炎の輪っかを背にした人のシルエット

間違った行動を駆り立てる「欲望(カーマ)」とは

私たちは、罪を犯した時に後悔の念を抱く良心を持っています。しかし、感情に任せて間違った行動をしてしまうことは誰にでもあるはずです。

怒りに任せて人を傷つけることをつい言ってしまったり、衝動的な欲求に負けてしまったり、「こんなことは望んでいないのに」と後から反省して自己嫌悪に陥ってしまうこともあるでしょう。『バガヴァッド・ギーター』(以下、『ギーター』)では、悪行の原因は欲望(カーマ)であると説きます。

欲望の本質は何なのか、自分自身をどのようにコントロールするべきなのかについて、考えてみましょう。

悪いことをしたくないのに間違いを犯してしまう理由

暗い街の街灯を背にしたフードを被った4人の男のシルエット

悪いことをしたからといって、その人の本性が悪いわけではありません。誰でも本当は良心や美徳があり、正しく生きたいと願っています。

教典『ギーター』の中で、アルジュナが尋ねました。

それでは、クリシュナ。人間は何に命じられて悪を行うのか。望みもしないのに。まるで力づくで駆り立てられるように。(3章36節)

訳 上村勝彦. 2018. 『バガヴァッド・ギーター』. 第34 刷. 岩波書店. p,48

感情のままに人を傷つけるきつい言葉を発してしまったり、やるべきことを後回しにしたりすることは誰にでもあります。また、盗み、詐欺、殺人、中傷といった犯罪も同様です。悪行自体を楽しいと感じる人はほとんどいず、本当はこんな自分は嫌だと苦しみながらも、抗えない大きな衝動に掻き立てられて悪行を犯してしまいます。

その原因を、クリシュナ神は「願望(カーマ)」であると説明します。

それはカーマ(欲望)である。それは怒りである。ラジャス(激質)というグナ(要素)から生じたものである。それは大食で非常に邪悪である。この世でそれが敵であると知れ。(3勝37節)

訳 上村勝彦. 2018. 『バガヴァッド・ギーター』. 第34 刷. 岩波書店. P,48

ここでの「欲望」は単なる物欲だけではなく、承認欲求、快楽への渇望、怒り、嫉妬など、エゴに結びついたあらゆる内的衝動を指します。

欲望は、私たちの視界を妨げます。まるで、煙に覆われて炎が見えないように、汚れた鏡を見るように、この世界全体を覆って真実を見えなくしてしまうのが欲望です。

では、欲望の性質をさらに詳しく見ていきましょう。

ラジャス(激質)から生まれる欲望

炎に包まれた人のシルエット

私たちが生きているこの世界は、以下の3つの要素の組み合わせでできているとヨガでは考えます。

  • サットバ(純質)
  • ラジャス(激質)
  • タマス(鈍質)

その中で、欲望はラジャス(激質)によって生じます。

ラジャス(激質)は、動き、情熱、興奮、刺激、野心、衝動といった「外へ向かう力」を司っています。ラジャスは、動きの性質そのものです。人は、今の自分に満足してしまうと変化を求める行動をやめてしまいますが、ラジャスの状態では常に何かを求め続けています。

ラジャス(激質)自体は、悪いものではありません。人間は、常に「より良いもの」を求めて努力し、進化を遂げてきました。しかし、ラジャスに支配されてしまうと、人は常に何かを求めて枯渇している状態になります。「もっとこれが欲しい」「これが無いと満たされない」「もっと、もっと」と、終わりのない欲望に囚われてしまうと、人はいつまでたっても幸福を感じることができません。

欲望は知性を覆い隠してしまう

人が欲望に囚われている時には、私たちの知性は覆い隠されてしまい、正しく物事を見ることができなくなってしまいます。

それはまるで、煙に覆われた炎、汚れた鏡、または羊膜に覆われた胎児のようだと『ギーター』は説きます。その時私たちは、まるで欲望の奴隷のようになってしまいます。

たとえば、受験勉強で必死な時には、「この大学に合格しないと私の人生は終わりだ」と思い込み、その願望の奴隷となってしまいます。目標に向かって努力することは素晴らしいことですが、それ以外の物事が見えなくなってしまいます。

親が必死でサポートしてくれていても常にストレスが溜まっていて、小さなことに対してもきつい言葉で罵倒してしまうかもしれません。さらに、母親が朝早くからお弁当を作ってくれたり、夜遅くに夜食を作ってくれたりしても感謝の想いは生まれず、毎日洗濯された洋服が用意され、暖かいお風呂に入れることも当たり前と思い込み、「なんで私は」と自分に足りない部分にフォーカスしがちです。

未来への不安と目標への強すぎる執着は大きな苦しみとなり、サポートしてくれている周囲の人たちへ心無い言葉を浴びせてしまいがちです。さらには、不安の強さからカンニングなどの罪を犯してしまう人もいます。

思春期という多感な時期に最も頑張らなくてはいけない受験に直面することで、感情のコントロールができなくなるのは当然のことです。しかし、いつまでも同じことを繰り返していてはいけません。未来への願望の奴隷として生き続けるのではなく、目標や望みを良い活力にできるよう、自分のことを知っていくことが大切です。

欲望のよりどころである感覚器官/思考/知性を制御する

人の表情が描かれた木のオブジェと矢印のグラフィック

私たちを悪行に導く欲望は、感覚器官/思考/知性の3つに宿ります

では、欲望の生まれるプロセスを見ていきましょう。

1)感覚器官で見聞きした対象を欲しがる

例:SNSで見たあの子のように細くなりたい

2)感覚は心を夢中にさせる

例:自分自身を鏡で繰り返し見たりSNSを沢山見たりして、自分だけが太いと思い込む

3)心が知性を惑わす

例:自分は他の子よりも醜くいから価値が無いと思い込み、健康を害するような減量をする

本来、感覚器官/思考/知性の3つは、人として生きるために必要なものですが、時に苦しみを生む原因にもなります。3つの器官が暴走してあやまちを起こさないために、自分自身が主人となって制御することをヨガでは学びます。

馬車を操るように自分自身を高めるためのヨガの実践

古代からヨガでは、自分自身を知り自分自身を高める方法を説いてきました。

『ウパニシャッド』の中では、四方に好き勝手に暴れる馬を感覚器官に、馬を操ることができる手綱を心に、手綱を通して馬を操る御者を知性に例えています。

参考記事

カタ・ウパニシャッドが説く、馬車に例えた自分のしくみ

https://www.yoga-gene.com/post-55460/

感覚器官は、放置していると好きな方向に走ってしまい、目的地に到達することができません。だからこそ、自分の人生を高めるためには感覚の制御から始めるべきです。

『ヨガ・スートラ』の8支側では、5番目にプラティヤハーラ(制感)というものがあります。

プラティヤハーラでは、外からの情報にいっさい意識を向けない状態を作り出します。例えば、瞑想中に美味しそうな朝食の香りがしても、それに気が付かずに内側に没頭している状態です。子供がゲームに熱中するあまり、お母さんの声が聞こえなくなるのにも似ていますね。

日常の生活の中では、私たちは感覚器官から得られた情報をもとに思考を働かせています。しかし、感覚が制御された時に初めて本当の自分の声に気が付くことができます。

そして、本当に自分にとって大切なものが見えてきた時、刺激的なものへの欲望は必要なくなります。自分の心をコントロールするコツは、外からの情報を抑制することでずっと容易くなるのですね。

参考記事

https://www.yoga-gene.com/post-72820/

ヨガを練習しながら自分との対話を行うことが、欲望に負けないコツ

登ってくる太陽に向かって広げられた人の手

ヨガを練習することは、自分自身に向き合うことです。最初の段階では、急に感情が激しくなる方もいます。それは、今まで我慢して押し殺してきた我儘な本音を目の当たりにしてしまうからです。しかし、そんな自分自身さえ受け入れて、淡々と自分との対話を続けていくことで、自分にとって本当に大切なことが分かってきますその時には、情報によって生まれた快楽や願望から、悪いあやまちを衝動的に行ってしまうこともなくなってくるはずです。

自分の心との対話はとても難しいことですが、まずは自分の声に耳を傾けてあげることから始めたいですね。

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