自然の中で両腕を広げて空を仰ぐ女性

あらゆる苦しみは”本当はなかった”~失うことへの苦しみを手放すヨガの教え~

みなさんは不安について深く考えたことはありますか。

私たちは漠然とした不安にいつも怯えていますが、ヨガ哲学では、どうして不安が生まれるのかについて考えます。

最も大きな不安は、目の前のものを失う不安です。

今回は、教典『ヨガ・スートラ』の説く”不安な気持ち”について考えてみましょう。

ヨガ・スートラの説く失うことの苦しみ

人は変化することを恐れます。

人生の中での最も大きなストレスは、”変化すること”です。たとえ小さな変化であっても、人はそこに大きな不安を抱きます。

例えば、仕事で提供しているサービスの変更があった時、「きっと悪いフィードバックがあるに違いない」と想像して、やる前からナーバスになってしまいます。

また、職場の上司が変わると聞くと、新しい上司について何も知る前から、不安になってしまいます。

人の行動の大半が習慣によって行われているため、習慣でできない新しいことへは、それだけでストレスを感じがちです。

全ての変化が苦しみに感じられる

ヨガ・スートラでは、変わることに対する苦痛が描かれています。

明哲の士にとっては、現存在の全てが苦である。何故かといえば、現象の転変と現実の悩み、それに行、これら全てが苦であるからであり、さらには、3つのグナのはたらきが互いに相反するからである。(ヨガ・スートラ2章15節)

私たち常人は、世界には楽しみも苦しみも両方存在すると考えます。

しかし、ヨガの叡智に精通した人(明哲の士)にとっては、全てが苦しみだと書かれています。

仏教で聞く言葉だと、一切皆苦という言葉に当てはまる考え方です。

どうして楽しいことさえも苦しみに感じられてしまうのでしょうか。

人は何かを楽しい、好きだと感じると、その対象に対する渇望を生み出します。

喜びに対する渇望は、それが手に入らない苦しみへと繋がります。

何かを楽しい、好きだと感じても、その感情によって新しい苦しみの種が生まれてしまうのです。

失うことへの苦しみ

「現象の転変」、つまりあらゆる変化は苦しみに繋がります。

これをスワミ・チッダーナンダ氏は著書インテグラル・ヨーガの中で「得たものを失うことへの不安と恐怖」と訳しています。

変化とは、一時的に何かを得て、それは止まり続けることなく失われることです。

諸行無常という言葉に表されるように、全てのものは全て止まることができず、消えてしまうものです。

毎日を一生懸命生きるほど、何かを生み出し、得て、そこに喜びを感じます。しかし、どれだけ努力して得たものであっても必ず失われるのであれば、人生は憂いに満ちたものですね。

この世の中の全てのものは、一瞬の幸福を与えてくれます。しかし、永続的なものはありません。

それを理解することがヨガではとても大切です。

一時的な幸福は苦しみを生むもの

同様の教えは『バガヴァッド・ギーター』の中にも書かれています。

感覚器官の対象から生まれる快楽は、俗世的な人にとっては幸福に見えるが、惨めさを生むものである。クンティの息子よ、賢者はそのような始まりと終わりのある快楽には喜ばないのである。(バガヴァッド・ギーター5章22節)

例えば、収入が増えて羽振の良い生活をするとします。

職場の後輩や友人に美味しいお酒をご馳走することもできるし、洋服や食品など、生活に必要なものは不自由なく購入することができます。

しかし、不景気で仕事が上手くいかなくなった時、生活自体はできていても、1杯のコーヒーを頼むのに躊躇してしまったり、人にご馳走ができなくなったり、セール品から選んで食品を買うようになったら、そんな自分をとても惨めに感じてしまいます。

惨めさを感じたくないから、収入を落とさないために必死に努力をするかもしれません。

しかし、所得を上げるために無理をした結果、体調を崩してしまうかもしれません。

そのような時、人生がとても苦しく感じられます。

例え、お腹いっぱい食べるのに困らない収入があったとしても、値段を気にせずに買えなければ惨めだと感じてしまう人もいます。

一時的に上手くいって、成功経験を積むと、それを失う恐怖が耐えられないほど大きくなります。

時には、生きていることさえ辛く感じてしまいます。他人から見れば問題ない状態であっても、本人にとっては一大事ということはよくありますね。

皆苦な世界は皆楽な世界

ここまでは、物質世界のとてもネガティヴな側面を見てきました。

例え嬉しいことであっても、楽しいことであっても、結果的に苦しみの原因となると思うと、生きることの意義を見失いそうになってしまいますね。

古代からインドでは、多くの人が人生に絶望して、出家をしてヨガの道に進みました。

しかし人生は逃げることでは解決しません。

何か嫌なことがあって逃げても、逃げた先で同じような惨めさを体験します。

苦しみの原因は自分の内側、つまり心にあることを理解しない限り、同じ苦しみを繰り返してしまいます。

ヨガで世界を見る視野を身につける

窓に向かって安楽座で座る女性の後ろ姿

ヨガの修行は、物事を観察する視野を身につけることができます。

例えば、家族の中で上手くいかないと感じている時、それは自分自身からの主観的でしか考えられないからという場合が大半です。

相手の立場で物事を考えられない時、人間関係の問題が起こりがちです。

または、相手の立場のみを考えても、自己犠牲が起こって、バランスが崩れてしまいます。

自分も相手も含めた全体を見ることができた時、初めて根本的な問題に気がつくことができます。

それは、人との人間関係だけではありません。多くの人は、家族という最小の単位だけでなく、自分自身さえ見つめることができていません。

今、悩みがあるとすれば、その悩みの本質的な原因を見つけなくてはいけません。

それができていなければ、どれだけ職業を変えても、パートナーを変えても、着る服を変えても人生が変わることはありません。

自分という最小の単位に向き合うことで、家族のような集団も理解することができます。

そこで養った視野によって、もっと大きな社会についても知ることができます。

苦しみは、本当はなかった

物事の本質がわかってきた時、あらゆる苦しみは本当はなかったと気がつくことができます。

「私は失った」と感じていたことも、本当は何も失っていなかったのだと気がつくことができます。

世の中に溢れる全てのものは、その時々で姿を変容させています。しかし、それは当然の流れであり、何も足されていなければ、何も失われていません。

何も失われないのであれば、何も恐れる必要はありません。

物質世界の変化は私たちを楽しませてくれる味わいであり、その変化があるから人生は豊かな彩りを与えてくれます。

本質を学ぶことが不安を取り除いてくれる

ヨガ・スートラでは、ヨガとは未来の苦しみを取り除くものだと定義しています。

すでに起きてしまったことを変えることはできませんが、これから先の未来は作り上げることができます。

ヨガ的な苦しみの解消法は、物質的なアプローチではありません。

例えば、若さを失うことが怖いと思っていても、ヨガで永遠の若さを手に入れることはできません。

しかし、物事の本質を知り、変化を受け入れられるようになると、何も不安に感じなくて良いのだと気が付きます。

例えば果物は、初めは酸っぱく水々しく、時間が経つにつれて甘くなり、完熟を超えたら柔らかく濃厚な甘さになります。

若くて瑞々しい良さもあれば、最も食べどきのピークの時もあり、人によっては熟しすぎてとろけそうな状態が好きという人もいるでしょう。

物事は変化するから面白みがあります。ある瞬間に固執する必要はありません。

それがわかった時、自分自身の人生をよりポジティブに、全てが幸福なのだと受け入れることができるようになってきます。