地球儀を手に持ったクリシュナ神のイラスト

クリシュナ神の説く世界のしくみ:高次のプラクリティと低次のプラクリティ

みなさんは、宇宙のしくみを理解したいと考えたことはありますか。ヨガ哲学では、さまざまなアプローチで、この世の真実を解き明かそうとします。
教典『バガヴァッド・ギーター』の中でクリシュナ神は、宇宙を高次のプラクリティと低次のプラクリティという言葉で表現しました。
今回は、クリシュナ神の説く宇宙の仕組みを見ていきましょう。

高次のプラクリティと低次のプラクリティとは

クリシュナ神のイラスト

教典『バガヴァッド・ギーター』は、愛の神、またはヨガの神として知られるクリシュナ神が、私たちに真実の知恵を与えてくれる教典です。その中で、私たち自身の本質、世界の本質が何かを教えてくれています。

プラクリティとは

まずは、プラクリティという言葉について見ていきましょう。
“pra”は「始まり」「根源」を意味し、“krti”は「作る」という意味があります。
プラクリティとしての意味は、「自然」または「根本言質」と訳されます。英語の書籍では”nature”と翻訳されている場合が多いのですが、これは私たちがイメージする自然界を表しているのではなく、その世界を作り出した根本的な原理を意味しています。

ヨガとの関わりが強いサーンキャ哲学では、プラクリティを物質世界のあらゆる事象の根源だと考えます。それは、土や水といった物質として具現化したものだけでなく、思考や感情、音や光なども含みます。

一方、『バガヴァッド・ギーター』では、プラクリティをクリシュナ神のエネルギーとしても説明しています。クリシュナ神は、宇宙全体の意識であり、宇宙全ての根本原理(ブラフマン)と同等に捉えられます。つまり、クリシュナ神のエネルギーとは、この世界の全てを作り出し、維持し、破壊する力全てなのです。

低次のプラクリティとは

低次のプラクリティとは、私たちが生きる物質世界を作り出している要素です。それは地、水、火、風、空、意識、知性、自我意識の8つが含まれています。
これら8つのプラクリティは、常に変化し続け、無常なものです。変化し続け、永遠に留まることができないものですが、執着心を生み、私たちを束縛します。

高次のプラクリティとは

クリシュナ神の定義する高次のプラクリティとは、物質ではない霊性、魂の源となるものを意味します。それは私たち個々の内側に宿るジーヴァ、つまり魂のようなものです。
『ヨガ・スートラ』に出てくる言葉では、「プルシャ(真我)」に近いものです。

物質的な世界を作り出す低次のプラクリティ

地、水、火、風、空を表すイラストレーション

それでは、私たちが生きているこの世界をより深く理解するために、低次のプラクリティについて深掘りしていきましょう。
物質的な世界を作る低次のプラクリティには、8つの要素が含まれています。

地、水、火、風、虚空、意(マナス)、思惟機能(ブッディ)自我意識。以上、私の本性(プラクリティ)は八つに分かれている。(7章4節)訳 上村勝彦. 2018. 『バガヴァッド・ギーター』第34 刷. 岩波書店. p,70

地(bhūmiḥブーミ):プリティヴィの別名。固い、安定、重い特徴を持つ。嗅覚に関係。 水(āpaḥアパス):流動的、2つのものを結合する力、粘液質。味覚に関係。 火(analaḥアナラ):別名テジャス。熱、物事を変換する、光、軽い。視覚に関係。 風(vāyuḥヴァーユ):動き、軽さ、乾燥、呼吸。触覚に関係。 空虚(khamカーム):アーカーシャの別名。全てを包む空間。聴覚に関係。 意(manaḥマナス):心の働き。 思惟機能(buddhiḥブッディ):精神的な根本原理、正しい知性。 自我意識(ahankāraḥアハンカーラ): エゴ、自分自身を他者と別と考える概念。

直接的に物質を作り出す材料になるのは、地、水、火、風、空の5つです。世界のあらゆる事象や私たちの身体も5つの要素で構成されています。マナス・ブッディ・アハンカーラの3つは、サーンキャ哲学と共通している精神的なもので、物質として触ることはできませんが、物質への意識が向くことで生まれるものです。

私たちが見ているもの、感じているもの、その全ての元になっているのが、低次のプラクリティです。


魂としての高次のプラクリティ

人の手と青い光と数字のグラフィック

物質としての根本原理である低次のプラクリティに対して、生命を動かす原理が高次のプラクリティです。

私にはそれとは別の、ジーヴァ(生命)である高次のプラクリティ(物質的原理)があることを知れ。それにより世界は維持されている。(7章5節) 万物はこれに由来すると理解せよ。私は全世界の本源であり終末である。(7章6節)訳 上村勝彦. 2018. 『バガヴァッド・ギーター』第34 刷. 岩波書店. pp,70-71

高次のプラクリティも、世界を動かすためのスリシュナ神のエネルギーの一部であり、私たち個々の生命を生かしている原理です。

パソコンに例えると、ハードウェアであるパソコンの本体は低次のプラクリティです。また、パソコンに内蔵されているソフトウェアやアプリも低次のプラクリティの一部でしょう。
全ての機能はすでにハードウェアに備わっていますが、実際にパソコンを起動して作業を行うためには、電気が必要となります。または、パソコンで作業をしようとする所有者の意思が必要となります。つまり、パソコンの中で流れる電力や、使用者の意思が高次のエネルギーにあたります。

私たち人間を含めた生命は、低次のプラクリティ(物質)と、高次のプラクリティ(魂)の両者が必ず必要です。

物質的な視点から本質的な視線へ

紫色の波紋のような羽の中に座る人のシルエット

ヨガでは、物質的である低次のプラクリティへの意識を弱め、少しずつ高次のプラクリティへの意識を高めていきます。それは、自分自身の本質をよりよく知るためのアプローチです。

自分自身を見極める時には、年齢や性別、肩書や収入などの表面的な要因を重視してしまうと苦しくなります。特に数字で表せるものは、安易に自分と他者を比較し、上下をつけたがります。相対的に自分を評価すると、必ず苦しみの原因になります。努力して人よりも優れたと感じることができたとしても、それは他の人を下げる行為であり、やはり衝突の原因となります。

本質的に自分を知る時には、肩書きや他者との比較は必要がありません。どんな時に幸せや安心を感じるのか、どんな動きをした時、どんな呼吸をした時に心地よさを感じるのか、どんな事象に不安や焦りを感じるのか…… 自分自身を観察していき、最終的には物質的な外の世界に翻弄されない軸を見つけていきます。

日常でも本質を意識する

ヨガではアーサナや瞑想を行いながら自分自身の観察を行いますが、日常生活のあらゆる場面でも、本質を観察するアプローチを試してみましょう。
例えば仕事を選ぶ時、「高収入」「残業が少ない」「社会的地位が高い」などの分かりやすい基準で選ぶと、運よく好条件の就職ができたとしても満足できないことがあります。
残業が少なく、有給休暇を使える恵まれた環境であったとしても、「今日も生活のために働く」と思うと憂鬱で退屈に感じる人もいることでしょう。
人によっては、賃金が安く、労働時間が長い職場であってもやりがいを感じる人もいます。例えば、漫画が大好きで、子供の時からずっと漫画家に憧れていた人にとっては、たとえ睡眠時間が短い過酷な労働環境であったとしても、漫画家であることが幸せなのかもしれません。

どのような仕事であれば幸福かは、人によって違います。「高収入がいい」という人もいれば「趣味を仕事にしたい」という人もいるでしょう。または、「休暇が取りやすい仕事をして趣味に時間を割きたい」という人もいます。
誰にでも当てはまる正解はありません。だからこそ私たちは、本質的に自分がどのような人生を送りたいのかを見つける必要があります。

物事の内側の本質を見つける努力が、あらゆる問題のヒントになりそうですね。
まずは、自分自身を観察することから始めましょう。ヨガの練習は、自分を知るための時間です。

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