カラフルな模様とイグアナのイラストとタイトル

心1つでお邪魔なイグアナくんが変化する

こんにちは!丘紫真璃です。
今回は、佐藤多佳子さんの『イグアナくんのおじゃまな毎日』を取り上げてみたいと思います。

イグアナを飼ったことがある人なんて、滅多にいませんよね。

私もイグアナを飼うなんて想像もできませんが、この本を開いたら、イグアナ飼育をリアルに体験することができるんです。現代の日本で、イグアナを飼育しようと思ったらどんな騒ぎになるのか、本当によくわかります。

そして、そりゃもう面白くて、どんどんページをめくりたくなるんです。

そんなサイコーに面白いイグアナの話とヨガが、いったいどんな関係があるのでしょうか。
皆さんと、考えていきたいと思います!

たくさんの賞を受賞しているイグアナくん

著者の佐藤多佳子さんは、1962年生まれ。児童文学や童話から、一般小説まで幅広く手掛けている現役で活躍中の小説家です。

『サマータイム』や、『九月の雨』、『黄色い目の魚』、『一瞬の風になれ』など数多くの著書を出しており、月刊 MOE 童話大賞や、吉川英治文学新人賞、本屋大賞、小学館児童出版文化賞、山本周五郎賞など様々な賞を受賞されています。

本作『イグアナくんのおじゃまな毎日』でも、産経児童出版文化賞、日本児童文学者協会賞、路傍の石文学賞を受賞しました。

それもそのはずとうなずける名作です。

押しつけられたイグアナ

砂の上に佇む緑のイグアナ
主人公は、小学五年生の小竹樹里。物語は、樹里の11歳の誕生日から始まります。

樹里が、ひそかに、徳田のジジイと呼んでいる親戚の大大叔父から、とんでもないプレゼントを押し付けられてしまったのです。

それは、生きたイグアナでした。

徳田のジジイは、樹里のパパが英語の先生をしている私立中学の理事長をしています。

目のくらむほどの寄付金を出して、学校を自分のものにして、気に入らない先生はじゃんじゃんクビにしちゃうのです。

徳田のジジイを怒らせると、パパはクビになってしまうので、小竹家にとって徳田のジジイは、絶対に怒らせたらいけない存在でした。

その徳田のジジイがお誕生日プレゼントだと言って、樹里にイグアナを押しつけてきたのは、徳田のジジイ孫の勉が、イグアナを飼うのが面倒くさくて飽きてしまったからでした。

でも、そのイグアナは、徳田のジジイがへいこらしているとてもエライ鈴木博士という人からもらったものだったので、簡単に捨てるわけにいかなかったのです。

そこで、樹里の誕生日プレゼントということで、小竹家に押しつけてきたというわけでした。

小竹家は、ちょうどリフォームで、綺麗なサンルームを増築したばかりでした。徳田のジジイが言うには、そのサンルームがイグアナ育てにうってつけだというのです。

日当たりが良いので、日光浴が必要なイグアナは、サンルームにいれば、たっぷり日を浴びることができますし、エアコンがあるので、25度以上40度以下で暮らさないと生きていけないイグアナのために、室内温度を常にキープしておけます。

また、4畳半ある小竹家のサンルームなら、2メートルを超す巨大な生き物になるトカゲでも、余裕たっぷりに暮らすことができそうでした。

というわけで、イグアナは小竹家で暮らすことになったのです。

パパは、徳田のジジイが、樹里の誕生日プレゼントにとイグアナを持ってくることを前もって知っていました。

けれども、パパは、クビになるのが怖くて、イグアナ飼育を断ることができなかったのです。ママは、そんなパパを大声でせめたてます。

「なんて人なの! わたしがヘビとかトカゲとか、だい、だい、だい、だい、だいっきらいなの知ってるくせに! いやよ。いやよ。わたしは絶対に世話なんてしないわよ! 見るのもいやよ。ウチにいるってだけでもいやよ。わたしのきれいな大事なサンルームにいれとくのは絶対いやよ!」
(『イグアナくんのおじゃまな毎日』)

そんなママに、パパも負けずにどなります。

「オレだって、イグアナなんか、ぜんぜん、ほしかないよ! サンルームでゆっくり本を読みたいのに、あんなのにじゃまされたくないよ。だけど、しかたないじゃないか! 人間、金がないと生きていけないんだぜ!」
(『イグアナくんのおじゃまな毎日』)

そして、パパは、あれは樹里が誕生日プレゼントにもらったもんなんだから、樹里が育てるようにと怖い顔で言い渡します。

その日は、樹里の誕生日だったというのに、イグアナのせいで気が動転した両親は、樹里の誕生日をごちそうでお祝いするなんてケロリと忘れてしまいます。

それどころか、夕食にもありつけないありさまで、ひっどい話だと樹里はプンプンして思います。

こうして、サイコーにお邪魔なイグアナが、小竹家にのさばることになったのです。

イグアナ暮らしも変化する

葉っぱを食べているイグアナ
徳田のジジイにだまされて押しつけられたイグアナの世話は、想像を上回る大変さでした。

何しろ、学校に行く前に、イグアナサラダとかいう手のかかるサラダを作ってやって食べさせてやらねばなりませんし、トイレの掃除だってしなくちゃいけません。

おまけに、イグアナが手に登ってくると、イグアナのツメにひっかかれて、腕がミミズばれになって痛いったらないですし、イグアナを飼っていることが友達にバレてしまい、クラスじゅうのウワサになって、イグアナ女だなんてからかわれてしまいました。

樹里はイグアナにヤダモンと名前をつけて、イヤイヤ世話をしてきましたが、だんだん我慢ならなくなってきました。

「動物のーうんと手のかかる動物のー世話をしたことある人ならわかると思うけど、三日やるのと、三十日やるのと、まるっきりちがうってこと。もう、あたし、目覚まし時計が六時に鳴ると床にぶんなげちゃうし、コマツナなんか丸ごとエサ皿におしこんでやりたくなるし、緑色のウンチを見ると……!」
(『イグアナくんのおじゃまな毎日』)

そして、ついに大事件が起きます。

その日、朝寝坊した樹里は、ヤダモンのエサを大急ぎでサンルームに置きに行って、家を飛び出して学校に行ったため、うっかりサンルームのドアを閉めるのを忘れてしまったのです。

すると、ヤダモンは、家族の留守中に、家の中に進出し、ありとあらゆるもの…リビングの植木や、サイドボードの置物、テーブルワゴンの調味料、ソファのクッション、ガスレンジの上のみそ汁の残った鍋、ママが命の次の大事にしていたマイセンの陶器の人形のカケラ、ママのお高い洋服の数々…などをめちゃくちゃに壊しまくってしまいました。

パパは樹里をぶち、樹里は大声で泣きわめき、ママは樹里をかばってパパにつかみかかりました。そして、パパとママは、プロレスみたいに暴れながら、大げんかをしたんです。

両親のケンカがあまりにも激しすぎて、樹里は泣くのをわすれて、ポカンとしてしまいます。

「ばかじゃないの?ウチは、前は、もうちょっとは、マシな家庭だったと思うな。イグアナのせいで、パパもママもあたしも、どんどんアホウになっていくね。最低だね」
(『イグアナくんのおじゃまな毎日』)

この時、樹里は、ヤダモンを捨てようと決心し、真夜中にヤダモンを袋につめこみ、こっそり捨てにいきます。

全てのものは変化する

女性の肩に乗り横を見る大きなイグアナ
ところが、樹里はヤダモンを捨てることができませんでした。

その日は4月でしたが、夜はまだまだ寒く、こんな外に置いておかれたらイグアナは間違いなく死んでしまうだろうと思われる寒さでした。

イグアナを歩道に置いた時、その姿はあんまりにも頼りなく、哀れで、とてもそこに置いてはおけなかったのです。

イグアナが外でも大丈夫な季節…8月の夜にでも捨てにいこうと思って、樹里はヤダモンを連れて帰ってきてしまったのです。

両親は、真夜中に樹里とヤダモンがいなくなっているのを発見し、大騒ぎをしてパジャマで、外を駆け回って、樹里を探していました。

両親は、帰って来た樹里をイグアナごと抱きしめます。

そして、その日を境に、小竹家は少しだけ変化しました。

例えば、両親は、樹里に押し付けていたヤダモンの世話を手伝ってくれるようになりました。

また、パパは、サンルームを、どうせイグアナがいて熱いって決まっているんだから、楽しい熱帯の部屋にしようなんて言い出して、サンルームに熱帯の植物を置いたり、デッキチェアを持ち込んだり、ブラジルの音楽をかけたりして、そこで海パン1枚で日光浴をするようになったのです。

そして、樹里もまたヤダモンに対する気持ちが変わりました。

「あの夜から、心をいれかえたの。ヤダモンを見る目が変わったの。なんてのかな。ヤダモンは、徳田のジジイのペテンにかけられて無理やりおしつけられたイグアナーから、寒い夜にこごえたり迷子になって死んじまうところをたすけたイグアナーになったの。自分が捨てにいったのにって? それ、いいっこなしね。だって、捨てっぱなしにできたのにちゃんと持って帰ってきたんだからね」
(『イグアナくんのおじゃまな毎日』)

この日から、樹里は夏休みの宿題にイグアナの観察日記を書いたり、イグアナのことを調べたりして、ヤダモンとの距離が縮まっていきます。

また、クラス1クールな日高君がイグアナ好きだったと判明し、日高君とイグアナフレンドになったりもします。

小竹家の状況は、全く変わっていないわけです。相変わらず、綺麗な新しいサンルームには、イグアナがのさばっていて、邪魔をしているのです。

それなのに、樹里をはじめ、パパとママの気持ちも変わってきました。それによって、あんなにイライラしていた生活も、だんだんと悪くないものに変わっていきはじめたのです。

サンスクリットの言葉に、「人は心なり。束縛あるいは解脱は汝自身の心中にあり」とあります。

これは、まさしく、「人は心なり。イグアナがお邪魔になるのも、大事なイグアナになるのも、小竹家の心中にあり」とでも言いかえることができるでしょう。

心の持ちよう1つで、イグアナはお邪魔にもなるし、大事なイグアナにもなるのです。

心の持ちよう1つで、樹里の生活を束縛するイヤなイグアナが、樹里が日高君と仲良くなるきっかけをくれたりする大事なイグアナに変わっていったりするのです。

樹里の心の変化はヤダモンにも通じたのでしょう。あんなに家じゅうを荒らしまわっていたヤダモンだったのに、樹里がヤダモンを受け入れ始めると、家を荒らすのをやめて、そのかわりに、寝ている樹里のお腹の上に乗ってくるようになりました。

そして、とても素敵な緑の夢を樹里に見せてくれるのです。

お邪魔なイグアナが、大事なイグアナに変わったことで、樹里の生活がどんなに楽しく変化していったかということについては、くわしくはぜひ、本を読んで下さい。

この本を読む前は、イグアナを飼育するなんてとんでもないって、多くの人が思っていますよね。私だって思います。

けれども、不思議ですね。この本を読むと、樹里と一緒にイグアナ飼育に苦労し、イグアナのことで大騒ぎをしたり、泣いたりし、そして、イグアナを通じてどんなにステキなものをもらえるか、その全てをそっくり体験することができるんです。

だから、樹里と共に、イグアナへの意識は変わっていってしまうんです。

解説の中で、上橋菜穂子さんがこんな風に書いています。

「自分で飼うのはタイヘンだけど、でも、ちょっと、イグアナくんと暮らしてみたいかも、と思う人は、ぜひ、読んでみてください。めっちゃくちゃタイヘンな経験をしたあとで、爆笑し、胸が熱くなる、幸せなひとときを「体験」できることを保証します!」
(『イグアナくんのおじゃまな毎日』 解説)

この言葉が、この本の全てを語っていると私は本当にそう思います。みなさん、ぜひ、この本を手に取って、イグアナ暮らしを体験してみて下さい。

著 佐藤多佳子 『イグアナくんのおじゃまな毎日』偕成社(2009年)