川沿いのデッキで肩を抱き合って座る親子の背中

「ぼくは川のように話す」~美しい言葉で概念から解き放つ~

こんにちは!丘紫真璃です。今回は、今話題の「ぼくは川のように話す」を取り上げてみたいと思います。

この作品は、カナダの詩人ジョーダン・スコットが自分の実体験を元に書いた絵本で、吃音※1に悩んでいた彼により、選りすぐりの美しい文章が紡がれています。

吃音と聞くと、どうしてもマイナスのイメージを持ってしまいがちですが、この絵本を読むと、吃音がハッとするほど美しいものに思えてしまうから不思議です。

そんな絵本とヨガは、どのように結びついてゆくのでしょう。早速、皆さんと考えてみたいと思います。

  • ※1 吃音:きつおん。発話障がいの1つ。話す際に最初の1音がでない、話している最中に言葉が止まってしまう、出しにくい言葉があるなど、滑らかに話すことができない。

吃音の作者が実体験から生み出した絵本

この絵本の作者であるカナダのジョーダン・スコットは、幼少期から吃音に悩まされてきました。

幼少期には20人に1人が体験するという吃音は、成人してからも100人に1人は、その症状に悩まされていると言います。

そんな吃音を取り上げた美しいこの絵本は、「障害を持つ体験を芸術的な表現としてあらわした児童書」に贈られるシュナイダー・ファミリーブック賞を受賞しました。

ジョーダン・スコットの美しい文に絵をつけたのは、シドニー・スミス。カナダ総督文学賞や、ケイト・グリーナウェイ賞、エズラ・ジャック・キーツ賞を受賞している名画家で、みずみずしく美しい光と水を見事に絵本の中に再現してみせてくれています。

ハッとする美しさに胸打たれる、大人のための絵本です。

お前は、川のように話しているんだ

山間を流れる川の風景

朝、目をさますといつも、ぼくのまわりはことばの音だらけ。
そして、ぼくには、うまくいえない音がある

(「ぼくは川のように話す」)

このように始まる絵本は、吃音の少年が主人公です。

学校でもからかわれたり笑われたりするため、とても肩身の狭い思いをしていて、授業中も先生に当てられたらどうしようと、いつもビクビクしています。

毎朝1人ずつ、世界で1番好きな場所について話すことになっているのですが、少年はどうしてもうまく口が動かず、思ったことを話すことができません。

そんな少年を、お父さんが川に連れていきます。

おとうさんは、ぼくの顔を見て、かたをだきよせ、川をゆびさした。
「ほら、川の水を見てみろ。あれが、おまえの話し方だ」
見ると、川は……
あわだって、なみをうち、うずをまいて、くだけていた。
「おまえは、川のように話しているんだ」

(「ぼくは川のように話す」)

「川だって決してなめらかに流れているだけじゃない。川だってどもってる。」

少年は、そんな新しい発見をし、とても勇気づけられます。

発想の転換

言葉を発する少年の横顔とアルファベットのグラフィック
吃音は治すべきものだと多くの人が思っています。

この絵本のあとがきにも書いてあるのですが、吃音に悩んでいた作者に対して、言語療法士さんは「きみのめざす目標は、流れるように話すことだ」とよく言っていたそうです。

けれども、川は決してサラサラ流れているわけではありません。

この絵本が教えてくれる通り、川は泡立ち、波を打ち、渦を巻いてくだけながら、海へ向かって流れていくのです。つっかえたりどもったりしながら、海へと目指して流れていくのです。

作者は、川を見ているうちに、“流れるように話す”ということについて違う考え方を持つようになります。

サラサラとなめらかに話すことだけが「流れるように話す」ではないかもしれない。どもっている自分のしゃべり方だって、川のように話していると言えるのかもしれない。

そう思った作者は、あとがきでこんな風に言っています。

ぼくはときおり、なんの心配もなくしゃべりたい、「上品な」「流暢な」と言えるような、なめらかな話し方であればいいのに、と思います。でも、そうなったら、それはぼくではありません。
ぼくは、川のように話すのです

(「ぼくは川のように話す」 ぼくの話し方)

「吃音は治さなければならない困った症状ではなくて、これが僕の話し方であり、僕の個性なのだ。このしゃべり方がなくなってしまったら、それはもう僕は僕と言えないのだ」と作者ははっきりと言い切ってしまいます。

「障がいは個性だ」という言葉を耳にしますが、この絵本を読み、このあとがきを読むと、本当にそれを肌で実感することができます。

僕のしゃべり方は困った「吃音」ではなくて、「川のように話しているんだ」というこの発想の転換。

ここに、ヨガとの結びつきを見ることができるのではないでしょうか。

吃音はダメというイメージからの解放

千切れた鎖の間から海に向かって飛び立つ複数の鳥
最初、作者は「吃音はダメ」という考えにがんじがらめに縛られています。

どもってしか話せない自分がみじめで恥ずかしくて、クラスメイトの前で、世界で1番自分が好きな場所を話すこともできません。

けれども、お父さんの「お前は川のように話しているんだ」という素晴らしい1言で、作者の縛りは見事にほどかれてしまうのです。

泡立ち、波打ち、どもりながらも堂々と流れていく川を見て、どもってしまう自分の話し方はダメではなかったのだと、気持ちがとても明るくなります。

吃音はダメなものだからつっかえずに話さなければならないんだという縛りからの解放。

これは言うまでもなく、ヨガそのものですよね。こうでなくちゃいけないという概念から自由に解き放たれるのがヨガなのですから。

「つっかえたりどもったりせずに、美しい声で流暢にハキハキと話せるほうが絶対いい」と、誰だって思います。私達は知らないうちに、“流暢にキチンと話さなくてはいけない”という縛りの中で暮らしているのではないでしょうか。

けれども、この絵本はそんな私達の縛りを、美しい言葉1つで解き放ってくれるのです。

吃音にあるマイナスのイメージを打ち壊してくれるのです。

吃音は「かわいそうだし、大変そうだ」というイメージを力強く覆して、むしろ、吃音は「川のように話す美しいものなんだ」と、そこまで吃音のイメージを美しく変えてくれる、魔法のような絵本なのです。

あとがきで、作者は私達にこう問いかけます。

少し注意して、自分の話しぶりに耳をかたむけてみてください。どう聞こえますか? 話す感覚に意識を集中すると、なにが起きるでしょう? 言葉はあなたの体のどこにあると感じますか? 言葉を切ったり、ためらったりせずに話していますか? つかえたり、言葉をわすれたり、そもそも、なんと言ったらいいかわからなかったりしませんか? ときには、話すことをさけていませんか? まったく口をききたくないときがあるのではないですか?

(「ぼくは川のように話す」 ぼくの話し方)

私達だって、流れるようになめらかに滑舌よく話せているわけではありません。

そして、1人1人それぞれ、違う話し方をしているのです。

吃音の方も、同じようにどもる方はいなくって、1人1人、みんなちがうどもり方をするそうです。

みんなそれぞれ、自分なりの川を体の中に持っていて、自分なりの川の流れの通りに話しているのです。

吃音はこわいくらいに美しいと言い切る作者が、私達に贈ってくれた「ぼくは川のように話す」。

手元に置いて絶対に後悔はしない1冊だと思います。

参考資料

  1. ジョーダン・スコット著 シドニー・スミス絵 原田勝訳『ぼくは川のように話す』偕成社