちのゲームの仲間いりができないときにはかならずちゃんとした理由があり、その理由をお父さんがとてもくわしく、またおもしろく説明してくれるので、どの子も、お父さんだって、ゲームの仲間いりができずに残念がっているにちがいないと同情してしまうのでした
(「鉄道きょうだい」)

こんな素晴らしい両親がいた上、お手伝いさんもいる立派な家に住んでいたのですから、物語の始まりでは3兄弟は、滅多にないほど幸せな暮らしをしているんだということが、とてもよくわかります。

ところが、ある夜、家族が団欒している時に悲劇が起ります。

突然、訪問者がやって来たのです。

呼ばれて出て行った父は、珍しく興奮した声でお客と話をしていました。続いて、母も呼ばれて出て行きますが、戻って来た母は、真っ白な顔をしていて、キュッと固く口を結んだこわばった顔をしています。

何か良くない知らせだったことは明らかなのですが、母は子ども達にはその知らせが何だったのかということは一切知らせません。

さらに父は、突然の訪問者と共にどこかに行ってしまったきり、2度と帰ってきませんでした。

お父さんはどうしたのかと子ども達は母に聞きますが、母は答えてくれません。父に襲った不幸のことは謎のまま、物語の最後まで残されます。

母はその日以来、1日中出かけるようになり、いつもグッタリと顔色悪く、やつれて帰ってくるようになりました。お手伝いさん達は次々にやめていきますし、一家は暗い雰囲気に包まれます。

そしてついに、ある日、母はやつれながらも精一杯にっこり笑って、子ども達にこう言います。

あのね、このさい、田舎に引っ越そうと思うの。白いペンキぬりの、とてもかわいらしい家が見つかったのよ
(「鉄道きょうだい」)

そうして、一家は、田舎の小さな家に引っ越します。そこが、物語の舞台となるのです。

常に明るさを失わないお母さん

ただならぬ悲劇が、この家のお父さんに襲い掛かったんだということは、物語の随所から感じられます。

お父さんがどこかに行ったきり全く戻ってこないため、一家は一気に貧乏になってしまい、お母さんは、ネズビットのように、お話や詩を書いて、忙しく家計を支えます。

とても辛い境遇にあるらしい3人のお母さんですが、どこまでも明るくふるまいます。

引っ越しの準備をしている時、お母さんが大事にしていた美しいキャビネットなどを持って行かないのを子ども達が不思議がった時には、明るい顔でこう言います。

「何もかも、持っていくわけにはいかないから、すぐ役に立つものをえらんだのよ。しばらくのあいだ、貧乏ごっこをしようじゃないの」
(「鉄道きょうだい」)

ロンドンから鉄道を乗り継いでたどり着いた田舎の家は、がらんと静まり返っていて、カーテンもかかっていなければ、カーペットも敷いてありません。火の気はまるでなくて、炉のなかに残っている白い灰が冷え冷えとした陰気な感じをただよわせている上、ネズミまで走っているのです。

長旅で疲れ切った子ども達は、この光景に口もきけませんが、お母さんは明るくこう言います。

「あなたたち、いつも何か変わったことが起こるといいのにって、口ぐせのように言ってたじゃない? これって、これまでわたしたち一家に起こったことのない、とびきりの冒険よ!」
(「鉄道きょうだい」)

お父さんに襲った謎の不幸のため、お母さんがだれよりも辛い思いをしているだろうということは、あちこちで感じ取れます。それなのに、お母さんは子ども達のためにとことん明るく笑顔でふるまい続けます。

突然襲ってきた慣れない貧乏も、不幸も、ユーモアと明るさで乗り切ろうとしているのです。

そんなお母さんの態度は、ヨガにつながると言えるのではないでしょうか?

「ヨガ・スートラ」には、どんな不幸や悲しみがあっても、心の波を波立たせず、穏やかに保っておくことが1番大切なこと、と書かれてあります。

どんな不幸や悲しみに襲われても、絶望に沈まないために、ヨギーは修行をするのです。

そう考えた時、どんな状況でも、子ども達が絶望の波に沈まないよう、精一杯明るく頑張るお母さんのふるまいは、ヨギーも拍手を送るようなふるまいと言えるのではないかと私は思うのですが、みなさんはいかがでしょうか?

そしてまた、そうすることで、お母さん自身も自分自身の心を支えているのではないでしょうか?

神さまの心に似た愛

白いゆったりとした服を身につけた人の差し出された手

3人兄弟は、突然お父さんに襲った悲劇がいったいどんなものなのか、当然、知りたいと思います。

けれども、その話は聞かないでくれと子ども達に頼んだお母さんが、とてもつらそうな顔をしたため、子ども達は何も聞かないことに決めます。

その後も、子ども達はお父さんを恋しいと思い、お父さんのことをお母さんにとても聞きたいと思うのですが、お父さんの話が出ると、お母さんがつらい気持ちになるらしいと敏感に察して、お父さんのことを口に出さないように気を付けます。

子ども達がそんな心優しいふるまいができるのも、愛情たっぷりに育てられてきたからこそなのでしょう。

そしてまた、この子たちは両親から受けた愛を、新しい引っ越し先で出会った人々にかえします。

子ども達は今、学校には行っていません。そのかわり、しょっちゅう、家の近くにある駅に遊びにいきます。

駅を通る鉄道が、お父さんのいるロンドンと結ぶただ1つのきずなのような気がするからなのです。

駅で鉄道を見物する子ども達は、駅員のパークスさんと仲良くなります。

そんなパークスさんが自分の誕生日を祝うことなんてとっくの昔にやめたということを聞きつけた子ども達は、パークスさんのお誕生日を祝ってあげようと決めます。

そこで、村を回って、パークスさんのお誕生日に何かお祝いの品を上げるものはないかと、村人たちに聞いて回ります。

不愛想な返事が返ってきたり、鼻先で扉をピシャリを閉められたりしてしまうこともありましたが、喜んで協力してくれる人もいて、プレゼントはけっこうたくさん集まりました。

そこで3人兄弟は、プレゼントをパークスさんの家に持っていきます。

ところが、それを見るとパークスさんは怒り狂ってしまいます。

「おれたちは、それなりにまともに、つましくくらしてきた。だれからのものであれ、ほどこしなんぞ、受けたためしがないし、いまさら、ひとさまのご厄介になる気もないよ。(略)なんだって、こんなほどこしをおしつけるんだね?」
(「鉄道きょうだい」)

喜んでくれると思ったパークスさんが怒り狂ってしまったので、子ども達は悲しくて泣きそうになってしまいます。

けれども、長女のロバータは、こういったプレゼントをくれた人達がどんなことを言って、プレゼントを託したのかということをパークスさんに話します。

「靴屋さんはね、独立心のおうせいなパークスさんを尊敬しているそうです。肉屋さんも、同じことを言っていました。高速道路の近くに住んでいるおばあさん、パークスさんが若いころに庭の手入れをよくてつだってくれた、『身から出たさび』の正反対だって。あたしには、意味がよくわからなかったけれど。協力してくれたひとたちはみんな、そんなふうに、パークスさんを尊敬しているとか、大好きだとか、言ったんです。お誕生日祝いは、とてもいい思いつきだとも。ほどこしだとか、慈善だなんて、へんてこなことを言ったひとは、一人もいませんでした」
(「鉄道きょうだい」)

ほどこしなんていらないと怒っていたパークスさんですが、みんなが贈り物に込めた気持ちを聞くと、心をやわらげ、喜んで泣き出してしまいました。

そして、パークスさんは怒ったことを3兄弟に心から謝り、無事、盛大にティーパーティーを開くことができました。

その後、パークスさんは奥さんにこう言います。

「かんじんなのは行いでも、品物でもなく、そのもとになっている心意気なんだな。ほどこしってやつとは、その点が大ちがいなんだよ
(鉄道きょうだい)」

その話を聞いた奥さんは、あれは友情だと言い、村の牧師さんはこう言いました。

「神の心にたいへんよく似た愛と呼ぶひともいるでしょうね」
(鉄道きょうだい)

どうでしょう。このエピソードは、いかにもヨガとつながっているとみなさんはお感じにならないでしょうか?

ヨガでは、神のために行動しなさいと至るところに書かれています。

ヨガでは、神様は、1人1人の中にいると言われています。ですから、神のために行動するという事は、相手の中にいる神様のために行動をするということなのです。

相手の中にいる神のために行動をするというのは、いったいどういうことなのでしょう。

私は、それは、相手のことを純粋に思い、相手が喜ぶことをするということなのではないかと思うのです。

かわいそうだからとか、気の毒だからとか、不幸そうだからとか、そういった理由ではなく、もちろん打算ではなく、ただひたすらに、相手に喜んでほしいというその一心で行動をした時、神様のためにした行動だと言えるのではないでしょうか?

3人兄弟がパークスさんに誕生日祝いをしたのは、パークスさんが貧しい暮らしをしているからではありません。パークスさんと親友だから誕生日を祝ってあげたいと思ったのです。

そうした何も汚れていない純粋な気持ち…ヨガでいうサットヴァな気持ちから出た誕生日祝いだとわかったからこそ、パークスさんの心にしみたのでしょう。

素晴らしい両親から愛情たっぷりに育てられた3人兄弟は、両親から受けた愛を、出会った人々に返していきます。

そうした3人兄弟の行動が、それが、不幸に陥った父を救うことになるのですが、これ以上は書くのをやめにしておきましょう。

お父さんが陥った不幸がどんなものだったのか、それはぜひ、本で読んでみて下さい。

ハラハラドキドキして、最後にはきっと温かい気持ちになることでしょう。