語に見るヨガの心  VOL.9「曹源一滴水(そうげんのいってきすい)」

禅語に見るヨガの心:VOL.9「曹源一滴水」(そうげんのいってきすい)

「曹源一滴水」(そうげんのいってきすい)

「曹源」とは、禅宗の初代・達磨大師から6代目にあたる、慧能(えのう)禅師のこと。慧能禅師は、広東省の曹渓という渓谷に建立された法林寺で禅宗を大成させました。禅の教えは中国から始まり、やがて朝鮮半島、そして日本へと広がっていきます。それはまるで、曹渓の源にある一滴の水から、大いなる河へと広がっていくさまのようです。

禅にまつわるこんなお話

法眼宗の祖である法眼文益禅師に、ある僧が「如何なるか是れ曹源の一滴水」と問いかけました。間髪を入れず、法眼禅師はこう答えました。

「曹源の一滴水」

禅の神髄は曹源にあり

禅の根本精神として、「曹源一滴水」という言葉は広く用いられています。

問答からわかること

「一滴の水」については、こんなエピソードがあります。

岡山の曹源寺という寺に、儀山(ぎざん)禅師という方がいました。ある日、若い修行僧が風呂を沸かしていると、風呂に入ろうとした禅師が「熱いので水をうめるように」と言いました。修行僧が水をさした際に、桶に余った水を地面に捨てたところ、禅師は「その水を拾え」と厳しく叱りました。

禅の教えでは、一滴の水にも仏の命、仏性が宿っていると考えます。それを捨てることは、己の仏性を捨てることにつながるというのです。今捨てたその水を、もし木の根元に注げば、木々にうるおいを与えることになるでしょう。また、その一滴の水は、やがて大きな川となる源泉となるかもしれないのです。

若い修行僧は、儀山禅師の言葉に目覚め、自分に「滴水」という名をつけました。そして修行を積んで、京都・天龍寺の管長、滴水禅師となりました。「一滴の水」のエピソードから、その精神は師匠から弟子に引き継がれさらに大きな川へと育っていったのです。

ヨガと禅

川で水遊びしている両腕を上げた少年
一滴の水も、大河となって大地を潤すでしょう

あなたがヨガを始めたのは、どんなきっかけでしたか?

  • たまたま友達に誘われて、ヨガのレッスンに行った
  • 体の不調が続いた時、ヨガを人にすすめられた
  • 通っていたスポーツクラブにヨガのクラスができたので参加してみた

きっかけは一滴の水のように、小さなことから始まったのではないでしょうか。それが続けていくうちにレッスンが楽しくなり、だんだん生活の一部となり、さらに心の支えにもなり、やがてより多くの学びを求めて指導者の道を選ぶなど、一滴の水から大河へと発展させている方もいらっしゃることでしょう。

一滴の水に秘められている可能性、おろそかにせず大切にしたいですね。