大切なものは源流にある 〜聖地巡礼の旅で感じた「始まり」の大切さ〜

大切なものは源流にある 〜聖地巡礼の旅で感じた「始まり」の大切さ〜

世界一周ヨガ旅しているYutoです。
ヨガをより深く学びたいと思ったとき、私は「ヨガの始まりの国・インドへ行きたい」と考えるようになりました。そして、インドのヨガアシュラムでの修行を経て、次に目指した場所は、インド最大の宗教であるヒンドゥー教の聖地。ここで人々が祈り、感動する様子を見て、ヨガの原点に触れたいと思ったのです。

聖地巡礼の旅の始まり、ハリドワール

ハリドワールの沐浴場
ハリドワールの沐浴場

インドの首都ニューデリーから高速鉄道に乗って、約5時間。聖地巡礼の旅の始まりであるハリドワールに着きました。そこは、ガンジス川の「祈りの入口」にあたる街と言われています。高速鉄道はエアコン付きの快適な乗り心地で、「インドにこんなものがあるのか」と驚いたことを覚えています。

ハリドワールでは、ハル・キ・ポリという沐浴場へ行きました。そこには、たくさんのインド人の方が沐浴に訪れていました。想像していたガンジス川の水よりも綺麗で、川も大きく、流れも早く、泳いでいる人もいて、思っていたイメージとは異なりました。
奥の方へ進むと、真剣に祈りを捧げている方や遺骨を川に流している方もいて、「ここはヒンドゥー教の方にとって、とても神聖な場所なんだ」と感じました。生と死が、恐れではなく“巡り”として自然に受け入れられている文化に触れ、感動しました。しかしそれと同時に、遺骨を流している横で楽しそうに泳いでいる方々もいて、この国の人の感覚を掴むことはまだまだ難しいとも感じました。笑

手放す大切さを学んだバドリナートへの道

バドリナートまでの道中の細く危険な道
バドリナートまでの道中の細く危険な道

ハリドワールを出発し、細く険しい山道をバスで越えていきます。道路は崖すれすれで、「バスが落ちるのでは」と冷や汗をかき続けました。
その道中で、インド人のガイドさんに「いつ着きますか?」と聞いた際の答えがとても印象的でした。「インドでは“『いつ着くの?』は一番聞いてはいけない質問。何が起きるかは誰にも分からない。開始時間だけ守って、あとは神様に委ねるんだ」と。
インドでは思い通りに行かないのが当たり前。自分がコントロールできないことを手放すと、むしろ旅がスムーズになる。日本人の私にはなかった新鮮な感覚で興味深かったです。

バドリナートに着いた際の景色
バドリナートに着いた際の景色

無事に、標高3,133メートルのバドリナートに着きました。バスを降りると空気の冷たさと静けさが一気に広がりました。ニューデリーの喧騒とは対照的に、ここでは空気そのものが祈りのように澄んでいました。

インド最後の村、マナ村

マナ村の入口
マナ村の入口

バドリナートに着いて最初に向かった場所は、インド最北端の村であるマナ村。「インド最後の村」と呼ばれるこの場所は、チベット系の人々が暮らしていて、インドとチベットの文化が溶け合った独特の雰囲気を感じました。村にいる子どもたちの笑顔も素朴で、時間がゆっくりと流れる不思議な村でした。村の奥にあるガネーシュ洞窟には、聖仙ヴィヤーサが『ヴェーダ』や『マハーバーラタ』を語り、ガネーシャがそのすべてを書き留めたという伝説が残っています。ヨガの知恵の“源流”がここから広がったと言われる場所に実際に立つと、空気がとても清らかに感じ、神聖な気持ちになりました。

バドリナート寺院の近くの温泉
バドリナート寺院の近くの温泉

その日の夜、バドリナート寺院の近くの温泉を訪れました。温泉に入ることは、身体が清まり精神の浄化の目的もあると聞き、インドらしいと思いました。実際に入ってみたら、あまりの熱さに思わず声が出ました。体感的には48℃くらいあったのではないかと思うほど、足をつけるだけでも大変でした。
しかし、「せっかく来たのだから」と必死に精神統一して5秒程度浸かりましたが、肌が赤くなるほどの熱さで飛び出てしまいました。それでも普通に浸かっているインドの人たちがいて、とても驚きました。

祈りの美しさと力強さを感じたバドリナート寺院

遠目から見たバドリナート寺院
遠目から見たバドリナート寺院

早朝、冷たいヒマラヤの空気の中を歩いて、ヒンドゥー教の四大聖地の一つであるヴィシュヌ神が祀られるバドリナート寺院へ向かいました。

バドリナート寺院の正面
バドリナート寺院の正面

山々に囲まれた寺院の姿は、息をのむほど美しく、荘厳で、明らかに特別な雰囲気を持っていました。たくさんの参拝者がその場で真剣に祈っており、その真剣さに私は心を奪われました。
当時は、祈りとヨガの関係を整理できていませんでした。ただ、寺院の美しさと迫力、そして祈る人々の力強さに圧倒され、その場にいるだけで幸福な気分でした。その感覚だけが、今も強く残っています。
その後、「祈ることもヨガの一部だよ」と教えてもらった瞬間、自分の中で腑に落ちました。ただ心を込めて神に向かう行為も、呼吸やポーズと同じく、心を整えるヨガの実践。この気づきによって、私の中でヨガの意味がぐっと広がり、体だけでなく心や精神まで含めた実践であることを初めて実感しました。

ヨガの聖地、リシュケシ

バドリナートを離れ、ヨガの聖地として有名なリシュケシへ向かいました。バドリナートのような静かで神聖な雰囲気を想像していたのですが、思っていたより建物や人、車が多く、賑やかな場所だと感じました。

ヨガニケタンアシュラムでのクラス後
ヨガニケタンアシュラムでのクラス後

ここでは、ヨガニケタンアシュラムに宿泊し、ヨガの体験をしました。アシュラムの敷地に入ると、町の喧騒とは異なり、緑に囲まれた穏やかで清らかな空気が流れていました。朝から夜まで、アーサナや瞑想などのヨガプログラムをしっかり受けることができ、健康的なベジタリアン食も3食付いています。また、さまざまなタイプの先生のクラスがあり、ヨガを深く学びたい人にとって適している場所だと感じました。

リシュケシのトライアンバケシュワル寺院から見た夕日
リシュケシのトライアンバケシュワル寺院から見た夕日

アシュラムの空き時間には、トライアンバケシュワル(Trimbakeshwar)寺院を訪れました。寺院までの道中は出店やタクシーの客引きで賑やかでしたが、寺院の中に入ると一気に神聖な雰囲気に変わり、さすがインドだなと感心しました。
寺院の屋上から見たガンジス川の夕日は格別で、観光地化された今でも神聖さを失わない姿に魅力を感じました。

「世界の底」ヴァラナシ

ヴァラナシの朝
ヴァラナシの朝

リシュケシの後は、「世界の底」とも呼ばれるヴァラナシへ向かいました。
ハリドワールが“ガンジス川の祈りの始まりの場所”だとすれば、ヴァラナシはその祈りが深まり、“魂の浄化と解放”へとつながる象徴のような場所といわれています。輪廻からの解放を得やすい地としても信じられ、多くのヒンドゥー教徒がこの場所を訪れます

ガンジス川沿いの沐浴場では、早朝からたくさんの人が沐浴しており、その姿がとても印象的でした。朝の澄んだ空気の中、真剣に沐浴をする人々を眺めているだけで、インドの日常に息づく祈りの時間を体感できました。
夜になると、ガンジス川への祈りの儀式「ガンガー・アールティ」が始まります。司祭たちが火のランプを大きな円を描くように揺らしながら祈りを捧げ、その光が川面に反射してゆらめく様子は、本当に幻想的でした。人々は手を合わせ、それぞれの形で祈りを捧げていました。祝祭のように賑やかな一方で、そこには、神と川への感謝という神聖な空気も同時に流れているように感じました。

ヴァラナシの夜のアールティ
ヴァラナシの夜のアールティ

川沿いには火葬が行われる場所があり、そこで遺体が焼かれる様子を近くで見ることもできます。チャイを飲みながらただその光景を見つめているインドの方々の姿に驚き、戸惑いもありましたが、その場を共有しているうちに生と死がごく自然に受け入れられているインド独特の価値観に触れたような、不思議な感覚が込み上げてきました。

滞在中には、ガンジス川のすぐそばにあるヨガスタジオにも足を運びました。ガンジス川を目の前にしながらヨガをしていると、「この場所ではヨガに嘘をつけない」と身が引き締まるような感覚がありました。
街を歩けば、人々やリキシャが絶え間なく行き交い、牛がのんびりと道を歩き、生活の音があふれています。また、路地にはゴミや牛のフンなどが散乱し、足の踏み場がない場所も見られました。
そんな神聖さと混沌が同時に息づくこの独特の空気は、まるでインドという国そのものを凝縮したようで、インドで一番心に残った街でした。

世界遺産のタージ・マハル
世界遺産のタージ・マハル

ヴァラナシを後にし、次の目的地へ向かう途中で、世界遺産のタージ・マハルにも立ち寄りました。写真で何度も見ていたはずなのに、実際に目の前にすると驚くほど大きく、白大理石の輝きが想像以上で、思わず息をのむ美しさでした。旅の途中のひとときでしたが、インドの別の側面を感じられる印象的な寄り道になりました。

仏教の聖地、ヴッダガヤ

ヴッダガヤの菩提樹(ブッダが悟りを開いた寺院とは別の樹。寺院内は撮影不可の為)
ヴッダガヤの菩提樹
(ブッダが悟りを開いた寺院とは別の樹。寺院内は撮影不可の為)

ヒンドゥー教の聖地巡礼を終えた後は、仏教の源流に触れるため、ブッダが悟りを開いた場所として知られるブッダガヤへ向かいました。
ここはニューデリーやヴァラナシのような喧騒がほとんどなく、のどかな田舎町の空気が流れています。インド旅の濃密さに少し疲れていた私にとって、ほっと息がつけるような静けさを感じられる場所でした。

ヴッダが苦行をした洞窟内
ヴッダが苦行をした洞窟内

ブッダガヤでは、ブッダが悟りに至るまでの道のりをたどるツアーに参加しました。6年間の断食や苦行を行った洞窟、乳粥を受け取って体力を取り戻したと言われる場所、そして49日間の瞑想の末に悟りを開いたとされる菩提樹の下を巡りました。
王族として贅沢を極めた生活をしても悟りに至らず、苦行に身を投じても悟れず、最後に「快適で落ち着ける場所」で悟りを開いたというブッダの姿は、とても印象に残りました。そのエピソードを聞いたとき、「仏教の中道も、ヨガでいうサットヴァも、どちらも“頑張りすぎず・怠けすぎない、ちょうど良いバランス”の大切さを教えてくれているのだ」と、自然と腑に落ちました。

菩提樹の下でしばらく瞑想をしていると、快適で心地よい風が吹き抜け、自然と心が落ち着いていくのを感じました。

バリ島でのヨガ体験

バリ島は、バリ・ヒンドゥー教文化が今も根強く残る島で、多くのヒンドゥー寺院があります。さらに、ヨガのリトリート地として世界中のヨガ愛好者に愛されており、「ヨガの聖地」としても知られています。島全体には神聖な雰囲気が漂う一方で、どこか可愛らしい独特の空気も感じられました。

Yoga Barnのフライハイヨガクラス
Yoga Barnのフライハイヨガクラス

この島でまず訪れた場所は、YOGA BARN。広々とした敷地内には複数のヨガスタジオや宿泊施設、健康的なレストランがあり、まるでヨガのテーマパークのようでした。
ここではFly High Yogaという、天井から吊るされたサスペンションを使ったヨガクラスに参加しました。日本でよく見かけるエアリアルヨガとは少し異なり、リラクゼーションよりも体幹やコアを意識したトレーニング要素が強い内容でした。普段は重力の影響で難しいポーズも、サスペンションが支えてくれるおかげで無理なくアーサナをとることができ、身体を伸ばす心地よさを存分に味わえました。

Power of now oasisのヨガスタジオ
Power of now oasisのヨガスタジオ

翌朝は、Power Of Now Oasisへ。海沿いに建てられた竹造りのスタジオは自然との一体感があり、心地よい海風を感じながら行う朝ヨガは格別でした。海の音や風を感じることで、身体だけでなく心まで解放されるような感覚を体験できました。

バリ島は、ヨガの聖地としての神聖さを保ちながらも、女性や海外ヨガが初めての体験者でも滞在しやすいよう観光地化されており、島全体にどこか可愛らしい雰囲気があります。ヨガを海外で気軽に体験したい方や、日々の疲れを癒したい方にとって、とても魅力的な場所だと感じました。

源流から現代へ

ヴァラナシの朝
ヴァラナシの朝

ヒンドゥー教の聖地で見た祈りの姿は、言葉や動作の意味を完全に理解できなくても、そこにいるだけで自然と体や心が整っていくような力がありました。
祈りそのものがヨガであり、聖地の神聖さの中で、人は知らず知らずのうちに心を整え、静かに自分と向き合うのだと感じました。
一方、仏教の聖地ではブッダの教えに触れ、無理せず、頑張りすぎず、ちょうど良いバランスで生きる「中道」の大切さを体感しました。
努力だけでも放任だけでもなく、心身にとって最適な在り方を見つけることこそが大切であることを学びました。

現代におけるヨガの形を体験したバリ島では、形式や環境は変わっていますが、大切なことは共通していると感じました。サスペンションを使ったヨガやリトリート型のクラスは、古代の聖地での体験とは異なりますが、その目的は同じです。

人が心と体を整え、精神を整えるという根本は、時代が変わっても揺るぎません。つまり、大切なことの本質は昔も今も変わらない。今回の旅でヨガの源流に触れたことで、時代や文化を超えて共通する価値を感じ取ることができました。祈りも、ヨガも、瞑想も…その根っこにあるものは、どの時代も同じなのだと実感しました。