木漏れ日の中で目を閉じて微笑む長い髪の女性

『雪の道』で考える当たり前の幸福

みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、『雪の道』という辻邦生先生の物語を取り上げたいと思います。
私の母は、著名な小説家である辻先生と親しくさせていただいていたということをいつも自慢にしていますが、何と今回取り上げる『雪の道』は、辻先生が母のことを考えて書いた作品らしいのです。
結婚前の若き母は、辻先生に、自分が本当に結婚をするべきかどうか迷っているという悩みを打ち明けたそうです。そんな母に向けて辻先生が書いたのが、『雪の道』でした。

今回は、流れる雲をとても愛していたというロマンチストな辻邦生先生らしい『雪の道』とヨガの関係をみなさんと考えていきたいと思います。

辻邦生先生について

書斎の中の本が積み上がった机に座る男性の姿

以前にもこちらのコラムで、辻邦生先生の作品『廻廊にて』を取り上げたので、その時にも辻先生のことは紹介したと思いますが、もう一度、簡単にお話させていただきます。

辻先生は、1925年、東京生まれ。東京大学仏文科を卒業後、留学の為フランスに渡りました。この後、日本とフランスを行き来しながら暮らしていたせいか、辻文学には、フランスやヨーロッパの雰囲気が色濃く漂っている作品がとても多く見られます。
1961年に、『廻廊にて』で近代文学賞を受賞して以降、数々の名作を生み出しました。

100の短編

7色の塗料が入った器を持つ人の手元

1972年の秋、辻先生が、『海』という文芸雑誌の編集長に、ある計画を持ちかけます。それは、100の短編をモザイク風に連ねた作品を書いてみたいというものでした。
そこで『ある生涯の七つの場所』という短編シリーズがスタートしました。このシリーズには100近い短編が収録されていて、『雪の道』は、その短編の中の1つです。

100の短編は、赤、橙、黄、緑、青、藍、菫の7色に分けられ、それぞれ「何いろの場所からの挿話I、Ⅱ、Ⅲ~」と示されています。赤色の場所からの挿話では、物語のどこかに印象的な赤い小道具などが登場します。例えば、「赤い花」、「赤い財布」、「赤いドロップス」というようにです。

それぞれの色の物語は、全部で12ありますが、赤い場所の物語に登場する語り手は、全て同じ語り手になり、橙や、黄色、緑、青、藍色、菫では、また違う人物が語り手になります。
さらに、赤のⅠと、橙のⅠ、黄のⅠ、緑のⅠ、青のⅠ、藍のⅠ、菫のⅠには、何かしらのつながりがあります。ですから、この連作をどんどん読み進んでいくにつれ、出会ったことのある人物のその後や、結末などがわかるという仕組みになっているわけです。
『雪の道』は、その100の短編の中の1つで「菫いろの場所からの挿話Ⅱ」になります。

日本人の「私」とフランス人のエマニュエル

エッフェル塔が見える窓辺でマグカップを持って立つ 女性の後ろ姿

菫いろの物語の語り手である「私」の名前は出てこないのですが、読んでいると、フランスの大学で講師をしながら研究をしている日本人の青年だということがわかります。辻先生もフランスの大学で講師をしていたので、先生自身の分身といったところでしょうか。

さて、語り手の「私」には、エマニュエルというフランス人の恋人がいて、彼女も研究をしている学者です。お互いの研究のために長年、遠距離恋愛をしていましたが、現在は二人ともフランスのパリで暮らしています。
お互いにパリで研究生活をしながら、別居している二人ですが、そろそろ、同居しても良いのではないかとエマニュエルが、「私」に提案します。

「私たち、もうそろそろ一緒に住んでもいい頃じゃないかしら。なぜかこれ以上別居していると、将来もう絶対に一緒に暮すことはできなくなるのじゃないかって気がするの。たしかに今の生活は、それぞれ自由と独立を大切にする点では理想的だと思うわ。私たちは、夜、お互いに会いたいときにはいつでも会うことができるし、そうじゃないときは、別に会わなくってもいいわけね。まるで生活論理学の模型を実践しているような生活ね。でも、旅のあいだ、こうした合理性っていうのは、本当に私たちの魂を豊かにしてくれるのかしら、って考えていたのよ」

辻邦生『辻邦生全集』. 新潮社.2004年. p,227

別居している今の状態は、お互いの研究と仕事を効率よく行うという点にかけては便利だけれど、同居しないと得られない幸福があるのではないかと、エマニュエルは考えているわけです。
この意見に対して、「私」はエマニュエルにこう尋ねます。

「複雑で、生臭くって、ごたごたした煩わしい夫婦生活の方がいいっていうわけ?」

辻邦生『辻邦生全集』. 新潮社.2004年. pp,227-228

すると、エマニュエルはこう答えます。

「別居して機能的に生きるよりは、そうしたごたごたした雑事の中に幸福は沢山あることは事実だと思うわ。結婚するってことは、一緒に住んで、そうしたごたごたした雑事を幸福だと感じることに同意することだと思うの」

辻邦生『辻邦生全集』. 新潮社.2004年. p,228

そこで、「私」とエマニュエルは、秋に休暇を取って一緒に過ごし、そのままパリに戻って共に生活をしてみようということになります。

そんなわけで、舞台は秋の休暇へと移ります。計画通り、秋の休暇を一緒に取った二人は、山奥の山荘で共に生活をはじめます。その山荘でコニャックを飲みながら暖炉の前にすわっている時に、エマニュエルが日常の中の幸福について語り出します。

「お風呂に入って熱いお湯に沈むとき、ああ気持ちがいい、と叫ぶでしょ? それが幸福なの。一日働いて、疲れてベッドに入って、枕に顔をくっつけるとき、清潔なシーツや枕カヴァが肌に気持ちよく触るでしょ? それが幸福なの。でも、それだけじゃないわ。くしゃくしゃのベッドをきちんとするとき、窓をあけるとき、パンを村まで買いにゆくとき、階段を上るとき、コーヒーをそそぐとき、洗濯をするとき、洗濯物を干すとき、窓から空を見るとき……こんなことも幸福なの」

辻邦生『辻邦生全集』. 新潮社.2004年. p,231

さらに彼女は、歩くことや、しゃべること、立つことや、座ることや、読むことといった一つ一つが幸福なのだと語ります。
そして、そんな彼女と山荘暮らしをするうちに、暮らしの中の一つ一つに幸福が宿っているというエマニュエルの考えが、「私」にもだんだんと理解できるようになっていきます。

「薪を燃やしたり、階下の倉庫に葡萄酒をとりにいったり(葡萄酒は保温装置のついた特別の棚にしまわれていた)、冷たい晩秋の風に吹かれながら散歩したり、火のそばで愛し合ったり、夜中に星を見ながらいつまでも露台に出ていたり、兎の罠を見てまわったり、窓の向こうの樅の森が風に揺れるのを見たりするのは、エマニュエルの言うように幸福と名付けるよりほか言いようがなかった。何の変哲もない当り前のことが、特別のこと、新しく、磨きたてのことのように見えるのだった。朝、薄暗いうちに(といっても、もう七時になっていた)車で十分ほどで着く村へパンを買いにゆく。その温かなパンのぬくみを手に感じていると、心が不意に、嬉しさで跳ねあがる。それは単純に生きていることが、何にも換え難い幸福なのだと言っているように思えたからだ」

辻邦生『辻邦生全集』. 新潮社.2004年. P232

こうして、山荘で、一つ一つに幸福が宿っているんだと実感しつつ、ますます気持ちを通わせていく二人の物語に、スペイン内戦の物語がからんでくるのですが、それは実際に短編を読んでいただくとして、そろそろ、この短編のどこがヨガなのか考えていきたいと思います。

当たり前の中の幸福

室内で目を閉じて微笑む長いグレーヘアの女性

エマニュエルは、歩くことや、立つことや、座ることなどの一つ一つが幸福なのだということについて、こんな風にも語っています。

「人間が目の前にあって一番忘れていた単純なことに思えるんだけど。あまり当り前だから、馴れっこになって誰にも見えなくなっていることなのじゃないかしら。でも、私ね、この目の前のもの以外に幸福なんてあり得ないと思うのよ」

辻邦生『辻邦生全集』. 新潮社.2004年. p,231

私は普通に歩いたり立ったり座ったりできるので、そうしたことが幸せなんて今まであまり考えたこともありませんでした。確かに、エマニュエルの言う通り、すっかり当り前のことになってしまっていたのです。
けれども、私の祖母は一人で歩いたり、立ったりすることができません。そんな祖母を見ていると、自分の足で歩いて好きな場所に行けるということは、とても幸せなことだったんだと再認識させられます。
自宅の温かいお風呂に浸かって疲れをいやすこと、ベッドに入って眠ること。そうしたことは、全て当たり前だと思っていましたが、決して当たり前ではなかったのです。どれも当たり前のこととしてスルーしてしまうにはもったいないほど、幸せなことだったのです。
今、自分たちが持っている幸せを見いだし、再確認するということ。
それを、ヨガではサントーシャと呼びます。物語の中で、エマニュエルと「私」が見出したものは、ヨガでいうサントーシャそのものだったのです。

うちの愛犬ココちゃんには、大事な幼馴染の親友がいます。ボーダーコリーのテンちゃんという男の子のワンちゃんです。テンちゃんはガンを患っていて、今生きているのが奇跡だと言われながら、2か月以上暮らしてきました。

そんなテンちゃんとご家族のみなさんに会いに行くと、テンちゃんはものすごく幸せそうに、穏やかな顔つきをしているのです。そしてまた、ご家族のみなさんも穏やかなご様子をしていらっしゃるので、こちらまで温かく幸せな気持ちで胸がいっぱいになってくるのです。
それはきっと、テンちゃんとご家族のみなさんが、テンちゃんの死というものを目の前にして、共に生きて、暮らすということの幸せを再認識しているからに違いないと、私は感じました。
テンちゃんと一緒にゆっくりお散歩できるということ。テンちゃんがおいしそうにご飯を食べてくれるということ。テンちゃんの温かい身体をゆっくりとなでるということ。
ご家族のみなさんが、その一つ一つに、強い幸福を感じていらっしゃるからこそ、こちらまで幸せになってしまうようなお顔をなさっていたのだと思います。

これこそが、『雪の道』で語られていることではないでしょうか。
今日も生きて、歩いたり、立ったり、座ったり、しゃべったり、読んだりするということ。おいしいものを味わうということ。
そうした一つ一つがとても幸せなことなのだということを、私は、『雪の道』とテンちゃんから改めて教わりました。

『ある生涯の七つの場所』に収められている100の短編は、日本、ヨーロッパ、アメリカといった広い背景の中で、様々な時代の人物が取り上げられています。壮大な物語の中に、辻先生のロマンを随所に感じる素晴らしい短編群ですので、ぜひ、少しずつでも挑戦してみて下さい。