茶色い縞模様の猫と白い猫と街並みの風景

「さすらいのジェニー」~無意識下の世界で新しい自分に変わる~

こんにちは!丘紫真璃です。今回は、アメリカの名作家ポール・ギャリコの『さすらいのジェニー』を取り上げたいと思います。

ポール・ギャリコという名前を聞いてもピンと来ないという方も、『ポセイドン・アドベンチャー』の原作を書いた人だと聞けば、「アア!」と、大きくうなずかれることでしょう。

ギャリコは、『ポセイドン・アドベンチャー』のようなハラハラドキドキする冒険物から、美しい短編、児童書、ファンタジーと多種類にわたる名作を書き残した人でした。

中でもギャリコ自身が気に入っていたのは、猫を扱った小説だそうで、「さすらいのジェニー」は、まさしく彼のお気に入りの猫作品に当たります。

主人公が猫に変身し、ジェニーというステキなメス猫と共に大冒険を繰り広げますが、ただの楽しい冒険小説にはとどまりません。

訳者の矢川澄子さんの言葉を借りれば、「2度の大戦を生きのび、個人的にもさまざまな浮沈や哀歓を体験したにちがいないひとりの作家が、知命の齢にいたるまでのもろもろの悟りや知識のありったけをこめて描き上げた愛の賛歌」なのです。

それでは、私達は素晴らしい猫の愛の賛歌の物語とヨガとの関係を探しに、ジェニーの世界へと飛んでみましょう!

無類の猫好き・ポール・ギャリコ

作者のポール・ギャリコは、1897年7月26日生まれ。イタリア系の移民である父と、オーストリア系の移民である母との間に生まれた、アメリカ人の小説家です。

スポーツ記者として有名になったのち、作家生活に入ってからは、イギリス、モナコ、リヒケンシュタインなど、様々な土地を旅しながら執筆活動を続けました。

無類の猫好きとしても有名で、彼の『猫語の教科書』や『さすらいのジェニー』を読めば、そのことがとても良くわかります。

『さすらいのジェニー』は、愛の賛歌の物語ということですが、猫の賛歌の物語といってもいい程に猫への愛情が隅々まで込められており、ギャリコ自身が猫になって冒険をしてきたことをそのまんま書いているのではないかというくらい、恐ろしいほどリアルな猫世界の冒険が、ありありと描かれています。

猫に変身するまで


主人公のピーターは、イギリスのロンドンに住む8歳の少年。

猫が大好きで、自分の猫が欲しいと願い続けているのですが、なかなか猫を飼わせてもらえません。ピーターを世話しているばあやが、大の猫嫌いだからです。

ピーターの父は陸軍の大佐で、時々の休暇に家に帰ってくるだけ。母もしょっちゅう用事があって、盛装※1して出かけなければならず、やはり、ほとんど家にいません。

ピーターのことは、ばあやにすっかり任せられていました。

ピーターはもう8歳なので、本当はもうばあやなんて必要ありませんが、「ばあやなしではやっていけない」と母が言い張るため、そのまま、ばあやがピーターのお世話を続けているというわけなのです。

1日でも長くばあやにはいてほしいと願っている母は、猫のことなんかで、ばあやに御機嫌を損ねては大変と、ピーターが猫を飼うことを厳しく禁止しています。

ギャリコは、こうした状況をつづった上で、次のように書いています。

こうしたことをすべて、ピーターは百も承知のうえで、しかたないと思って辛抱していた。ピーターはいつもそんなふうだったのだ。
(『さすらいのジェニー』)

それでも、ピーターはスキを見ては、ぐったりやせ細っている猫を家に連れ込んで、こっそり飼おうとするのですが、いつもばあやに見つかってしまい、猫は乱暴に外に放り出されてしまいます。

それからピーターは、おしおきをされるのです。

とはいっても、そのおしおきよりもはるかにつらいのは、せっかくのあたらしい友だちを失ったことであり、やすらかに腕に抱かれていた猫のいかにもしあわせそうなようすを思い出すことのほうだった。
ピーターは、そんなめにあってももはや泣いたりしない習慣すら、ちゃんと身につけていた。声なんか立てなくたって、ひっそりと心の中でなくことができる。それをすでにさとっていたのだ。
(『さすらいのジェニー』)

そんなピーターは、ある日1匹の猫を追いかけて道路に飛び出し、車にはねられて意識不明の重症を負ってしまいます。

そして、その事故がきっかけで、ピーターに不思議な出来事が起こります。

ピーターは真っ白な猫に変身してしまったのです。

  • ※1 盛装:華やかに着飾る事。

ジェニーに出会って


真っ白な猫に変身してしまったピーターは、ばあやに冷たい雨が降りしきる外に放り出されます。

猫になって初めて、ピーターは自分が住むロンドンの町が、どんなに恐ろしい場所かということを身をもって体験することになります。

どちらを向いても、重たい長ぐつやこつこついうハイヒールをまとった盲目の足の連続であった。にょっきりのびあがったその足の上のほうは、暗くけむった雨の夜空にとけこんでおり、その足という足がみな、あっちへこっちへ、あてもなくやたらにせかせかと動いていた。同様に盲めっぽうで、しかもはるかに危険なのは、巨大な車輪だった。がらがら、ぶうぶう、ときにはごうごうと、うなり声をとどろかせ、きまって二つずつ前後して通りすぎてゆく。その下敷きになろうものなら、居間に敷いてあるヒョウの毛皮よりもさらにぺっしゃんこにのされてしまうにちがいなかった。
(『さすらいのジェニー』)

冷たい人間に蹴とばされ、放り投げられ、あしらわれ、死ぬ程恐ろしい思いをして、ほとんど死にかけになったピーターを救ってくれたのは、ほっそりとしたメスのトラ猫でした。

その猫こそ、題名にもなっているジェニー。

ギャリコは筆を尽くしてジェニーの描写をしています。

声の主は、すぐそばに気持ちよさそうにうずくまっていた。足はからだの下にたたみこみ、しっぽをかたちよくまわりにめぐらしていた。それは、ほっそりしためすの虎猫で、顔とのどに一部分白い毛がまざっているのがいかにもあいらしく、おっとりした風情をあたえていた。ところどころ金色に光る緑灰色の明るい目には、いきいきとしたやさしい表情がこもり、あいくるしさをさらにたかめていた
(『さすらいのジェニー』)

死にかけのピーターでしたが、ジェニーが親切に介抱してくれたので、すっかり元気に回復します。

そして、自分はもともとは人間の男の子だったという秘密をジェニーに打ち明け、ジェニーに猫としての生き方とルールを教わることになります。

そして、ジェニーと共に大ネズミと戦ったり、船旅をしたりと大冒険をすることになるのです。

内界への旅で成長する

現実世界での8歳のピーターの身体は、交通事故に遭って意識不明の重体となり、病院に入院して治療を受け、両親とばあやが心配しながらそれを見守っている……という状態に置かれています。

けれども、ピーターの魂は猫に変身して大冒険をするという経験をしました。

「さすらいのジェニー」のあとがきを書いている河合隼雄先生は、ピーターの猫になった旅を「内界の旅」と表現されていますが、まさしく心の中の旅ということができるでしょう。

人の心の中には、意識下の世界と無意識下の世界があると言いますが、交通事故に遭って、意識不明の状態になっているピーターが経験した猫になった大冒険こそは、無意識下の世界で起こった出来事といっていいでしょう。

無意識下の世界は、ヨギーとも深い関係があります。ヨギーがする瞑想とは、意識下の世界から、無意識下の世界におりていく行為だからです。

無意識下の世界は、時や常識や形といったものに全く縛られない自由な世界。プルシャに1番近い世界なので、ヨギーはみな無意識下の世界を目指して、瞑想をするのです。

時や常識、形に縛られない自由な無意識下の世界の中で、ピーターは人間の男の子ではなく、真っ白なオス猫となりました。

白猫となって、ジェニーと共に大冒険に出かけた8歳の少年ピーター。

初めのうちこそは、ジェニーに母親のように教えてもらい、守ってもらっていましたが、旅を続けるうちに急速に成長をし、しまいには、ジェニーのことをまるで恋人のように、守ることもできるようになります。

最後には、ジェニーを守るために、恐ろしいオス猫と戦ったりもするのです。

こうして、無意識下の世界で大きく成長したピーターは現実世界で目を覚まし、大怪我をして病院のベッドで横たわっている人間の自分を見出します。

現実世界ですっかり正気を取り戻したピーターは、ジェニーのいる無意識下の世界には戻れないのだと悟り、ジェニーに会えない悲しさから思わず泣き出してしまいます。

ピーターが目覚めるのを見守っていた家族とばあやは、ピーターがジェニーのことで泣いているなんて事を知るわけがありませんでした。でも、突然泣き出したピーターをなぐさめようと、1匹の猫を差し出して、この猫を飼っていいことになったよと教えます。

けれども、ピーターは「ジェニー以外の猫はいらないっ!」と顔をそむけて叫んでしまいます。しかし、その途端、ピーターにそっぽを向かれた猫が悲しそうに鳴いたので、ハッとするのです。

ピーターにそっぽを向かれた白黒のまだら猫が、小さななき声をあげたのだ。その声をピーターはきいた。そして、理解した。
ピーターは理解した。わかったのだ。いや、わかったといっても、猫の言っていることがききわけられたのではない。人間にもどったと同時に、猫のことばはきれいにピーターの脳裏から一掃されてしまっていたのだ。けれども、その哀れなかぼそいなき声のなやましげなメロディはわかった。きらわれものの、宿なしの、よるべない、野良猫のなき声。それはピーターがはからずも、くわしく知る機会にめぐまれたものであった。見捨てられた孤独な魂が、どうぞおそばにおいて、あたたかく抱きしめてと、せつなく訴えているのだった
(『さすらいのジェニー』)

ピーターは、猫になったばかりの時に、ばあやにロンドンの冷たい雨の中に放り捨てられ、死ぬ程恐ろしい思いをした体験を鮮やかに思い出します。

その恐怖を思い出した途端、白黒の捨て猫のことを守りたいと強く思って、抱き寄せます。

事故に遭う前のピーターが猫を欲しがったのは、自分の寂しさのせいでした。でも、無意識下の世界で大きく成長をしたピーターは違います。

寂しいからではなく、守りたいと思ったから、その猫を自分の手元にグッと引き寄せてやったのです。ピーターは、寂しいものを守ることができるほど、無意識下の世界の旅をして、大きく成長していました。

ヨギーも瞑想をすることによって、必ず、成長をします。

もちろん、うまく瞑想ができるとか、できないとかはいろいろありますし、無意識下の世界まで深く下りていける人もいれば、なかなか深い世界まで瞑想でたどり着けない人もいます。けれども、どんな場合でも、瞑想をすることによって、必ず新しい自分に変わるのです。

座禅を組んで目をつぶるだけが瞑想ではありません。ヨガのポーズを取り、それに集中することも、一種の瞑想です。

ヨガのポーズを取り、そこに集中をする短い間にも、それを終えた時、新しい自分に出会うことができます。

瞑想とは自分を変えてくれるもの。

ピーターは、交通事故に遭うという危険な形を取って、無意識下の旅に出かけたわけですが、それだけ大きな体験をしたからこそ、深い瞑想の旅をすることができ、大きく成長を遂げることができたということもできるでしょう。

『さすらいのジェニー』を読むことで、1人の少年が体験した素晴らしい無意識下の旅を、疑似体験することができます。

読み終わった時、ピーターだけではなく、読者の私達もまた、本を読む前の自分とは変わっていることでしょう。

ギャリコの猫への愛がありったけつまった「さすらいのジェニー」。難しい事抜きに、純粋に面白く楽しめるファンタジーですから、ぜひ!手に取って見て下さい。

参考資料

  1. 『さすらいのジェニー』(1983年:ポール・ギャリコ著/矢川澄子訳/大和書房)