「ヨガでアート探訪」キース・ヘリング

みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。

今回は、「ヨガで文学探訪」からちょっと脇道にそれまして、「ヨガでアート探訪」をやってみたいと思います。

キース・ヘリングという名前をご存じでしょうか?

聞いたことがないという方でも、キース・ヘリングの描いたものを1度はどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。

ユニクロなどでも、キース・ヘリングのアートをモチーフにした服が販売されているので、ご自身の服にキース・ヘリングのアートがついているという方もいらっしゃるかもしれません。

31歳の若さで亡くなったキース・ヘリングの生涯を追っていくと、キース・ヘリングと
ヨガのつながりが見えてくるような気がしました。

そんなわけで今回は、キース・ヘリングとヨガのつながりを感じたので、皆さんにもご紹介したいと思います。

キース・ヘリングとは?

キース・ヘリングは、1958年、アメリカ北東部ペンシルベニア州で生まれます。

日曜画家だった父の影響で、ヘリングの家族はみな絵を描くのが好きでした。

チラシのはじっこに誰かがラクガキをすれば、みんなでちょっとずつ書き足し合って遊んでいたと言います。

みんなでアートを楽しむのが当たり前の環境で育ったヘリングは、1978年、ニューヨークの名門美術学校、スクール・オブ・ビジュアル・アーツで学びながら、美術館やギャラリーではなく、もっと広くたくさんの人にアートを楽しんでもらう方法はないものかと模索します。

そんな時、通学やアルバイトに行く途中に、いつも使っていたニューヨークの地下鉄駅で、誰にも使われていない広告板を見て、ここに絵を描いては?とひらめきました。

当時は不況だったこともあり、広告板には何の広告もなく、そこにはただ黒い模造紙が貼られているだけだったのです。

ヘリングは、その黒い模造紙に、白いチョークで絵を描くというサブウェイドローイングという活動を始めます。

ヘリングのサブウェイドローイングは、普段、ニューヨークの地下鉄を行き来している多くの乗客の間で話題になり、彼は次第に有名になっていきました。

「アートにあまり親しみのない人や、そもそも忙しかったり、貧しかったりして、美術館やギャラリーに行く余裕のない人にもアートを楽しんでもらいたい」という思いから、ヘリングは、地下鉄の広告板という新しいキャンバスを発見したというわけです。

ヘリングが“作品は美術館やギャラリーで展示するものだ”という縛りから自由であったからこそ、サブウェイドローイングが行われたといっていいでしょう。

縛りから自由であるというのはアーティストにとって非常に重要なことですが、ヨギーにとってもまた大変重要なことですよね。

ヨガの大きな目的は、自分を縛っているあらゆる常識や偏見という縛りから自由になるということにあるのですから。

そういった意味でヘリングは、アーティストであったと同時に、ヨガとも深くつながっていたと言ってよいのではないかと思います。

もっと日常の中にアートを持ち込む

美術館やギャラリーから離れ、日常生活の中で気軽にアートを楽しんでもらいたいという信念から、ヘリングがはじめたサブウェイドローイングですが、これは公共の場に無断で絵を描くという違法行為でもありました。

そのために捕まったりしたことも影響していたのでしょう。サブウェイドローイングは5年間で終わっています。

その後も、様々なアート活動をしながら、日常生活の中にアートを持ち込む方法を模索していたヘリングは、ポップショップを立ち上げます。

そして、そのショップで自身の作品をあしらった服や缶バッジ、マグネット、食器といったグッズを販売したのです。

美術館やギャラリーに足を運ぶのはなかなか敷居が高いですよね。そもそも、アートに興味がなかったら、なかなか美術館までは行きません。

けれども、服や缶バッジ、マグネット、食器というものは普段の生活の中で使います。

そんな普段の生活用品の中にアートを持ち込んで、より幅広い人にアートを楽しんでもらいたいと願ったのですね。

キース・ヘリングはこんな言葉を残しています。

地下鉄の駅にドローイングを描くのと同じようなコミュニケーションの仕方を続けたいと思った。同じように幅広い人々を魅きつけたかった。単にアートコレクターばかりが集まる場所ではなく、ブロンクスの子どもたちもやって来られるような場所にしたかったんだ
(John Gruen, The Authorized Biography,1991)

日用品にアートをあしらって商業販売することに美術界からは批判もあったといいます。

それでも、子どもたちにも気軽にアートを楽しんでもらいたいという信念を揺るがすことなく、ヘリングは、ポップショップを立ち上げました。

ヨガでは自分の価値観や尺度を持つことがとても大切だと言われますが、ヘリングも、違法行為でつかまったり、美術界から批判されたりしながらも、アートをみんなに届けたいという揺るがない自分の信念を持ち続けて活動を続けたという点で、ヨギーとつながる人だと言ってよいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

サットヴァ・ラディアントベイビー

キース・ヘリングがサブウェイドローイングを行っていた頃から、31歳で亡くなる直前まで、自身の作品の中に絶えず描いていたのが、裸で四つ這いの赤ん坊「ラディアント・ベイビー」です。

「ラディアント・ベイビー」とは、光り輝く赤ん坊という意味なのですが、ヘリングは、生まれたばかりの赤ん坊こそは、純粋無垢の穢れのない存在であり、人間の1番完璧な状態だと考えていました。

どんな人もかつては、「ラディアント・ベイビー」であったはずですよね。

ですから、どんな人の中にも、「ラディアント・ベイビー」はいるのです。

ヘリングは、自分の中にある、または相手の中にある「ラディアント・ベイビー」のことを思いながら、自身の作品の中にベイビーを描いていたのでしょうか。

それにしても、赤ん坊こそは、純粋無垢で汚れがなく、完璧な存在だという考えは、これまたヨガと同じですよね。

ヨガでは、そういった純粋無垢のことをサットヴァという言葉で呼びますが、サットヴァこそは理想的な状態であるとヨガでも言われています。

ヘリングが絶えず作品の中に描いて求め続けていたベイビーは、ヨギーが求め続けているサットヴァと同じものだったのです。

ヘリングが、ヨギーと同じくサットヴァなものを求めていた人であったということを考えても、やはり、ヘリングとヨギーは深いつながりがあるでしょう。

毎日を生きることに満足する

キース・ヘリングは、こんな言葉を残しています。

子どもたちは、ぼくたちが忘れてしまっている「なにか」を知っている。
子どもたちは毎日生きていることに満足している。
それは本当はとても大切なことで
そのことを理解して尊重することができたら、大人たちは救われるんだ。
(1986年7月6日(Keith Haring Keith Haring Journals,1987)

子ども達は、生まれたての赤ん坊ほどではないにせよ、大人の私達よりもずっとずっと純粋無垢でサットヴァな存在です。

だからこそ、今そのものを思い切り楽しむ力を大人よりも、ずっとずっと持っているのではないでしょうか。

子ども達からは溢れんばかりの若々しい生命力を感じますが、ヘリングはサットヴァな存在が持つ溢れる生命力を求め続けていた人のような気がします。

ヘリングはゲイだったこともあって当時は偏見に晒されました。

若くしてエイズに感染し、毎日死と向き合う日々もありました。

偏見に晒され、死を宣告されながらも、それでも、今を生きているんだ、生きているんだ、ここに生きているんだという爆発のようなものを作品の中に込めていたような気がします。

未来はどうなるかわからない、過去のことは振り返らない、今この瞬間を思い切り生きるということは、ヨガでも大切だとされていることです。

ヘリングが、今生きている自分の生命力を刻み込むようにして、亡くなる直前までアートを人々に発信し続けたことを考えると、やはり、彼はアーティストであると同時に、ヨギーとも深くつながっていると思います。

いや、アーティストというものはそもそもヨギーと深くつながる存在なのだと、私は、そんな風に感じます。

アートは不滅だ 人は死ぬ ぼくだって死ぬ
でも本当に死ぬわけじゃない
だって、僕のアートはみんなの中に生きているから」
(1987年3月20日(Keith Haring Keith Haring Journals,1987)

31歳という若さで亡くなってしまったヘリングですが、もしも、彼が今でも第一線で活躍していたら、どんなアートを見せてくれたのかと興味は尽きません。

ユニクロや、ネットショップなどでも意外に簡単にキース・ヘリングのグッズが手に入ります。

ご興味ある方はぜひ1度チェックして、キース・ヘリングのアートを楽しんでみて下さい。