夕焼け空を背景にした鎖と鳥のシルエット

「モンテ・クリスト伯」~待て しかして希望せよ~

こんにちは!丘紫真璃です。

今回は、壮大な復讐劇として有名な「モンテ・クリスト伯」を取り上げたいと思います。

日本では「巌窟王」の名前で昔から親しまれてきたこの物語は、最近ではテレビドラマにもなりましたので、ご存じの方もかなりいらっしゃると思います。

無実の罪で14年間も土牢の中に閉じ込められた男が、巨万の富を得て自分を貶めた人々に恐ろしい復讐をしていくという壮大な復讐の物語なのですが、この物語の中にヨガとの共通点も見いだせるのではないかと思うのです。

それでは!モンテ・クリスト伯のゾクゾクする復讐劇をのぞきにいきましょう!

モンテ・クリスト伯とは

薄暗い牢屋
「モンテ・クリスト伯」は、フランスの小説家アレクサンドル・デュマによって書かれた
全7巻にもおよぶ壮大な復讐劇の物語です。

舞台は1815年2月、ナポレオン・ボナパルトがフランス帝国の皇帝位を奪われてエルバ島へ追放されていた頃の物語ですから、ずいぶん昔の話ですね。

けれども、全然古さを感じさせず、現代の日本でもゾクゾクしながら読み進められてしまうのが、「モンテ・クリスト伯」の大きな魅力です。

14年もの間、無実の罪で土牢の中に閉じ込められていたという恐ろしい不幸を味わった男が主人公なのですが、これは実話を元にして作った小説だったようです。

実際に、友人たちによる偽りの密告で逮捕されたピエール・ピコーという男がおり、この男は7年間もの間収監されていたのだそうです。釈放後、ピコーは様々な人物に扮しながら、自分を貶めた友人達を次々に殺していったそうで、これを知ったデュマは、内容を膨らませて「モンテ・クリスト伯」を書きました。

無実の罪で、窓も光もない暗牢の中に14年間も閉じ込められるなんて、今でもゾッとするような前代未聞の不幸です。

そんな不幸に見舞われた男が巨万の富を得て行う復讐劇。思わずそそられながら読んでしまうこと受け合いです!

壮大な復讐劇

人影に刺さるナイフ
物語の始まりは1815年2月。ナポレオン・ボナパルトがフランス帝国の皇帝位を奪われてエルバ島に追放されていた頃。主人公のエドモン・ダンテスは19歳。これから船長を任されることになった上、メルセデスという美しい婚約者もおり、未来は明るく開けているかに見えました。

ところが、ダンテスが船長になったことを妬んだダングラールという男と、メルセデスのことが好きだったフェルナンという男の2人が共謀して、ダンテスを貶めようと嘘の密告書を書きます。それは、ダンテスが、ナポレオン・ボナパルトをフランス皇帝に復活させようとしている恐ろしい「ボナパルト党」だという密告なのでした。

ルイ18世が王座についていた当時、ナポレオン・ボナパルトを皇帝に戻そうと働く「ボナパルト党」は政治犯として逮捕されてしまっていたのです。

しかし、ダンテスは「ボナパルト党」というわけではありません。ただ、船長の命令でエルバ島に行ってナポレオン・ボナパルトに会い、そこで手紙を託されたというだけなのです。

彼は、その手紙の中身もまるで何も知りませんし、ボナパルト党の運動にも関わったことなど1度もありませんでしたが、ダングラールとフェルナンの作成した嘘の密告書により、ダンテスは逮捕されてしまいます。

本当ならば、ダンテスはボナパルト党に何も関係がないのですから、簡単に釈放されるはずでした。しかし、ダンテスを取り調べた検事代理のヴィルフォールは、ダンテスを政治犯が収容されるシャトー・ディフに裁判なしで投獄します。

というのも、ダンテスが託された手紙の宛先が、ノワルティエという人物であり、そのノワルティエというのは、ヴィルフォールの父親だったからです。ノワルティエこそはボナパルト党のリーダーなのでした。

父親がそんな存在だと世間に知られたら身の破滅につながると恐れたヴィルフォールは、ダンテスが預かった手紙を焼いてしまい、その手紙のことを誰にも口外してはならないと言い渡します。その上、その手紙の宛先を知るダンテスを投獄してしまったというわけです。

今の世の中ではありえませんが、当時はそんなこともあったのですね。

そんなわけで、シャトー・ディフに収容されたダンテスは、窓もなく光もささない土牢の中に閉じ込められてしまいます。

どんなに抵抗しても聞き入れてもらえず、全くそこから出してもらえないダンテスの苦しみは想像を絶するものです。もういっそのこと死んでしまおうかとさえするダンテスですが、隣の土牢に、やはり無実の罪で閉じ込められていたファリア司祭という老人に救われます。司祭は、牢の土壁を掘って、ダンテスの牢とつなげてトンネルを作ったのでした。

この司祭は驚くほど聡明で、ダンテスのグルのような存在となります。司祭は、ダンテスに様々な学問を教えてやり、彼は見違えるような知性を身につけるようになります。

ところが、そんな司祭はある日、病の発作に倒れてしまいます。そして司祭は、モンテ・クリスト島の洞窟に財宝が隠されているということをダンテスに教え、息を引き取ります。

司祭の死を悲しむダンテスですが、司祭の亡骸と入れ替わって脱獄するという大胆な計画を思いつき、実行します。

様々な冒険を見事に乗り越えて、ついに外の世界に脱出したダンテス。モンテ・クリスト島の財宝を見つけてわが物にし、いよいよ、自分を貶めた3人への復讐を始めることとなるのです……!

悔恨と許し

苦悩する男性のシルエット
14年間もの土牢の中に閉じ込められ、やっとの思いで脱獄したダンテスですが、父が飢え死にしたこと、婚約者のメルセデスが自分の敵であるフェルナンと結婚したことを知り、復讐の思いをますます強めます。

そうして9年後。モンテ・クリスト伯という名前に変わってパリに乗り込み、かつて自分を貶めた3人に次々に恐ろしい復讐をしていく様子が7巻にも渡って描かれていきます。

その復讐の模様こそが、この物語のだいご味ではあるのですが、ここで少し巻き戻って、ダンテスの心持ちについて、よくよく考えてみることにしましょう。

無実の罪で土牢にぶち込まれ、14年間もの間、そこから出ることができなかったのですから、そんな時に「心が荒れないようにしろ」なんて言う方が無理でしょう。怒り、悲しみ、悔しさ、絶望。自殺を考えてしまうのも全くムリはない話です。

ファリア司祭と彼自身の機転により脱獄を果たした時、ダンテスは、自分を不幸な目にあわせたやつらを、復讐してやろうと誓います。巨万の富を手に入れたのですから、ゾクゾクするような恐ろしい復讐をいくらでもしてやれるというわけで、ダンテスが復讐を決心するのも、これまた誰もがうなずける話です。

ダンテスは復讐している時の心持ちをこう語っています。

「ひと時たりとも心のしずまる折がなく、わたしはまるで、呪われた町々を焼くための天かける焔の雲とでもいったようにあとからせきたてられているといった気持ちでした」

(「モンテ・クリスト伯7巻」)

ダンテスは、何かにせきたてられるように恐ろしい復讐に走ったのです。

ダンテスが仕掛けた復讐により、彼を貶めたフェルナン、ヴィルフォール、ダングラールは、次々と恐ろしい不幸に陥ります。そして、その不幸は波のように広がり、ダンテスの投獄から23年の間に家庭を築いていた彼らの家族達にも及んでいきます。

ところが、罪のない彼らの家族達までもが、ダンテスの復讐により恐ろしい不幸に陥ってしまったのを目の当たりにした時、ダンテスは「自分にここまで復讐する権利があったんだろうか」と悩み始めます。

ダンテスは、ファリア司祭の授けてくれた知性と巨万の富とで、怖いものなしのモンテ・クリスト伯となっていました。自分のことを復讐の神のように思っていたのです。

しかし、自分のせいで罪のない人々が苦しむのを見て悩み苦しんだダンテスは、やがて自分もまた許されなければならない罪人の1人だと悟ります。

そして、フェルナン、ヴィルフォールの復讐をやり遂げた後、最後の1人のダングラールが今にも飢え死にするという寸前で復讐をやめます。そして、ダングラールを殺さずに生かしておいてやり、こう語りかけます。


「わたしはあなたによって父を飢え死にさせられた男であり、そのためあなたを飢え死にさせようとし、しかもいま、あなたをゆるしてあげようという男なのです。それは、このわたし自身、ゆるされなければならない男だからです」

(「モンテ・クリスト伯7巻」)

待て、しかして希望せよ

トンネルの先に見える光に向かって歩く人の姿
自分を不幸のどん底に叩き落した相手のことを恨むなというのは、全く無理な話です。ダンテスのような目にあっては誰だって、その相手を全力で恨みたくなるでしょう。

しかし、「ヨガ・スートラ」は、他でもない自分のために恨むのをやめなさいと言います。

相手のためではありません。恨みや憎しみを持っていると、自分の心が荒れ狂い、絶えずかき乱されて苦しいから。自分の心を楽にするために、恨みというものを横に置いてしまいなさい。恨みや悪者といったものから距離を置いて離れなさいと言っています。

不幸と絶望の中に叩き落されて、相手を憎まず恨まずにいろということは、ものすごくむずかしい話です。ですが、この恐ろしい体験を潜り抜けてきた最後、ダンテスは手紙に書いています。

「この世には、幸福もあり不幸もあるように見える。でも、ただ在るものは、一つの状態と他の状態との比較にすぎないということなのです」

(「モンテ・クリスト伯7巻」)

不幸のどん底に突き落とされたら、絶望以外何も見えなくなってしまいます。絶望の暗闇から抜け出す手立てがあるなんて、絶望のさなかにはとても思えません。

しかし、不幸の状態は永遠に続くわけではなく、また変化します。状況が変化し、暗闇の中に光が差してくることだってあるんです。

だから、ダンテスはこう手紙に書きます。

「人間の智慧はすべて次の言葉に尽きることをお忘れにならずに。待て、しかして希望せよ!」

(「モンテ・クリスト伯7巻」)

不幸のどん底にいても、強い気持ちで希望を信じること。これこそが大事だと、様々な辛苦をなめてきたダンテスは言い切ります。

それは、ヨガ的に言えば、どんな時でも心を落ち着かせて光を信じて平静でいよう……ということといえるのかもしれません。

待て、しかして希望せよ!」という言葉は、恐ろしい体験の数々をくぐりぬけてきたダンテスが言うからこそ、少しもウソくさくなく響きます。

そして、この7巻にもおよぶ読書の中で、ダンテスと共に絶望を味わい、復讐に走った読者の心にもその言葉は、ズドンと響くのです。

ナポレオンの時代にも、そしてコロナ禍の今にも、さらにどうなるかわからない未来にも。いつの時代にも、その言葉は大切となってくるのではないでしょうか?時代を超えたメッセージを発しているからこそ、「モンテ・クリスト伯」は時代を超えて読み継がれているのでしょう。

おうち時間で読書にハマってきたという方がいらっしゃったらぜひ、「モンテ・クリスト伯」全7巻にも挑戦していただきたいと思います!

参考資料

  1. 『モンテ・クリスト伯(七)』(1956年:アレクサンドル・デュマ著/山内義雄訳/岩波書店)