『ふたりのロッテ』で考える、自分の心に正直であるということ

『ふたりのロッテ』で考える、自分の心に正直であるということ

こんにちは、丘紫真璃です。今回のヨガで文学探訪は、『ふたりのロッテ』を取り上げてみたいと思います。

どこからどう見てもそっくりのふたごの少女が入れ替わるこの楽しい物語は、日本でも、劇団四季のミュージカルになったり、映画化されたりしていますので、ご存知の方も多いかもしれません。ケストナーが生み出した楽しいふたごの物語のどこに、ヨガ的視点を見出せるのか、いっしょに考えていきましょう。

ナチスドイツ時代に、こっそり書かれた名作

作者のエーリヒ・ケストナーは、第二次世界大戦前、ドイツで有名な作家でした。多くの優れた名作で次々に成功をおさめ、人気を博していましたが、1933年にヒトラーがドイツを支配するようになると、自由主義で平和主義のケストナーは、執筆を禁止されます。

そこで変名を用いて、映画のシナリオを書いて生計を立てていたのです。そんな中、映画のシナリオのために書かれたのが、どこからどう見てもそっくりなふたごの少女をもとにした『大きな秘密』という題のシナリオでした。 

『大きな秘密』は大戦中、日の目を見ませんでしたが、大戦後『ふたりのロッテ』という小説にして発表。たちまち大成功をおさめます。その後、日本でも映画化され、世界中で人気を博しました。

『ふたりのロッテ』は、どんな話?

オーストリアのビュールゼー湖のほとりにある「子どもの家」に、夏の休暇中、多くの少女達が各地から集まります。そこで、取りちがえるほどそっくりな、ふたりの少女ルイーゼとロッテが出会います。

最初はびっくり仰天するふたりでしたが、やがて、真実を知ります。それは、実はふたりはふたごだけれど、彼女達がまだ赤ん坊の頃に両親が離婚しており、ルイーゼはお父さんに、ロッテはお母さんに引き取られて、バラバラに育てられていたということ。両親は、それぞれに、本当のことを隠していたので、ルイーゼもロッテも、お互いの存在を知らなかったというわけでした。

夏の休暇が終わる時、ふたりは一つの陰謀をくわだてます。ルイーゼはロッテのふりをしてお母さんの所へ、ロッテはルイーゼのふりをして、お父さんの所へ帰るという計画です。お互いに連絡を取り合い、力をあわせて、もう一度、両親を結び合わせようとたくらむのです。

ただ、ふたりは見た目はそっくりでも、性格はまるで正反対。ルイーゼは陽気でとんちがきく元気な少女ですし、ロッテは芯は強いけれど大人しく、控えめで真面目です。

ルイーゼはオムレツが好きなのに、ロッテは大きらい。ロッテはお料理が上手で計算も得意だけれど、ルイーゼはお料理なんてしたこともなければ計算も苦手…という具合です。

そんな正反対のふたりなので、入れ替わった先で、様々な珍現象を引き起こします。けれども、ふたごの少女の涙と笑いとハラハラの冒険の末に、ふたごの両親はめでたく再婚することになるのです。

両親の成長物語

この楽しいふたごの入れ替わり物語を、両親の成長物語として見てみたらどうでしょう。

ルイーゼとロッテの両親が離婚した理由について、ケストナーはかなり詳細に書いています。お父さんは作曲家で、音楽的な着想がわくと一人になりたがります。

新婚当時、妻を愛していたのですが、小さいふたごが家で昼も夜も泣きわめいていた時、芸術的な絶望感にかられて、仕事部屋を借り、そこにグランドピアノを運ばせます。そして、そこにほとんどの時間、閉じこもるようになるのです。

まだ二十歳にならないくらい若かったお母さんは、それを快く思わなかった上に、ちょっとした事件が重なり、今までガマンしていた怒りが爆発してしまいます。そして、お父さんに、離婚届をつきつけてしまうのです。

こうして、お父さんは作曲のために思う存分、一人になることができるようになったわけですが、いざそうなってみると、どうにも幸福でないということに気がつきます。彼は、自分で何をのぞんでいるのか、自分でもわからなくなってしまったのです。

どうにも幸福でないということに気がついてしまったお父さん
どうにも幸福でないということに気がついてしまったお父さん

怒って離婚届をつきつけたお母さんもまた、シングルマザーとなっても幸福ではありません。仕事に追われ、生活を切りつめ、いつも疲れてしまっています。そんな折、ルイーゼとロッテが入れかわることで、両親も徐々に変わっていくのです。

ルイーゼのふりをしたロッテは、母親によく家事を仕込まれていますので、家にきちんきちんと花をかざり、仕事部屋にも花をかざりにいき、お父さんの家を気持ちよく整えます。「まるで家に妻がいるようだ!」と、お父さんは驚いて考えます。

また、ルイーゼは全くピアノに興味がなかったのですが、ロッテはピアノに興味を示したので、お父さんはピアノを教えてやるようになります。さらに、ロッテにピアノを教えているうちに、お父さんは「子どものオペラ」という新しい曲を思いつき、

わたしは、今ほどたくさん作曲したことは、いまだかつてありません! しかも、これほどよいものを!

ー 『ふたりのロッテ』第7章より[1]

と言うようになるのです。

他方、お母さんは、ロッテのふりをしたルイーゼが、もうそんなに所帯むきでなくなったかわりに、以前よりよくはしゃぐようになったことに気がつきます。それを見て、自分が子どもを小さな主婦にしてしまっていたことを反省し、

母おやというものは、たとえほかに、どんなに心配があったって、何よりも、子どもが子どもの天国からあまり早く追い出されないように守ってやる義務があるんだわ!

ー 『ふたりのロッテ』第7章より[1]

と考えます。

そこで、子どもをもっと楽しませようと思ったお母さんは、子どもを連れて、ふたりで楽しいピクニックに出かけます。そこで、お母さん自身もトビ色に焼けて、少女のように若返ります。

そうして、お父さんとお母さんは、徐々に変わっていくことになりました。こうした成長があったからこそ、両親は最後にめでたく結ばれることができたわけですが、さて、この両親の物語に、ヨガで尊ばれる正直であること——サティヤを考えることができないでしょうか。

心の奥底の本当の望み

心の奥底の本当の望み 『ヨガ・スートラ』の八支則ヤマの中に記されたサティヤ
『ヨガ・スートラ』の八支則ヤマの中に記されたサティヤ

『ヨガ・スートラ』の八支則ヤマの中に、正直であること——サティヤがありますよね。

これは、ただウソを言わないでおくというだけの意味ではなく、自分の心に絶対的に正直であれということであり、自分の心をごまかさないということではないでしょうか。

ルイーゼとロッテの両親は、はじめのうち、子どもにもウソをついて、お互いの存在を隠していました。また自分の心をもごまかしていました。一人になりたいとか、意地とか、怒りといった心の表面にある気持ちにまどわされて、その奥底にある気持ちまで見つめようとしませんでした。

けれども物語の終盤、ロッテの病を機に、家族四人がウィーンに集まった時、子ども達は

ロッテとあたしは、お誕生日におとうさんとおかあさんに、これからみんな、いつもいっしょにいられるようにしていただくことを、お願いするの!

ー 『ふたりのロッテ』第11章より[1]

と、心の底からの望みを、正直に両親にぶつけます。

そこで、両親もようやく、自分の心と向き合うことになり、心の奥底にあった家族への愛や、お互いへの愛をごまかさずに見つめることになります。そして、心の奥の大事な思いにようやくすなおになることができたふたりは、めでたく結ばれ、

こんなことになろうとは、夢にも思いませんでしたわ!失った幸福を、怠けた勉強時間のように、取り返すことができるとは。

ー 『ふたりのロッテ』第11章より[1]

と言うようになるのです。


ケストナーが、この物語を発表した当時、子ども向けの本に離婚問題を取り上げることは前例のなかったことでした。子どもにわざわざ、そんな話をしなくてもいいという声も多かったようですが、その問題について、ケストナーは物語の中で、次のように語っています。

おとなが肩ごしにこの本をのぞいて『ひどいやつだ! 一体全体どうして子どもたちにこんな話を聞かせるのだ!』とどなるようなことがあったら(一部省略)わたしからよろしくと言ってください。

わたしはその人に、この世の中には離婚した両親がたいそうたくさんいること、そのためにいっそうたくさんの子どもが苦しんでいること、また他方、両親が離婚しないために苦しんでいる子どもがたいそうたくさんいることを、話してやりましょう!

しかも、そういう状態のもとに苦しむことを子どもらに強いているとしたら、そういうことについて、すじ道のとおった、わかりよい形で、子どもらと話をしてやらないのは、あまりに気が弱すぎるばかりか、道理にそむくことでしょう!

ー 『ふたりのロッテ』第5章より[1]

ケストナーは、この物語全体で、子どもにもごまかさず、真実を伝えようとしたといえるのではないでしょうか。率直さを愛し、真実を貴ぶことを信条としたケストナーが書いたこの物語全体が、サティヤで貫かれた物語だといえるでしょう。


自分の心に正直になることは非常に難しいことです。人間の心は複雑で入り組んでいて、それをまっすぐに見つめることはなかなかできないことでしょう。けれども、サマディーへの道の第一歩は、そんな複雑に入り組んだ自分の心と向き合ってみるところからはじまるのではないでしょうか。

ふたりのロッテは子どもが読んでも楽しい話です。でも、複雑な思いに悩まされ、自分を見失った大人こそが読むべき本だといえるのでしょう。

参考資料

  1. エーリヒ・ケストナー著、高橋健二訳『ふたりのロッテ』岩波少年文庫、1950年