立木のポーズの女性と矢印のグラフィックコラージュ

プラティヤハーラ(制感)で外の世界に翻弄される自分を手放す

誰でも毎日ストレスなく毎日過ごしたいと思っているはずなのに、なぜか現実は思う通りにならないものですね。

どうして自分の心なのに、思った通りに平和に過ごせないのでしょうか。それは、感覚器官に支配されてしまっているからだとヨガでは考えます。

感覚器官をコントロールすることをヨガではプラティヤハーラ(制感)と呼びます。

心が翻弄される原因は感覚器官

書類などが散乱した散らかったデスク
私たちの心が翻弄されてしまう時、イライラしたり、不安に感じたり、悲しくなったりする時には何が起こっているのでしょうか。

必ず心を揺さぶった原因があるはずです。

例えば、職場の隣の席の人のデスクが散らかっていたら気になって仕事に集中できないこともあるでしょう。

それによって何か自分に影響があるわけではないのですが、「どうしてこの人は片付けができないのだろう」「大切な書類が損失したらどうする気だろう」と考え始めると、自分の仕事よりも隣の席のことが気になってしまいます。

相手からすれば「他の人に迷惑をかけているわけではない」「自分はすべて目の前に見えている方が仕事がしやすい」と思っているかもしれません。

確かに、横の机の人のデスクが汚れていても、自分自身に影響はないのかもしれませんが、1度気になり始めると、全く仕事が手につかなくなってしまいます。

私たちは、常に外から入ってきた情報に翻弄されています。

ヨガでは外に向いていた意識を内側に向ける

ヨガでは、外の世界へ反応しすぎる心を手放していきます。

例えば、パークヨガで自然の中で感じる呼吸はとても気持ちがいいですが、その場合は「自然に触れ合う」と言う条件付きの幸せです。

ヨガが身について確固なものになると、例え都会のオフィスビルの中であっても自分の内側の輝き、幸福感に気がつくことができるようになります。

自分自身が安定したものになれば、インターネット上で降ってくる膨大で刺激的な情報にさえも惑わされなくなります。

5つの感覚器官と心の関係を意識する

五感を表すイラストが描かれた木製のカードと人の手
『バガヴァッド・ギーター』によると、外の世界に影響されるのは感覚器官のみだと説きます。

カルマ・ヨガによって真実を知った人は、「私は何も行為しない」と考える。たとえ見ても、聞いても、触っても、嗅いでも、食べても、歩いても、寝ても、息をしても、話しても、排泄しても、把握しても、目を開けていても閉じていても。感覚器官が対象物によって動かされているのみだと知っている。(バガヴァッド・ギーター5章8・9節)

何かを見たり聞いたりした時に、心がどのように動くのかを考えてみましょう。

外の世界と自分との繋がりは常に感覚器官によるものです。

感覚器官には5つあります。

  1. 視覚:色や形を識別する
  2. 聴覚:音を識別する
  3. 嗅覚:香りを識別する
  4. 触覚:触り心地、温度を識別する
  5. 味覚:味を識別する

この5感覚器官は、私たちが人間としての生命を維持するために必要なものです。

例えば、味覚によって自分の体内に取り込むべきものかを認識することができますし、視覚によって危険な猛獣が近づいてきたら気がついて逃げることができます。

しかし、ヨガで自分の内側に向き合う時には、外からの情報が邪魔になってしまいます。

ヨガでは精神的と感覚器官を切り離す練習を行います。それによって、感覚器官を自分で制御することができるようになります。

5感に支配されるのではなく、私が5感の主になるのだというアプローチです。

感覚器官の乱れに支配されない

暗闇に怯えながら背後の人の気配を気にする女性
この感覚器官は緊張感が強い時ほどアクティブに働きます。

例えば、「暗闇は危険である」と本能的に認識している場合、少しの異変にも気がつくために小さな物音にも敏感になりますし、少しものが動いた気配を感じたらそこに視覚を全集中させます。

自分自身を守るために必要なものですが、これが極端になってしまうとあらゆる弊害の原因となってしまいます。

神経は常に緊張し、疲弊してしまいます。

暗闇を極度に怖いと感じる暗所恐怖症になってしまうとします。

本来は寝る時には部屋を暗くした方がリラックスできるはずですが、その人は部屋を明るくしていないと寝れないかもしれません。

恋人と綺麗な夜景を見に行っても恐怖心が勝ってしまうかもしれませんし、映画館でも極端に緊張状態になって疲弊してしまうかもしれません。

他人にとっては何でもないないことが、自分にとっては恐怖の対象であると、想像よりもずっと生きにくさを感じます。

敏感になれば、夜間に車に乗っているだけでも恐怖心が抑えられなくなります。

知性では「この場所は安全だ」と分かっていても、反射的な恐怖心が抑えられないと、様々な行動が制限されてしまいます。

「○○恐怖症」と名前がついていなくても、同じような理由で生きにくさを感じている人はとても多いのではないでしょうか。

例えば、以下のような場面で、人には言えないストレスがとても大きくなってしまっていることがあります。

「声の大きい人が異常に怖い。フレンドリ―な良い人なので言えないけれど、声が大きいだけで実はとても不快になる。」
「友達のコップについた口紅が異常に気になって、ものすごく気分が悪くなるけれど、口うるさいと思われたくないから指摘できない。」

場合によっては、家に帰った後も思い出して気分が悪くなり、「明日もあの人に会うのは辛い」と思い悩んでしまいます。

本来は自分を守るための機能ですが、それによって逆に苦しめられてしまうのは悲しいことですね。

ヨガの練習で感覚器官の操縦士になる

ヨガスタジオで半分の捻りのポーズをとる女性たち
ヨガでは、どこに意識を向けるのかを自分自身で決めます。

無意識に働いている感覚器官に従うのではなくて、自分自身が操縦士となるイメージです。

そのために最初に必要なステップは、すでに書いた通り感覚器官と自分との固執を弱めることです。

情報への意識を弱めるためには、自分で決めた対象に集中する練習を行います。

ヨガのクラスに参加している時のことを考えてみましょう。

初めての時には緊張感があり、ついつい周りの人のことが気になって「自分だけ初心者で恥ずかしいな。他の人はどれくらいできているのかな。」と、周囲の人のことが気になってしまいます。

何度かクラスに参加して慣れてくると、他人にどう見られてくるかの羞恥心は消えてきます。
その時には先生のガイドに集中していることでしょう。

「呼吸を吸って伸びて」と言われれば、一生懸命にガイドを聞いて、先生の言葉に従います。先生の声と自分の身体のみに意識が向けられるようになってきます。

さらに慣れてきて、ある程度の動きが分かるようになってくると、先生のインストラクションを一語一句聞かなくても動けるようになってきます。

さらに自分自身の身体と呼吸を楽しめるようになります。

すると、うっかり呼吸に集中しすぎて、先生が次の動きをガイドしていても聞こえない時もあるかもしれません。

その時には、完全に自分自身に意識が向いていた瞬間なのですね。

安心して自分に意識が向けられるようになると、プラティヤハーラ(制感)はグッと近づいています。

自分が今意識するべきことを味わい、関係ない対象には関心が向かなくなります。

その時、感覚器官に支配されることはありません。自分自身が、感覚器官を自由に使える主となります。

プラティヤハーラ(制感)の経験を育てよう

ヨガの練習は、プラティヤハーラの練習に最適です。

自分の意識がどこに向いているのか、それを客観的に観察することができます。

無用なことに気がとらわれているのであれば、それに気付き、自分の大切なことに戻ることができます。

ヨガの練習をすると、誰でも今まで経験したことがない気持ち良さを経験します。

ハタヨガでは、その心地よさは花の蜜に夢中になる蜂のように、心を囚えて離さないと言います。

自分自身に意識をしっかりと向けて、外の世界に翻弄されすぎない軸を築きたいですね。

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