「このバラを買いませんか?」— 路上で生きるインドの少年と、国境を越える愛 —

「このバラを買いませんか?」— 路上で生きるインドの少年と、国境を越える愛 —

インド・バンガロール、とあるカフェの前。
夕方の光が、ゆっくりと通りを照らしていました。私たちはタクシーを待ちながら、何気ない会話を交わしていました。そのとき、後ろからふと、こんな声が聞こえてきたのです。

「このバラを買いませんか?」

インドの少年
インドの少年

振り返ると、そこには少年が立っていました。とても整った、かわいらしい顔立ち。そして何より印象的だったのは、その目でした。澄んでいてはっきりと光がある迷いのない目。彼の手には、一本ずつ丁寧に包まれたバラの花が五本。どれも小ぶりだけれど美しく、どこか誇らしげにも見えました。
彼はものおじすることなく、恐れに背を向けることもなく、物乞いでもありませんでした。ただ静かに「これを買いませんか?」と、日本人の大人である私たちに、まっすぐに差し出してきたのです。

この光景は、日本ではほとんど目にすることがありません。その日を生きるために働く姿を、私たちは、いつから“見ないもの”にしてきたのでしょうか。
日本では、未来のために備えることが美徳とされます。計画を立て、貯蓄をし、不安を減らす努力をする。けれどその一方で、まだ来ない明日に意識を向けすぎるあまり、今日を生きる力が少しずつ弱くなっているのかもしれません。

インドの子供たち
インドの子供たち

インドでは、路上で花を売る子どもたちの姿は珍しくありません。それは決して美談ではありませんし、貧困という現実があることも事実です。けれど私は、この少年の佇まいに、それとは別のものを感じていました。彼は、明日を過剰に不安がる様子もなく、かといって過去を悔やんでいるようにも見えませんでした。

ただ、今日という一日を、今この瞬間を、生きている。

ヨガの視点から見たとき、これはとても象徴的な姿です。ヨガは、「今ここ」に心を戻す智慧があります。過去への後悔や未来への不安から意識を引き戻し、「今この瞬間」に集中すること。それは心を静めるためだけの技法ではなく、生き方そのものでもあります。

「今」に意識があるとき、私たちは初めて幸せを感じることができます。けれど、意識が未来の不安に奪われていると、たとえ目の前に小さな喜びがあっても、それを受け取ることができません。

インドという国は、いま急速な経済成長を遂げています。街を歩けば、どこに行っても子どもたちの姿があります。空港を降りた瞬間に感じる、あの圧倒的なエネルギー。「ここには未来がある」と、カラダが先に理解してしまうような感覚。

一方で、日本はどうでしょうか。
これまで真面目に、懸命に頑張ってきた。それでも、閉塞感はなかなか拭えません。もしかしたら、その違いの一つは「今を生きる力」にあるのかもしれません。

路上でバラを売る少年は、ヨガ哲学を学んだことはきっとないでしょう。けれど、その瞳の奥には確かな光がありました。彼は、そこに意志をもって立っていたのです。その瞬間、彼の瞳にあった光は誰かのためのものではなく、立場や国籍を越えて、この世界そのものに向けられているようにも見えました。この一本のバラは、彼の中にある静かな愛が、かたちになったものなのかもしれません。私はその小さな存在に、どこか計り知れない、未来のインドの底力を静かに見せつけられた気がしました。
彼は、未来を語っていたわけではありません。けれどその在り方そのものが、この国のこれからを、静かに照らしているように感じられたのです。

結果を過剰にコントロールしようとせず、今できる行為を誠実に行う。それはまさに、行為そのものに集中するカルマ・ヨーガの姿でした。

「このバラを買いませんか?」
その一言の中に、インドの文化とヨガの叡智、そして「今を生きる」という力が、確かに息づいていました。

さて、私たちは、今日という一日を、どれだけ生きているでしょうか?

2025年11月
インド・バンガロールのカフェの前にて