太陽が昇る海辺でハーフムーンポーズをとる女性

アビヤーサ(常修)とヴァイラーギャ(離欲)は太陽と月

ヨガを成功に導くための教えにアビヤーサ(常修)ヴァイラーギャ(離欲)
という教えがあります。

そのまま読むと「繰り返し練習し続けましょう」と「欲は手放しましょう」というシンプルな教えなのですが、実はこの2つは両立することがとても難しいものです。

常修と離欲のバランスについて深掘りすることで、ヨガへの理解も深まってきます。

また、自分の習慣の変え方も分かってきますね。

アビヤーサとヴァイラーギャは太陽と月

アビヤーサ(常修)とヴァイラーギャ(離欲)は『ヨガ・スートラ』の中でも、1章12節目、冒頭に出てくる大切な教えです。

アビヤーサ(常修)とヴァイラーギャ(離欲)によって心の働きは止滅する。(1章12節)

ヨガ・スートラでは、最初に「ヨガとは心の働きを止滅すること」だと定義し、止めるべき心の働きには5種類あると説きます。

その後、心の働きを止める方法としてアビヤーサとヴィヤーサが必要であると明かします。

この教えによって練習生たちは「分かった!毎日練習します。欲も頑張って捨てます!」と意気込むのですが、しばらく続けるとこの両立の難しさに気がついてくると思います。

実は、アビヤーサとヴァイラーギャは対立したものであると、練習すると分かってくるでしょう。

アビヤーサ、つまり常修とは、その字のごとく常に練習をすること、ヨガの練習を習慣にして毎日続けることです。

毎日繰り返し練習するためには、それだけ強いモチベーションが必要となります。

しかし、多くの人にとってのモチベーションは、何らかの目的、つまり結果を求める心です。

しかしヨガ・スートラでは「同時に欲を捨てなさい」と説きます。

欲がない人が、どのようにモチベーションを保ち続ければ良いのでしょうか。

アビヤーサ(常修)は、ヨガのダイナミックで積極的な側面であり、太陽のように力強いです。

アビヤーサは長い期間、休むことなく、厳格に実行されることで確固とした基盤となる。(1章14節)

アビヤーサは、ただ毎日繰り返すことではありません。まず、途切れることなく継続すること、そして、厳格に実行しなければなりません。

厳格に実行とは、しっかりと意識を集中させ、できる限りの努力を注ぐことです。とても強い意志が必要となります。

それに対して、ヴァイラーギャ(離欲)は、とても消極的な側面であり、静まる月のようです。

アビヤーサはあらゆる対象に向けて行われます。

ヨガを実践していく中で、ヨガに対する欲さえ手放していかなければなりません。

ヨガとは太陽と月のバランスをとるもの

アビヤーサとヴァイラーギャはダイナミックさと消極さの両極のものと捉えることができますが、ヨガではあらゆる段階で、二極性が鍵になります。

太陽と月という概念はハタヨガで頻繁に使われるものですが、ヨガ・スートラの中ではアーサナ(ポーズ)の結果として二極のものからの解放について書かれています。

その時(アーサナが確立した時)、二極性の状態に悩まされない。(2章48節)

この時の二極性のものとは、暑い/寒い、硬い/柔らかい、暗い/明るい、重い/軽い、歓び/悲しみ、などのあらゆる対の感覚です。

ヨガによってこれらを克服することができます。

また、『バガヴァッド・ギーター』の中でも、両極のものを平等と見ることがヨガの状態なのだと説きます。

敵にも味方にも平等であり、名誉にも不名誉にも、寒さにも暑さにも、歓びにも悲しみにも平等であり、執着のない人。賞賛と非難を同等に受け取り、沈黙し、満足し、定住せず、執着なく知性が確立し、私(クリシュナ神)に向けた信愛に満ちた人は愛おしい。(12章18節19節)

ヨガは、何かしらの偏りがあると敵いません。全て、絶妙なバランスの中から生まれます。

例えばヨガに適した時間を考えても、日の出の直前か、夕方です。

太陽と月の双方のエネルギーが最も高まった瞬間に瞑想が叶います。

体内では右の鼻腔が太陽、左の鼻腔が月のエネルギーを持っており、ハタヨがでは体内の太陽と月のエネルギーの両方を満たすことで初めて眠っていた潜在能力を発揮します。

アビヤーサとヴァイラーギャの教えも同様です。

ヨガの積極的な側面と消極的な側面の両方が完全に満ちた状態でないといけません。

アビヤーサの強い熱意と、ヴァイラーギャの冷静さの両方がないと、ヨガは達成されません。

アビヤーサとヴァイラーギャを両立する方法

アビヤーサ(常修)とヴァイラーギャ(離欲)の両方を叶えることは難しいことですが、バガヴァッド・ギーターの中ではカルマ・ヨガとしてとても分かりやすく解いてくれています。

あなたに与えられたのは定められた義務のみである。行為の結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また行為しないことに執着してもいけない。(2章47節)

精一杯行うべきこと(練習)をするけれど、その結果に囚われないこと。

それがヨガではとても大切です。

しかし、実際は簡単ではありません。

ヨガでは練習の中で、自然と2つのバランスを取るためのコツが含まれています。

アーサナも瞑想も両極のバランスを取る練習

ヨガのアーサナを行っている時を思い浮かべてみましょう。

身体はダイナミックに動いていますが、心は静まりかえり、雑念は消えていきます。このような練習ができている時、積極的な練習と離欲の両方が実現しています。

また、瞑想についても考えてみましょう。

私たちはあらゆるアプローチをして動く心を止めようとします。

雑念や煩悩が消え、思考は止まっていきますが、意識だけはとても鋭く磨かれていきます。

心が止まっている時には意識がアクティブである。

感覚もとても明快になります。

ヨガで体験する、積極性と消極性の両立を経験すると、自然とアビヤーサとヴァイラーギャの調和が見えてきます。

習慣こそが人生を変えるもの

アビヤーサは行動習慣を変えるもの。ヴァイラーギャは思考の習慣を変えるものでもあります。

それはとても難しいものです。

しかし、私たちの人生は常に習慣により作られています。

毎日自分が決断していると思い込んでいることも、実は行動の癖、思考の癖によって積み上げられています。

私たちの脳は、変化をとても嫌がります。

だからこそ、習慣を変えることはとても難しいのですが、1度習慣を変えることができれば、その後の人生がダイナミックに変化していくのを体感できます。

新しい習慣を身につけようとする時、突然大きなことをしようとすると、それだけ反発が強くなります。

大きな反発に対しては、スタート時点の強い興奮状態、ワクワクがある時には乗り越えられるのですが、それは1週間も待たずに弱まってしまいます。

興奮状態が冷めた時、急にやる気がなくなり、怠け心が生まれてくるので、3日坊主になりがちですね。

だからこそ、最初は小さな習慣から変えていきましょう。

「毎日30分の瞑想をする。その前に鼻うがいとマントラとアーサナと...」と、急に大きな目標を立てても上手くいきません。

最初は、毎朝寝起きに5分だけ座るといった、小さな習慣で大丈夫です。

「朝瞑想をしないと気持ち悪い」と思えるくらいまで、継続をすることが大切です。

当たり前に朝座れるようになると、わざわざ理由を考えなくても座れるようになります。

その時、離欲も自然と達成されています。

朝5分の瞑想を続けていると、だんだん物足りなく感じてくるでしょう。その時初めて10分になり、15分になり、30分になっていくかもしれません。

何分座るのかではなく、とにかく毎日座ることだけを意識していた方が、続けやすいですね。

これはヨガだけでなくて、あらゆる習慣に当てはまります。

自分自身の生活を見直して、習慣を変えたい時には、とにかく続けられる方法を模索しましょう。

小さくても毎日の積み重ねが人生を変えてくれます。

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