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ヨガの哲学を学びたい、『バガヴァッド・ギーター』(以下ギーター)の教えを知りたいと思っても、どうしても積読※1になってしまう人は多いです。
ギーターは壮大な叙事詩のストーリーの一部で、箇条書きで教えを書いてくれているテキストですが、どうしても自分で読みながら理解するのは難しいと感じてしまうかもしれません。
今回は、ギーターのあらすじの部分を省いて、そこに書かれたヨガの教えの部分を要約してご紹介します。
まずは全体像を知りたい人、どんなヨガが書かれているのか簡潔に知りたい人はチェックしてください。
- ※1 積読:買った本を読まずに積んでおく事。
まずはバガヴァッド・ギーターのヨガの目的を要約
ヨガについて学ぶときに、1番最初に知っておきたいのはヨガの目的です。
ヨガを実践するとどうなるのか?これを知っているのと知らないのでは、同じ練習をしていても効果が全く変わってきますね。ヨガの目的は勉強するヨガの教典によっても違います。
例えば、ヨガ・スートラであれば「ヨガとは心の働きを止滅することである」と説き、ハタヨガ・プラディーピカでは「ハタヨガはラージャ・ヨガに昇るための階段」だと説きます。
ギーターでの目的は自己と宇宙の真実に到達することです。
自分自身の本質のことをアートマン(個我)と呼びます。自分の本質を知るための行いがヨガです。
心に宿るあらゆる欲をすべて捨てて、アートマンにのみ満足するとき、その人の知恵は確立したと言われる。(バガヴァット・ギーター2章55節)
自分自身に対する真の知識が確立した時、自分は「個」ではなくて「全体」だと知ることができます。
ヨーガに専心し、一切を平等に見る人は、アートマンを万物に存すると認め、また万物を自己のうちに見る。(バガヴァッド・ギーター6章29節)
自分自身の本質であるアートマンを感じることができるようになると、アートマンは自分だけじゃなくて、全ての存在の中に在るのだと知ることができます。
つまり、本質的には自分も周りの人も、人間以外の生命も、自然も、みんな同じであると実感することができます。
その真実を知るのがヨガです。ヨガで本質を知り、平等の境地に達することができると、比較や執着による苦しみを生み出さなくなります。
様々なヨガの種類を説くギーター
ギーターの大きな特徴は、様々なヨガの種類を紹介してくれることです。他の教典では、1つの道について詳しく書かれています。
しかし、人の個性や生きている環境によって、実践できるヨガは違います。だからクリシュナ神はギーターの中で、全ての人に向けて「それぞれ自分にとって最適な道で学びなさい」と教えます。
ヨガは登山に例えられることが多いです。登山の目的は山の頂上に到達することです。人によっては険しい道を真っすぐに進むことに快感を感じ、別の人は遠回りをしながらでも安全な道を選びます。身体の悪い人はロバに乗って頂上を目指すかもしれません。
どの道を通っても、目的地に到達することはできます。だから、どれが正解ということはありません。
ギーターに説かれたヨガの種類
ギーターの中で説かれたヨガで代表的なものは4つです。
- カルマ・ヨガ(行為のヨガ)
- ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)
- バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)
- ラージャ・ヨガ(瞑想)
それぞれのヨガについて詳しく見ていきましょう。
カルマ・ヨガ(行為のヨガ)
カルマとは「行為・業」という意味のサンスクリット語です。
私たちが生まれてから生み出したすべての行い(カルマ)は、結果となって私たちの人生を作り出しています。だから、ヨガマットの上だけではなく、人生の全ての瞬間の行いをヨガとして行うのがカルマ・ヨガです。
カルマ・ヨガで大切なことは、結果を行動の動機としないこと。未来の結果に執着しないことです。実践の内容は特に制限されていません。
例えば、多くの人に健康に幸せに生きてもらえるためにヨガを教えることを自分のカルマ・ヨガとして行うとします。
ヨガを教えること自体は良いことです。しかし、結果を動機としているとヨガの実践にはなりません。「1クラス何名の生徒に来て欲しい」「先生として尊敬されたい」といった、結果を目標としてしまうと、成功か失敗かに常に心が囚われてしまいますね。
ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)
ギャーナ・ヨガは、真実について勉強することです。
あらゆるヨガでは、「本当の自分」という真実を知ることができます。そのため、正しい知識を得ることが直接的にヨガの成功に繋がります。
しかし、教典の言葉で沢山の知識を暗記するだけでは意味がありません。「アートマン(個我)はブラフマン(宇宙)である」と言葉で知っても、それを本当の意味で理解したとは言えません。
正しい知識を得ることとは、真実を体験して、実態のある知識を経験する必要があります。
そのためギーターでは、カルマ・ヨガとギャーナ・ヨガを一対のものとして説きます。
正しい目的を理解して、実践することによって大きな効果を得ることができ、実践と知識のどちらの道から出発しても、両方を学ぶことが大切です。
バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)
バクティとは、神への信愛です。
神とは、ブラフマンという宇宙意識そのものです。それが、人々の求める姿となり、インドに多数存在する様々な姿の神々となります。つまり、多神教であるインドでも、全ての神々は1つの真のブラフマンであると考えられます。
ギーターの中では、クリシュナ神という人間として生まれた神が、直接的にヨガの教えをアルジュナ王子に説きます。知識とは、人が自分自身で幸福を得るために必要なものであり、どんな財宝よりも尊いものです。
物質世界のマーヤー(幻)に惑わされて迷い、苦悩を感じている人々の迷いを取り除いてくれる神を前にして、自身のエゴを手放して、心から信愛することがバクティ・ヨガです。
バクティ・ヨガを実践することによって、私たちの感情が豊かに育ちます。どれだけ素晴らしい教えを聞いても、心がすさんで聞く余裕がない時には受け取ることができません。よ
りよく生きたい、そのために変わりたいと思う心も、バクティ・ヨガで築くことができます。
ラージャ・ヨガ(瞑想)
私たちが一般的にヨガと聞いてイメージするようなアーサナ(ポーズ)や呼吸、瞑想を使って真実に到達しようと考えるのがラージャ・ヨガです。
現在では最もポピュラーなヨガですが、当時は出家してフルタイムで修行するべきものと考えられていたので、一般の人にとっては未知のものでした。
ラージャ・ヨガでは徹底して自分の心に向き合います。自分の心を自らコントロールすることによって、どのような迷いにも打ち勝てる自身の芯の部分に到達することができます。
すべてのヨガは繋がっている
このように、ギーターの中ではそれぞれの人に向いているヨガを選択できます。決してどのヨガが正しいとジャッジすることなく、自分にとって必要なヨガを行うことが正しい道です。
自分自身に与えられた行いをダルマ(職務・義務)と呼びます。
人の上に立って管理する立場の人もいれば、言われた作業を淡々とこなす役割の人もします。人と比べて落ち込む必要もありません。それを学ぶのもギーターの哲学です。
ぜひバガヴァッド・ギーターの中から、自分に合ったヨガを見つけてください。