人魚姫が求めたプルシャ -恋をするならば人魚姫のように-

こんにちは!丘紫真璃です。今回はあまりにも有名すぎる童話「人魚の姫」を取り上げてみたいと思います。

人魚姫といえば、ご存じの通り、デンマークの童話詩人アンデルセンが書いたもので、美しい人魚のお姫さまが人間の王子様に恋をするお話ですが、実際にアンデルセンの書いた「人魚の姫」をじっくり読んだことはないという方もいらっしゃるのではないかと思います。

中には、ディズニー映画の「リトル・マーメイド」しか見たことがないという方もいらっしゃるのではないでしょうか?

ディズニー映画の「リトル・マーメイド」は、もちろん楽しくてワクワクする名作映画なのですが、今回は、アンデルセンの「人魚姫」を取り上げたいと思います。

それでは、デンマークの海の底の世界へ! 人魚姫に会いにゆきましょう。

アンデルセンの傑作「人魚の姫」とは

著者のハンス・クリスチャン・アンデルセンは、1805年にデンマークで生まれました。

童話文学の父とも呼ばれる人で、アンデルセン以前、童話文学は全く盛んではありませんでした。子どもに向けた童話というものはほとんど書かれてこなかったのです。

しかし、1812年にグリム兄弟が民間で口伝えに伝えられている童話を収集して発表した「子供と家庭の童話」という本を皮切りに、子ども向けの童話文学の気運が高まります。そんな中、アンデルセンが登場し、美しくイキイキとした童話を数々発表したのでした。

「おやゆび姫」や、「マッチ売りの少女」など、アンデルセンの有名すぎる童話はいくつもありますが、「人魚の姫」こそは、アンデルセンの名声を決定づけた傑作中の傑作といえるでしょう。

人魚の作品を扱った作品は他にも数多くありますが、人魚といえばアンデルセンと世界中の誰もが思うくらい、アンデルセンの人魚姫が群を抜いて人気だと言えると思います。

深い海の底に住んでいる美しい人魚のお姫さまの恋物語を、哀切のこもった優しく美しい語り口で、目に見えるようにイキイキと描き出したアンデルセンの「人魚の姫」は、私が今さら言うまでもありませんが、じっくりと何度でも読みたい童話の傑作です。

いつまでも死なない魂


あらすじを今さらご説明することはないでしょう。

主人公の人魚姫は、「教会の塔を、いくつもいくつも、積み重ねた」よりももっと深い海の底に、人魚の王様であるお父様と、5人のお姉さま達、そして、人魚のおばあさまと共に、サンゴと琥珀と真珠でできた見事な海のお城に住んでいます。

美しい人魚のお姫様は、おばあさまやお姉さまから話を聞く海の上の世界……つまり、陸の世界にあこがれています。15歳になったら海面から顔を出して、陸の世界を見ても良いと言われているため、15歳になる日を心待ちにしています。

そして、15歳の誕生日を迎えた日、人魚姫は運命の出会いをするわけです。海面から顔を出した人魚姫は、船の上で16歳の若い王子様がお誕生日パーティ―を開いている様子を目撃するのです。そして、みなさんよくご存じの通り、人魚姫はこの若い王子様に一目で恋をしてしまいます。

どうしても王子様のことが忘れられない人魚姫が、魔女のもとへ出向き、自分の美しい声と引き換えに、人間の娘になる魔法の薬をもらう……という展開は、ディズニー映画もほぼ同じだったと思います。

ただ、ここでディズニー映画とアンデルセン童話との大きな違いが1つあります。人魚姫が、人間の娘になりたい理由です。

確かに、人魚姫は王子様に一目で恋をしてしまったのですが、王子様と一緒になりたい理由はそれだけではないようなのです。人魚姫のおばあさまは、人魚姫にこんな話をします。

「わたしたちは、三百年も生きていられるね。けれども、死んでしまえば、わたしたちは、あわになって、海の面に浮いて出てしまうから、海の底のなつかしい人たちのところで、お墓を作ってもらうことができないんだよ。わたしたちは、いつまでたっても、死ぬことのない魂というものもなければ、もう1度生れかわるということもない。(略)

ところが、人間には、いつまでも死なない魂というものがってね。からだが死んで土になったあとまでも、それは生きのこっているんだよ。そして、その魂は、すんだ空気の中を、キラキラ光っている、きれいなお星さまのところまでも、のぼっていくんだよ」 

(「人魚姫」より)

それに対して、人魚姫は、こう答えます。

「あたしの生きていられる、何百年という年を、すっかりお返ししてもいいから、そのかわり、たった1日だけでも、人間になりたいわ。そして、その天国とかいうところへのぼっていきたいわ」

(「人魚姫」より)

ところが、「いつまでも死なない魂」を、人魚姫が手に入れることのできる方法が、1つだけあるというのです。

それは、人間の中のだれかが人魚姫のことを好きになって、人魚姫と結婚をしてくれたら……その時、その人の魂が、人魚姫のからだの中に伝わって、「いつまでも死なない魂」を人魚姫も授かることができるというのです。

王子様に恋をしていた人魚姫は、王子様と結婚をし、「いつまでも死なない魂」を手に入れたいと願います。

そういうわけで、魔女のもとに出かけていき、自分の美しい声と引き換えに、人間の娘になる魔法の薬を手に入れようとします。

アンデルセンの人魚姫の悲劇


ただし、その魔法の薬には副作用がありました。薬を飲んで、人間の娘になることができても、王子様が他の女性と結婚してしまったら、次の朝には死んで水の泡とならなければならないというものです。

それでも、人魚姫は魔法の薬を飲んで人間の娘になり、王子様のお城へ行くのです。

王子様は、美しい人魚姫のことを、とてもかわいがってくれます。しかし、王子様が心の中でずっと想っている人は、別の女性だということが、だんだんにわかってきます。

以前、王子様が、嵐で難破した船から海に投げ出され、死にかけた時、王子様を海岸まで連れて行って、王子様の命を救ったのは、人魚姫でした。しかし、王子様はそのことを知らず、自分の命を助けてくれたのは、別の女性だと思いこんでいました。

王子様は、自分の命を助けてくれた(と王子様が思っている)女の人が、どこの誰なのかわからずにいましたが、とうとう、その人と出会ってしまい、結婚することに決めます。

人魚姫は、死ななければならないことになってしまったのです。これも、ディズニー映画との大きな違いですね。

ところが、いよいよ死ななければならないという直前の夜、人魚のお姉さまが海からやってきて、人魚姫に1振りのナイフを渡します。

それは、お姉さま達が、自分達の髪の毛と引き換えに魔女からもらったナイフでした。それで王子様を殺してしまえば、人魚姫は人魚に戻ることができ、また海で暮らせるようになるから、早く王子を殺してしまえと言うのです。

人魚姫は、ナイフを手に持ち、王子様の寝ている枕元に忍び寄ります。

お姫さまはするどいナイフをじっと見つめました。それから、また目を王子にむけました。王子は夢の中で、花嫁の名前を呼びました。ほかのことは、すっかり忘れて、王子の心は、ただただ花嫁のことでいっぱいだったのです。人魚のお姫様の手の中で、ナイフがふるえました。

 しかし、その瞬間、お姫さまはそれを遠くの波間に投げすてました。すると、ナイフの落ちたところが、まっかに光って、まるで血のしたたりが、水の中からふき出たように見えました

(「人魚姫」より)

人魚姫は船から身をおどらせて、海の中へ飛び込み、水の泡となってしまいます。

恋する人の幸せをひたすらに祈って

人魚姫が手に入れたいと願った「いつまでも死なない魂」は、ヨガでいうプルシャのことではないでしょうか。

人魚姫は、王子様を一目で好きになってしまったので、どうにか結ばれたいと願いました。けれども、それと同じくらい人魚姫があこがれていたのは、「いつまでも死なない魂」……つまり、プルシャだったのです。

王子様が、別の女性と結婚してしまったばっかりに「いつまでも死なない魂」を手に入れることができず、水の泡となってしまったかに見えた人魚姫に、アンデルセンは、別のラストを用意していました。

そのとき、お日さまが海からのぼりました。やわらかい光が、死んだようにつめたい海のあわの上をあたたかく照らしました。人魚のお姫さまは、すこしも死んだような気がしませんでした。

明るいお日さまをあおぎ見ました。すると、中空に、すきとおった美しいものが、何百となく、ただよっていました。(略)そのすきとおったものの話す声は美しい音楽のようでした。といっても、人間の耳には聞えない、まことにふしぎな魂の世界のものでした。その姿も、人間の目では見ることができないものでした。(略)

人魚のお姫さまは、そのものたちと同じように、自分のからだも軽くなって、あわの中からぬけ出て、だんだん上へ上へとのぼっていくのを感じました。

(「人魚姫」)」

人魚姫は、空気の精となったのです。そして、あと300年、空気の精として、よい行いをいろいろすれば、死ぬことのない魂をさずかることができるらしいのです。

それを聞いた人魚姫は、生まれてはじめての涙を流します。

人魚姫は、家族を捨て、家を捨て、美しい声もあきらめてまで、王子様のもとに行きました。

おまけに、人間の娘として地上を歩いている間、人魚姫は、ナイフで切りつけられたような血のにじむような鋭い足の痛みを我慢しなければなりませんでした。そんな苦しみをしてまで、王子様と結ばれようとしたのです。

それなのに、王子様は別の女性と結婚してしまいました。うっかりしたら、王子様も、王子様の花嫁も恨むようになってしまっても無理はない展開といえるでしょう。

でも、人魚姫は、王子を恨み、花嫁を恨んで、グサグサと2人を突き刺すなどという事はせず、ナイフを投げ捨てるということを選びました。ナイフを投げ捨てたからこそ、人魚姫はプルシャを手に入れる道を開くことができたのですね。

自分が水の泡となってしまうというのに、それでもナイフを海の中に投げ捨てることができたのは、人魚姫が、自分が生き延びることよりも、もっと純粋に王子様の幸せを祈っていたからでしょう。

自分のことよりも相手の幸せを願って行動をすることが、結局は自分の喜びにつながっていくんだということが「ヨガ・スートラ」にも書いておりますが、そのことを考えても、人魚姫の恋こそは、非常にヨギー的な恋だといえるのではないかと思います。

パタンジャリも、恋をするのならば人魚姫のようであれと、言うのではないでしょうか?

よく知っている「人魚姫」の童話ですが、改めてじっくりと読み返してみると、アンデルセンの美しくイキイキとした描写力のおかげで、よく知っているストーリー展開のはずなのに、ひき込まれるように読みふけってしまいます。

アンデルセン童話は、子どもだけのものではありません。アンデルセンの物語は、どれも美しい詩のようで、大人のための童話ともいえると思います。

この夏、アンデルセン童話を開いて、デンマークの美しい海の底や、森の中、お城や、町などに遊びに行ってみるのはいかがでしょうか。

参考資料

  1. アンデルセン著、矢崎源九郎訳『人魚の姫』新潮文庫、昭和42年