お母さんの愛とバクティ・ヨガ(信愛のヨガ)

日常生活で活かせるヨガを説いてくれるクリシュナ神は、愛の神様としても知られています。

インドでは、母親の愛情を深いバクティ(信愛)だと考えて、信仰の一部に取り入れています。

そのため、ヨガをあまり知らない一般の人でも生活の一部としてバクティ・ヨガを取り入れられています。

今回は、愛の感情から深めるヨガについて考えてみましょう。

ベイビー・クリシュナとバクティ・ヨガ


一般的に神様というと大きな力があって仰々しい姿を想像しがちですが、愛の神様と呼ばれるクリシュナ神は美少年の姿で書かれるか、ベイビー・クリシュナと呼ばれる赤ちゃんの姿で描かれることが多いです。

神様が赤ん坊の姿で描かれることは、多神教のインドでもとても珍しいことです。

赤ん坊の時から悪魔を退治するほどの力を持っていたクリシュナ神ですが、聡明で力強い側面と、いたずらっ子でワンパク坊主の側面を両方持ち合わせています。

例えば、幼少期のクリシュナ神は壺に入ったバターを食べている姿で描かれることが多いのですが、これはバターが好物のクリシュナがいつも盗み食いしていた神話に基づいて描かれています。
ある日、育ての母親がクリシュナにどうしてバターを盗み食いするのか尋ねました。

するとクリシュナは「バターを盗んでいるのではないよ。牛飼いの女性たちの心を奪っているのだよ。」と答えました。

クリシュナ神は、幼少期からその愛らしさで人々の愛情を集めていました。

幼い子供は完璧な模範児でなくても、そのいたずらさえ愛おしく感じられます。クリシュナ神の周りの女性たちは、そんなクリシュナ神の世話を焼くことでも大きな幸福を感じることができました。

見返りを求めない純粋な愛の感情は、人生の中で最も美しい喜びの1つです。いてくれるだけで嬉しいという愛によって、愛する側も愛される側も幸福になります。

クリシュナ神は、存在するだけで周囲の人を幸福にする力を持っていたのですね。

インドで行われるバクティ(信愛)の実践

現在のインドでも、クリシュナ神は人々に人生の幸福を説き続けています。

インドでヒンドゥー教徒の家庭に行くと、自宅のなかにパーソナルな祈りのスペース(お寺)を作っている家庭が多く、インドの人々は毎日外のお寺に行かなくても、自宅にお寺を持つことで神様を身近に感じます。

各家庭のお寺には、ブランコに乗った幼少期のクリシュナの人形を飾っている人が多いです。

そのような家庭では、一家の女性がクリシュナ神の世話をわが子の世話をするように様に行います。

朝、お母さんたちは朝食を料理して、自分が朝食を食べる前にクリシュナ神の像の前に捧げます。毎朝クリシュナ神像の洋服を着替えさせる家庭もあります。

まるで自分の子供を育てているように、自分より優先して食事を食べさせて、身体を拭いて、着替えを手伝います。

また、インドで聖地巡礼に行くと、バスケットを持ち歩いている人を見かけることがあります。バスケットの中には、やはり幼少期のクリシュナ神の像が入っていて、家族の1人として一緒に旅をします。

筆者がムンバイ空港で見かけた家族は、大きいクリシュナのお寺ごと運んでチェックインしようとしていて、航空会社の係員と揉めていました。それだけ愛情を注いでいるのですね。

家族に迎え入れることでバクティを日常に取り入れる

どうして、ベイビー・クリシュナを信仰する慣習が広まったのでしょうか。

それは母親の持つ母性本能が強くかかわっていると考えられています。

子育て中の母親の多くは、自分のことよりも子供のことを優先して生活しています。とても献身的に愛することに幸福を感じ、子供に対する愛情は24時間続きます。

例えば夜寝ている時でも、子供に危険が及ばないように気にしているため、小さな物音にもすぐに気が付いて目を覚ますことがあるでしょう。

子供を大切に入浴させて、自分は髪を乾かす時間もなく、仕事に行って離れている時間さえ気になって頭の片隅に子供のことを考えているお母さんも多いと思います。

そのような母親の心情は、エゴを手放すバクティ・ヨガで目指される深い親愛の状態です。

バクティ・ヨガでは、常に神様に心を繋ぎ留めておくことでエゴを手放しますが、常に何かを思い続けることは簡単ではありません。

本来は繰り返し鍛錬ることで深まるバクティ(信愛)ですが、子供への愛情に結びつけることによって自然とインドでは浸透しました。

バクティ・ヨガ(親愛のヨガ)でエゴを手放すと感じられる幸福


ヨガでは、純粋な愛は人生の幸せを増幅させるものだと考えます。

しかし、愛という純粋で美しい感情が原因で苦悩を生んでしまう場合があります。それは、エゴが強まってしまうことで起こります。

「私の子供」だと、子供に対して自分の所有物のような固執を強めてしまうことは誰にでも起こりえます。

「自分の」という固執を強めると、自然と欲が強くなります。

「私の好みの洋服を着て欲しい」
「自分の好きなスポーツを一緒にやって欲しい」
「周囲に自慢できるような礼儀正しい子でいて欲しい」

「私の」というエゴが強まるほど、子供の要求と親の要求が合わなくなって、衝突が起りがちです。

大きな期待を抱くから、大きな失望を感じます。大きな失望は怒りに変わり、怒りの感情が強くなると理性が失われてしまいます。

本当は存在してくれただけで幸せだった子供、パートナー、友人、両親、関係が深くなるほど意見が食い違った時に大きな憎しみを生んでしまいがちですね。

クリシュナ神が悪戯をしても愛されるのは、そこに尊敬の念があるからです。

バクティは信じて愛する心です。

自分のパートナー、や子供に対して、自分の所有物のように扱ってしまうと衝突が起きます。

家族であっても、相手のアイデンティティを尊重して、自分と違う考えを持っていることも認めて、その上で家族という無条件の愛を保持できれば、もっと幸福を感じやすくなります。

バクティ・ヨガでは自分への愛も大切


バクティは献身的な信愛ですが、自己犠牲とは違います。

クリシュナ神の説くヨガは、自分と他者を平等であると認識するものです。周囲の人を大切に感じるのと同等に、自分自身を大切にすることも必要です。

特に子育て中には、子供の意志を尊重してやりたいことをやらせてあげようと思うと、自分の時間がなくなっても、疲れていても、顔に出さないようにして我慢ばかりしてしまいますね。

身体は疲れていても、幸せという状況はあります。

しかし、本当に辛い時には自分自身の心の声に耳を傾けることも大切です。

同じような生活をしていても、大丈夫な人もいれば、悲鳴を上げてしまう人もいます。

誰かにとっては簡単なことは、他の人にとっては耐えられないこともあります。

「これくらい、みんなやっている」ではなくて、自分自身はどうなのかに気が付けると良いですね。

誰に対しても同様の愛を抱けるように

『バガヴァッド・ギーター』では、自分にとって親族であっても、味方や友であっても、敵であっても無関係な人であっても平等であると説かれています。

社会の中では立場があるので、利益相反の関係だと敵や味方となってしまうこともあります。

人生で1度もあったことのない国の人たちの育てた作物に生かされていることもあります。

自分に関係のない人と、自分の親しい人の違いは何でしょうか?たまたまの立場の違いしかありません。

自分が今後会うことがない人にも人生があって、家族があって、心があります。そんな風に考えると、誰にでも優しくなれるかもしれません。

そのような愛の感情を育てるのがバクティ・ヨガの大きな目的の1つです。

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