ガネーシャ神の像

ガネーシャ神と月の神話から学ぶ哲学

毎年、8月末から9月中旬の頃に『ガネーシャ神の誕生祭』があります。

ガネーシャ神はインドの神様の中でも最も人気の高い神様で、インド国内だけではなく、周辺国でも頻繁に目にすることができます。

象の頭部と、ふくよかな人間の身体で、とても愛らしい見た目も人気の秘訣です。

ヨガスタジオでも目にすることが多いですよね。

日本でも歓喜天として、仏教のお寺で目にすることがあります。

今回は、そんなガネーシャ神のお茶目な神話をご紹介します。

ガネーシャ神と月の神話

ガネーシャ神とモーダカのイラスト
ガネーシャ神はモーダクと呼ばれる甘いお菓子が大好きです。

ある日、祝祭に呼ばれたガネーシャ神は、彼のために用意された大量のご馳走を全て食べ切りました。

ガネーシャ神のお腹は大きく膨れ上がり、それを恥ずかしいと思ったガネーシャ神は、他の人にバレないように蛇をお腹に巻きつけてみましたが、大きなお腹を隠すことができず、夜遅くまで座り続けて、暗くなってから帰宅することにしました。

暗闇の中で帰路についたガネーシャ神。ガネーシャ神の乗り物は小さなネズミです。

夜道を歩いていると、蛇が飛び出してきました。蛇を怖がったネズミがびっくりして飛び跳ねたせいで、バランスを崩したガネーシャ神は転倒してしまいます。

転んだ拍子に地面に叩きつけられたパンパンのお腹が裂けてしまい、中から大量に食べたモーダク(お菓子)がゴロゴロと転がってしまいます。

ガネーシャは慌てて全てのモーダクを拾い集めると、もう1度全て食べてお腹にしまいます。

周囲を見渡し、誰にもみられていないことを確認し、一安心したガネーシャ神。

しかし、実は空から見ていた月が、我慢できずに笑ってしまいました。

自分の失態を笑われて、馬鹿にされてしまったと怒ったガネーシャ神は、自分の牙(きば)を1一本折って、月に投げつけました。

それによって、月は満ち欠けするようになりました。

そして、月に呪いをかけます。月は誰からも見えなくなってしまいました。

夜を月が照らさなくなったことで、人々は困ってしまいます。そして、神々はガネーシャ神の父親であるシヴァ神を訪ねて、呪いを解いて欲しいとお願いしました。

シヴァ神に説得されてガネーシャ神は呪いを解きましたが、完全に解くことはできませんでした。そのため、月に1日だけ月が見えない日(新月)があります。

月の満ち欠けと私たちの心

月の満ち欠けを表すイラストと木のシルエット
月の満ち欠けは私たちの心と身体のエネルギーに影響を与えていると言われています。

ヴェーダンタ哲学の先生から学んだ言葉です。

満月の日に水の動きが激しくなる。
津波も満月にやってくる。
全ての問題は満月の日にやってくる。
人が殺人を行なってしまうのも満月の日。
満月の日になると、人々は物事をジャッジし始める。
だから、満月の日には静かにした方がいい。
満月の日に瞑想を行えば、大きな力を得ることができる。

オオカミ男も満月の日に現れますね。それは、本当にオオカミになるわけでなく、人々の心が野蛮になりやすいという意味なのかもしれません。

月の満ち欠けは水の動きに影響を与えます。引力が強くなることで、潮の満ち欠けが大きくなります。私たちの体も約60%が水分であれば、月の満ち欠けに影響を受けるのは当たり前のことなのでしょうね。

特に満月の日はマインドがアクティブになりがちです。

そんなときにアーサナの練習を行うと、欲が出たり、本来の可動域よりも身体が動くことができたりして、怪我をしやすくなってしまうと言われています。

インドでは、満月の日にはアーサナの練習をせずに、静かに瞑想をした方が、内側のエネルギーを高めることができると言われています。

エネルギーが活発になる満月の日に思考を自由にしていると、勝手に物事をジャッジし始めます。

「これは良い、これは悪い」と自他のことをジャッジして、その思考がますます大きくなっていきます。

インドでは、現在でも月の満ち欠けを基準に生活をしています。そのため、ヒンドゥー教のお祭りは、毎年日付が違います。

例えば、ガネーシャ神の誕生祭は、新月の日から4日目から11日間となっています。8月の時もあれば、9月の年もあります。

自然界の流れに合わせて生活をするのは、私たち人間にとって本来当たり前のことなのではないでしょうか。

神様は完璧ではない。自然界の本来の姿を受け入れる

シヴァ神とパールバティ女神とガネーシャ神とスカンダ神
神様は、大きな力を持った存在で、人々から存在されるべき存在です。

しかし、今回紹介したガネーシャ神の神話のように、インド神話では神様であっても様々な失敗をします。

神様は、時に人々を困らせることもすれば、恵みを与えてくれることもあります。

どうして神様は完璧ではないのでしょうか?

それは、私たち人間が勝手に良い悪いをジャッジしているからです。

例えば、雨が降った時にそれを良いと判断するか、悪いと判断するのかはその人によります。その雨は、農業をしている人にとっては、待ち望んだ恵みの雨かもしれません。しかし、今日たまたま結婚式を迎える人にとっては、最悪な雨です。

人は、自分勝手に自分の都合で良い悪いをジャッジしますが、自然界は私たち人間のために動いているわけではありません。

夏が好きな人もいれば、冬が好きな人もいます。昼が好きな人も入れば、夜の暗闇が好きな人もいます。

しかし、神様はそんなことを気にしません。

自分の内側の様々な感情を受け入れること

ガネーシャ神だけでなく、インド神話の神々はみんな聖人君主とは程遠い感情的な側面を見せることが多いです。

非のうちどころのない理想的な性格じゃないからこそ、愛される存在なのかもしれません。

あらゆる儀式の最初に崇められる偉大なガネーシャ神には、ずる賢い部分もあります。

ある日、シヴァ神は2人の息子であるガネーシャ神とスカンダ神を呼び出しました。

「今から世界を1周して来なさい。どちらか早く戻って来れた方に褒美をやろう。」

軍神であるスカンダは、すごい勢いで世界を飛んで1周してきます。

のろまなガネーシャなんかには負けるはずがないと自信満々で元の場所に戻ってくると、ガネーシャは涼しい顔で大好物のモーダクを食べていました。

ガネーシャは、スカンダが頑張っている時に、自分の両親であるシヴァ神とパールバティ女神の周りを1周回って、

「あなたこそが私にとっての世界そのものです。」

と言いました。

その言葉に喜んだシヴァ神は、ガネーシャに褒美を与え、人々のあらゆる祈りの最初には必ずガネーシャ神への祈りが行われるようになりました。

生き抜くためには、賢さも必要なのですね。そんな部分も、ガネーシャ神の魅力であり、シヴァ神でさえ言いくるめてしまうのは流石です。

私たちは「正しくあろう」と思うと、潔癖になりすぎることがあります。

正しくあることは大切ですが、もっと大切なことはみんなが幸せであることです。ルールを守れば全て正解というわけではありません。

時には、間違ったことをしてしまうこともありますが、それが人間らしさです。

決められたことだけを正確に行うのであれば、ロボットと何も変わらなくなってしまいます。

感情が暴走してしまうことも、ズルをしたくなる時もありますが、それを含めて生きていることです。

そんな人間臭さが、魅力につながる場合もあります。

ガネーシャ神から学ぶ生きる知恵

とても愛されているガネーシャ神は、人間よりも人間的な魅力に溢れた神様です。

大好きなモーダク(お菓子)を常に手に持っていて、生きることの楽しみも忘れません。

人に喜びを与えて、自分自身も喜びを感じる。そんなガネーシャ神のようなおおらかな存在になりたいですね。

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