モノクロの森と「もりのなか」のタイトル

「もりのなか」~森の中は心の中~

「もりのなか」~森の中は心の中~

皆さん、こんにちは!丘紫真璃です。

2024年初めの『ヨガで文学探訪』は、マリー・ホール・エッツの絵本『もりのなか』を取り上げたいと思います。

黒のコンテだけで描かれた白黒の静かな絵ながら、そこには深い温かみがあり、小さい頃に私が大好きだった絵本の1つでした。

『もりのなか』の思い出は、深く心の中に残っていて、大人になって『もりのなか』を手に取ると、とても温かいものが胸の中に広がっていきます。

にぎやかな明るい絵というわけでもなく、色彩豊かな絵というわけでもなく、白と黒だけで描かれている分、どちらかというと控えめの絵のように見えるのに、なぜか、幼い私の心を深く惹きつけて離さなかった不思議な魅力にあふれた『もりのなか』。

名作絵本と名高い『もりのなか』とヨガは、どのような関係があるのでしょう。

早速、みなさんと『もりのなか』を読んで考えていきたいと思います。

図書館員だった渡辺茂男さんと出会っていたマリー・ホール・エッツ

作者のマリー・ホール・エッツさんについてはインターネットで調べても、なかなか情報は出て来ません。

けれども、童話作家の渡辺茂男さんの『心に緑の種をまく』という本の中に、マリー・ホール・エッツさんについて、とても興味深いことが書かれていました。

渡辺茂男さんといえば『エルマーのぼうけん』の名訳や『しょうぼうじどうしゃじぷた』などの名作絵本の作者としておなじみですが、その渡辺さんは1955年頃からニューヨーク公共図書館で、図書館員として働いていました。

ある日、その図書館に銀髪の小柄な老婦人が本を借りにやってきたのですが、その婦人こそ、マリー・ホール・エッツさんだったというのです。

マリー・ホール・エッツさんは子どもの福祉のために働いていた方で、渡辺さんが出会った時は、子どものために書かれた健康や衛生の本を調べていたそうです。

そして、渡辺さんに、敗戦後の日本の子どもたちの生活のことや、当時ニューヨークに治療に来ていた原発乙女の治療のことについて、辛そうに尋ねられたそうです。

マリー・ホール・エッツさんの優しい人柄がにじみ出るエピソードですね。

『もりのなか』は、マリー・ホール・エッツさんの人柄がページからあふれ出しているとても優しく、温かい絵本です。

森の中で次々に動物達と出会う

『もりのなか』の表紙を開くと、黒と白で描かれた森の中の絵が出て来ます。

森の中には、男の子が1人いて、紙の帽子をかぶり、ラッパを吹いていてこう書かれています。

ぼくは、かみのぼうしを かぶり、あたらしい らっぱを もって、
もりへ、さんぽに でかけました。

『もりのなか』

森へ散歩に出かけた僕は、そこで1匹のライオンと出会います。

すると、おおきな らいおんが、ひるねを していました。
ライオンは、ぼくの らっぱを きいて、めを さましました。

『もりのなか』

らいおんは、僕を見ると、早速たずねてきます。

「どこへ いくんだい?」と、らいおんが ききました。
「ちゃんと かみを とかしたら、ぼくも ついていって いいかい?」
そして らいおんは かみを とかすと、ぼくの さんぽに ついてきました。

『もりのなか』

ライオンを後ろに連れて歩いていると、僕は、次々にいろんな動物に出会います。

セーターや靴をはいたゾウの子ども達や、ピーナッツやジャムをなめていた2匹のくま達。3人家族のカンガルーや、灰色のコウノトリや、2匹のサルや、何も言わない小さなウサギ。

どの動物達も、僕と一緒にやってきて、一緒にオヤツを食べたり、遊んだりして、愉快な時を過ごします。

最後に、僕は、動物達とかくれんぼをしました。オニは僕です。

「もういいかい!」と、ぼくは いって、めを あけました。
すると、どうぶつは、1ぴきも いなくなっていて、そのかわりに、ぼくのおとうさんがいました。おとうさんは、ぼくを さがしていたのです。
「いったい だれと はなしてたんだい?」と、おとうさんが ききました。
「どうぶつたちとだよ。みんな、かくれてるの」
「だけど、もう おそいよ。うちへ かえらなくっちゃ」と、おとうさんがいいました。
「きっと、またこんどまで まっててくれるよ」

『もりのなか』

そこで、僕はお父さんに肩車をしてもらって、家へ帰ることにしました。

「さようならぁ。みんな まっててね。また こんど、さんぽに きたとき、さがすからね!」

『もりのなか』

こうして、肩車された男の子とお父さんの後ろ姿が小さくなっていき、だれもいない森だけが残っている絵で絵本は静かに終わるのですが、マリー・ホール・エッツさんの静かな優しさに満ちた絵がなくては、とてもこの本の素晴らしさを伝えられそうにありません。

とはいえ、どうでしょう。皆さんは『もりのなか』と、ヨガがどのようにつながっているとお思いになりましたか?

森の中は、心の中

物語の冒頭で、僕は紙の帽子をかぶって、ラッパを持ち、森へ散歩に出かけます。

僕が入っていく森の中というのは、僕の心の中の世界なのだといえると思います。

僕が森の中で出会った髪をとかすライオンや、セーターや靴をはいたゾウの子ども達や、ピーナッツやジャムをなめていた2匹のクマ達はみんな、僕の心の中の世界にいる住人達ではないでしょうか。

心の中の世界は奥深くに入っていけばいくほど、どんどん神秘的になっていきます。

心の奥の世界は、自分でもわからないくらい不思議に満ちています。

ヨガでは、心の奥をもっとたどっていけば宇宙につながると言われていますが、僕の心の中である森の世界も、奥へ入れば入るほど仲間が増え、どんどん豊かに楽しくなっていきます。

そして、森の奥の不思議に満ちた世界で、僕は楽しい動物の仲間とオヤツを食べたり、遊んだり、かくれんぼをしたりするのです。

けれども、かくれんぼでオニになった時、お父さんがやってきます。

お父さんがやってくることで、僕は心の中の世界にさよならをして、お父さんとお母さんの待つ家へと帰ることになります。

けれども、これが本当の終わりではありません。だって、お父さんはこう言っています。

「きっと、またこんどまで、まっててくれるよ」

『もりのなか』

僕は、今はお父さんと家に帰ります。けれども、これは終わりではないのです。

どこかに隠れている楽しい動物達を探しに、僕はまた森の中へ、自分の心の中へやってくることができるのです。

僕はまたいつだって、森の中へ、心の中へ遊びに行って、動物達と遊ぶことができるんです。

だから、僕はお父さんに肩車をされて家に帰りながら、さけびます。

「また こんど、さんぽに きたとき、さがすからね!」

『もりのなか』

僕の心の中の森には、いつだって、楽しい動物達が隠れひそんでいるのです。

そしてまた、『もりのなか』を読み終わった読者の子ども達の心の中にもまた、僕が散歩に出かけた楽しい森の世界が鮮やかに残ります。

その森にはいつだって、髪をとかすライオンや、セーターや靴をはくゾウが隠れひそんでいるのです。

楽しい動物が隠れる森が幼い子どもの心に根付くということは素晴らしいことだと思います。

心に楽しい動物の友達がいる森が出来るということは、子どもの心がそれだけ豊かで楽しくなるということだからです。

それは、この本を読んであげた大人にだって同じです。

楽しい動物の森が心の中に根付いた子どもとお母さんは、近所の公園の森にでも遊びに出かけたら、「あの木立の後ろに、髪をとかしているライオンが寝そべっているかもしれないよね」とか、「靴をはいたゾウが後ろをついてきたらどうする?」とか、考えただけでワクワクする世界が広がっていくでしょう。

ただの近所の公園の森が、たちまち、楽しい動物達が隠れるワクワクする森に早変わりしてしまう。

豊かで楽しい森を心に持っている人にとっては、近所の公園の森も、楽しい冒険の森になるのです。

ヨガでは、心は世界を映す鏡だと言いますよね。

綺麗な心には綺麗な世界が映り、濁った心には濁った世界が映ります。

豊かで楽しい森を心に持った人の世界は、豊かで楽しく、冒険に満ちたものになるのです。

ヨガでは心をどれだけ美しく楽しいものにできるかということが重要になってくるのですから、そう考えた時『もりのなか」を読むことそのものが、ヨガなのだと私は思いましたが、皆さんはどうお思いになるでしょう。

『もりのなか』は、私達の1番根本にある幼い頃の記憶を呼び覚ましてくれる絵本だと思います。

幼い頃の記憶こそ、私達が心の中に持っている1番サットヴァなものではないでしょうか。

大人になった私も、『もりのなか』を静かな気持ちで読み返してみる時、サットヴァだった幼い頃の記憶が戻り、一時だけでも心の中がサットヴァで満たされていくような気がします。

『もりのなか』はパッと見たところ白黒の絵で、とても地味な見た目ですから、お子さんは積極的に手に取らないかもしれません。

だからこそ、幼い子どもが家族にいる方は、どうぞ、『もりのなか』をお子さんに読んであげて下さい。

そして、大人の方は1人でも『もりのなか』を開いて、マリー・ホール・エッツさんの静かで温かく優しい絵に見入って下さい。

サットヴァと程遠くなってしまった大人の私達でも、絵本の中にいる瞬間だけはサットヴァな気持ちを取り戻し、森の仲間達と出会う楽しい時間を過ごせることをお約束いたします。

参考文献