みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、フランスの小説家ロマン・ロランの代表作『ジャン・クリストフ』を取り上げてみたいと思います。主人公のジャン・クリストフ・クラフトは、ドイツ人の作曲家で、ベートーヴェンがモデルになっているということで有名です。ロランは、全10巻にもおよぶこの作品でノーベル文学賞を受賞しました。
読破するのはなかなか大変ですし、ここで作品を全て紹介することはとてもできませんが、今回は、幼年期から一部を抜き出して、ヨガとの共通点について紹介したいと思います。
20年以上かけて仕上げた『ジャン・クリストフ』

著者のロマン・ロランは、1866年生まれ。
『ジャン・クリストフ』の主人公はドイツ人ですが、ロラン自身はフランス人です。ロランによると、彼が『ジャン・クリストフ』のことを最初に思いついたのは、1888年。パリの高等師範学生だった頃のようです。
もちろん、思いついてすぐに書きだしたわけではありません。10年ほどクリストフの作品のアイデアを温め続け、念入りに構想を練りました。細かく草案を作った後、1903年に書き始めます。それから毎日書き続け、最後に書き終えたのは1912年のことだったということです。
『ジャン・クリストフ』の原稿を書いている日々のことを、ロランはこう振り返っています。
当時のわたしの生活は孤独で、不如意で、友達もなく、喜びは自分で作り出す喜びのほかはなく、教師の勤め、論文執筆、歴史の研究など、おしつぶされるほどの仕事を背負いこんでいた。口すぎの仕事に追われて、クリストフのためには一日一時間しか取ることができなかったし、それほど取れないこともしばしばだった。だが、その十年間、一日として彼のいない日はなかった。
ロマン・ロラン. 訳 新庄嘉章. 『ジャン・クリストフ』. 新潮社.昭和52年. p,11
長い歳月をかけて、自分の全てを注ぎ込んで仕上げた『ジャン・クリストフ』は、日本をはじめ、世界中の人々から時代を超えて愛され続けています。そんな名作の冒頭の一部分を紹介していきたいと思います。
才能を祖父に見いだされる

主人公のジャン・クリストフ・クラフトの家庭環境は、モデルとなったベートーヴェンとそっくりです。
ベートーヴェンは、宮廷の優れた音楽一家に生まれました。祖父は周囲から尊敬される宮廷楽団の楽長で、この設定はクリストフにそのまま使われています。
そんなクリストフは豊かな音楽の天分を持ち合わせていて、世界の全てが彼にとっては音楽となりました。
音楽的な心にとっては、すべてが音楽である。ふるえ、ざわめき、鼓動するすべてのもの、陽の照り輝く夏の日、風そよぐ夜、流れる光、星のまたたき、嵐、小鳥の囀り、虫の羽音、木のふるえ、なつかしい、あるいはいやな声、家庭の聞き慣れた物音、扉のきしみ、夜の沈黙の中に聞こえる血管をふくらます血液の音……およそ存在するものはすべて音楽である。
ロマン・ロラン. 訳 新庄嘉章. 『ジャン・クリストフ』. 新潮社.昭和52年. p,137
6歳の幼いクリストフは、いつでもどんな時でも、何をしている時でも小声で歌っていました。遊んでいる時でも、祖父の家で寝転んで絵本を見ている時でも、台所の隅っこにぼんやり座っている時でも、いつでも歌っていたのです。
ある時、クリストフが祖父の家でいつものように小声で歌っていることに、祖父が注目します。それ以後、祖父はクリストフが遊んでいるたびに歌っている歌に、注意深く耳を傾けるようになりました。
そして、クリストフの歌っていた歌を全て楽譜に書き止め、彼に見せます。祖父から作曲の才能があることを教えられたクリストフは、それ以降、懸命に、作曲を試みるようになりました。
字を書くこともほとんどできないうちから、家計簿の紙をもぎ取っては、四分音符や八分音符を盛んに書きなぐった。しかし、自分の考えていることを知ろうとし、それを譜によってはっきり書き表そうとしてずいぶん苦労したので、なにかを考えようとするときを除いては、もうなにも考えなくなってしまっていた。それでもなお、楽句を組み立てようとがんばった。彼は生来音楽家だったので、どうにかこうにかそれを作りあげることができた。
ロマン・ロラン. 訳 新庄嘉章. 『ジャン・クリストフ』. 新潮社.昭和52年. pp,144-145
祖父はそれをとても褒めてくれたので、クリストフは、自分はものすごくえらい作曲家なんだとうぬぼれてしまいます。しかし、一人の存在が、そんなクリストフに強い影響を与えることになります。
伯父ゴットフリード

宮廷料理人の娘だったベートーヴェンの母と同じくクリストフの母ルイザも女中で、音楽とはまるで無関係の家系でした。ルイザの兄のゴットフリードも、音楽家とはまるで関係なく、ただの貧しい行商人です。
そのため、クリストフの祖父や父は、ゴットフリードをバカにしていました。クリストフや弟たちも、祖父や父のマネをして伯父に悪口ばかり言っていましたが、伯父はそんなことは少しも気にする様子を見せず、いつも人が良さそうに笑っています。
そんなある時、伯父が、夜の散歩にフラリと出たのを見かけたクリストフは、退屈しのぎについていきました。河のほとりに座るゴットフリードのそばに走っていったクリストフは、いつものように悪口を言ってやろうとしますが、伯父の顔を見ると言葉がつかえてしまいます。その顔が、ものすごく厳かな様子に見えたからです。クリストフは黙って、伯父のことを見守り始めます。
あたりはしんとしずまりかえっていた。ゴットフリートの顔に反映している神秘的な印象に、今はクリストフもとらわれた。大地は闇の中にあり、空は明るかった。星がまたたきはじめた。河のさざなみが、岸辺で微かな音をたてていた。子供はうっとりした気持になっていた。草の小さな茎を、見もしないで噛んでいた。一匹の蟋蟀がそばで鳴いていた。うとうととしかけた……と、突然、闇の中で、ゴットフリートが歌いだした。胸の中の声とでもいった、弱いおぼろげな声で歌った。少し離れると、もう聞こえなかったであろう。だが、その歌には、ひとを感動させる誠実さがあった。
ロマン・ロラン. 訳 新庄嘉章. 『ジャン・クリストフ』. 新潮社.昭和52年. p,149
その歌にすっかり心を奪われたクリストフが、それはいったい何の歌なのかと伯父に問いただすと、伯父は静かに言います。
(この歌は)いつもあったんだよ。
ロマン・ロラン. 訳 新庄嘉章. 『ジャン・クリストフ』. 新潮社.昭和52年. p,151
クリストフは、伯父の意味深な言葉に納得できませんでした。どんな歌だって、きっと誰かが作ったものだと、彼は言い張ります。
けれども伯父は、歌は思えば思うほど作れないものだと言い、さらに静かに言いました。
(もしも歌を作るとしたら)あんなふうでなくちゃならないんだよ。お聞き……。
ロマン・ロラン. 訳 新庄嘉章. 『ジャン・クリストフ』. 新潮社.昭和52年. p,153
月光をキラキラとうつした水面から、カエルの鳴き声が聞こえてきました。牧場からはガマガエルの歌声や、コオロギの鳴き声が。丘の上からは、ウグイスの小さな声が。そして、吹き渡る風が枝をそよがせる音が、クリストフを包んでいました。
クリストフは夜の音楽の美しさを感じ、心が震えるのを感じます。
それ以来、クリストフは、伯父の悪口を言わなくなりました。そして、伯父とすっかり仲良くなり、しょっちゅう一緒に夜の散歩に出かけるようになります。
一度、クリストフは、自分の作った曲を伯父に見せたことがありました。けれども、伯父は、クリストフの作った曲を全部ばかげているとバッサリと言いきります。何の意味もないものだと言うのです。
伯父によると、偉い音楽家になりたいと思って作った曲は、音楽ではないそうです。音楽とは、謙虚で誠実でなければならないというのです。
伯父の発言を聞いてから、クリストフはいつも作曲をする時には伯父のことを考えるようになりました。そして、誠実でないような気がする曲は破ってしまうようになったのです。
伯父はどんなに偉い作曲家の音楽でも、とてもまずいと思ったら、正直にクリストフに言いました。彼はクラフト家で催される音楽会をいつも退屈がり、クリストフにこう言います。
ねえ、坊や。おまえが家の中で作るものは、みんな音楽じゃないよ。家の中の音楽は、部屋の中の太陽同然だ。音楽は外にあるんだ。おまえが神さまの尊いさわやかな空気を吸っているときにね。
ロマン・ロラン. 訳 新庄嘉章. 『ジャン・クリストフ』. 新潮社.昭和52年. p,158
神さまの音楽

ゴットフリードの言う音楽とは、いったい何なのでしょう。
彼は、音楽は家の外にあるのだと言いました。それは、カエルやコオロギ、ウグイスや夜風が織りなす自然の音楽のことですよね。
カエルやコオロギ、ウグイスなどは皆、命に限りがあります。けれども、その限りある一つ一つの命の中に、永遠の何かがあるとヨガでは考えられています。その永遠の何かを、ヨガでは、プルシャと呼んでいます。
芸術とは永遠のプルシャを感じ、それを表現することなのだと思います。ゴットフリートの言う本当の音楽とは、自然の織りなす音の中にプルシャを感じ、それを表現することなのでしょう。
クリストフと夜の河のほとりに座っていた時、ゴットフリートは確かに、星のまたたきや、コオロギや夕闇や、河の流れの中に、プルシャを感じたのです。ゴットフリートは自分の感じたことをそのまま、歌にして歌いました。クリストフは、ゴットフリートの歌の中に、永遠のプルシャといえるものが表されているのを本能的に感じ取り、感動したのです。
偉い音楽家になりたいなんて傲慢な心を持っていては、プルシャを感じることはできません。謙虚で誠実であった時、プルシャを感じることができるのです。
偉い音楽家になりたいなどと少しも考えず、作曲をしているということさえ意識していなかった幼い頃、クリストフにとっては世界の全てが音楽でした。カエルも、コオロギも、ウグイスも、風も、流れる光も、星のまたたきも、何もかもが音楽でした。彼はプルシャを音楽として聞き、それを歌にすることができていました。
作曲をするということを知ってしまった今、クリストフはそう簡単には、サットヴァだった幼い頃に戻ることはできないでしょう。幼い頃と同じようにプルシャを感じるのは難しいかもしれません。
けれども、クリストフは伯父の教え通り、常に音楽に誠実に向き合い、本当の音楽と言えるものを探して、長い困難な道のりを歩んでいきます。
それは、ヨギーが永遠のプルシャを求めて、長い修行をしていくのと同じではないかと私は思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。
『ジャン・クリストフ』はとにかく長編ですから、そう簡単にサッと読めるものではありません。でも、人生に一度は読破してみても良いかもしれません。少しずつ、何年もかかって毎日読むのも楽しいかもしれませんね。ぜひ、トライしてみて下さい!
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