朝焼けの中マーラーを手につけて祈る女性

2種類のバクティ・ヨガ 〜偶像崇拝と、無形の祈り〜

祈りの時間は心が穏やかで暖かく、愛に満ちた幸せな時間です。

神社や仏閣に訪れて静かに祈る時、自分自身の内側も純粋さに満たされる感覚を覚える人も多いのではないでしょうか。また、ヨガを練習している人の中には、自宅に小さな神棚を設けている人もいるでしょう。

祈りには、特定の神様を対象としたものと、そうでないものがあります。今回は、ヨガではどのような祈りが行われているのか見ていきましょう。

2種類の祈り(サグナ・バクティとニルグナ・バクティ)

バガヴァッド・ギーターのワンシーン

ヨガの教典『バガヴァッド・ギーター』(以下、『ギーター』)を読むと、愛の神クリシュナへの賛歌が綴られています。多くの人は、『ギーター』はとても宗教的な教典だと感じるかもしれません。実際に『ギーター』は、バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)の教典として広く認知されています。

特定の神への信愛を求められた時、ヨガはやはり宗教だと感じてしまう人もいるかもしれません。しかし実際には、必ずしも偶像崇拝を勧めているわけではないのです。

『ギーター』の中では、特定の対象への信愛と無形の存在への信愛の2種類が説かれています。

  • サグナ・バクティ:特定の人格を持つ神へのバクティ。感情豊か。
  • ニルグナ・バクティ:無形の絶対的な存在へのバクティ。瞑想的。宇宙そのもの、全ての存在、ブラフマンへの信愛。

『ギーター』の中で、主人公のアルジュナはクリシュナに質問します。

このように常に(あなたに)専心し、あなたを念想する信者たちと、不滅で非顕著なものを(念想する)人々とでは、どちらが最もヨーガを知るものであるか。(12章1節)</p>

訳 上村勝彦. 『バガヴァッド・ギーター』第34 刷. 岩波書店. 2018. p,104

片方は、クリシュナ神という特定の神に対して深く愛情を抱き信仰する人です。そのような偶像的な信仰は、サグナ・バクティと呼ばれます。

一方で、非顕著、つまり姿形のないものに対して祈りを捧げるバクティをニルグナ・バクティと呼びます。

アルジュナは2種類のバクティがあることを踏まえて、どちらが正しいのかを質問しました。

2つのバクティは共に素晴らしいもの

クリシュナ神は答えました。

常にクリシュナ神に心を注ぎ、最高の信仰を抱く人は最高のバクタ(バクティ・ヨガの実践者)です。同様に、非顕著(見えない)、不滅で不動なものへ念想する人の努力はより大きく、万物の幸福を祈る人も最高の境地に達します。

非顕著なものとは、ブラフマン(宇宙の根本原理)を意味します。宇宙の本質的なものは姿や形がなく、そこに到達することは困難です。ヨガでは、厳格な瞑想の実践により、非顕著な本質に到達することができると説きますが、それは簡単な道ではありません。

目に見えないものへの信愛を貫いた人も、最高のバクティ・ヨガの実践者です。

では、それぞれのバクティの特徴を見ていきましょう。

感情豊かなサグナ・バクティ

クリシュナ神の子供の姿の像

一般的に、バクティ・ヨガと聞いて思い浮かべるのがサグナ・バクティです。

インドでは、特に愛の神クリシュナ神へのバクティが日常的に行われます。神々と自分との関係性は様々なものがあり、主と下僕のような関係、友情のような関係、子と親の関係、恋人関係などになぞられることもあります。

親子関係に例える場合、人間の持つ愛情で最も深く無償の愛である母性を、バクティとして行います。インドの一般家庭には、神棚にクリシュナ神の子供の姿の像があります。毎朝、お母さんは朝食を作ると、自分が食べる前に必ずクリシュナ神に捧げ、綺麗に像を洗い、洋服を着替えさせます。ブランコに乗ったクリシュナ神を揺らして、遊んであげることもあります。

神様との向き合い方は、一つではありません。深い信愛の心によって自分自身の内側を満たすことで、エゴや欲望を捨て去ることができます。

サグナ・バクティでは、人々は自分の体を使って信愛を表します。神棚に花を添えたり、祈りを唱えたり、足を使って聖地巡礼し、手を合わせて祈ります。自分自身の体や行動を使った奉仕活動によって、自身の内側の純粋な愛情が確認できます。

厳しい修行で得られるニルグナ・バクティ

薄暗い部屋で窓に向かって安楽座で座る女性の背中

ニルグナ・バクティは、ラージャ・ヨガなどの厳格な修行を行う人々によって行われてきました。対象がないものに対して愛を注ぐというのは、とても難しいことです。

ニルグナ・バクティで信仰の対象となるのは、自分自身の本質であるアートマン、または宇宙全体の根本原理であるブラフマンです。本質に出会うためには、徹底的に自分の内側との対峙を行わないといけません。

孤独に一人で自身に向き合うヨガの道ですが、本質に気がついた時、世界のあらゆるものに対して愛が溢れてきます。どんな人の中にも、動物や植物の中にも、美しい魂の輝きが感じられ、全ての対象が平等に愛しく感じられます。

ニルグナは、非顕著なものへのバクティでありながら、同時に全てのものへのバクティでもあります。

サグナ・バクティとニルグナ・バクティの繋がり

祈りの対象が違う2つのバクティ・ヨガですが、本質的にはどちらも同等のものです。

サグナ・バクティは、神様の像や聖地など、特定の対象物に対して特別な信愛を築きますが、目的は偶像に対する盲目的な信仰や執着ではありません。神々の姿や聖者を通してエゴを手放すことを学び、本質的な愛とは何かを学びます。

サグナ・バクティの先にも、やはり世界のあらゆる存在への深い愛情が生まれてきます。その道で自身を導いてくれて、心の支えになってくれるものがサグナ・バクティの対象です。

また、ニルグナ・バクティを行う場合にも、サグナ・バクティの温かさが必要です。ゴールの見えない道を進む中で心の支えになってくれるものは、必ず本質に出会えるという信頼です。人々は、瞑想の中で内側に宿る暖かさや安心感を感じ、その絶対的な幸福感の源に向かって瞑想を深めていきます。

ニルグナ・バクティの道は一人で向き合うものですが、「自分はこれだけやった」というエゴがあると叶いません。サグナ・バクティと同様に、自分を委ねられる何かへの深い信愛が必要です。

自分自身のバクティ・ヨガを見つけよう

自然の中で目を閉じて手を胸に当てる緑のシャツを着た女性

多くの人にとって、より実践しやすい祈りが、サグナ・バクティです。

ヨガスペースに小さな神棚を設けて、神様やグル(先生)の写真を祀って毎日手を合わせる習慣を持つのもいいでしょう。また、早朝に太陽に向かって祈りを捧げるのも良いですね。

定期的に神社仏閣へ参拝する習慣があることも、心を清浄にしてくれます。

ヨガでは練習の前にマントラを唱えることが多いですが、もし、あなたが仏教徒であれば、般若心経を唱えるなど自分自身のルーツに合わせて行う祈りも良いでしょう。

最終的には、どのような祈りもニルグナ・バクティに繋がっていきます。

祈ること自体が日常の自然な行為になったとき、誰に向かって、何のために祈るかは重要ではなくなってきます。目の前に存在する全てのものへの感謝が溢れてきた時に、最高のバクティを体験できます。

まずは、ヨガの練習の時間や食事を頂く前など、習慣化しやすいバクティから意識してみたいですね。

ヨガジェネレーション講座情報

永井由香先生によるヨガ哲学講座をチェック

お知らせ