更科有哉が旅先の店先でヨガポーズをしているところ

更科有哉+アシュタンガヨガ [マイソール日記Vol.7『時』]

2009年1月10日 土曜日。

Mysore。
最近、時間について考えます。時間の経過を感じています。ここインドではたくさんの野良犬を目にします。(昔の日本もたくさんいましたよね?)豚もいます。

インドの路上にいる豚
インドの路上にいる豚

当然、野良犬の世界でも妊娠・出産があり、新しい命が誕生しています。僕がここMysoreに来たばかりの時に、5〜6頭くらいの生まれたてのが子犬と、お母さん犬が近くに住んでいるのを見つけました。毎日のように彼らに会います。3ヶ月前はお母さん犬にしがみつくように、まだおっぱいを飲んでいました。しかし、最近のかれらはもうとっくにおっぱいを卒業し、なにかしらのごはんを食べています。身体も見違えるように大きくなっています。つまり、当たり前なのでしょうが、成長しているわけです。

寄り添っている親犬と子犬たち
寄り添っている親犬と子犬たち

僕がMysoreに来たのは2度目です。前回、花を売っていた少年達が今回会うと、もう花屋ではなくなり、なんらかの違う仕事についてたりします。前よりも条件のいい仕事に。以前より背丈も伸び、顔つきも変わっています。日本の友人に連絡すると、あの彼は彼女とのあいだで子供ができ、結婚が決まったとか、またある友人は、海外に移住し新しい生活を始めるとか。

インドの男の子
インドの男の子

物事が時間とともに変化しています。当たり前の事すぎて、僕はあまり感じてなかったのかもしれません。僕の変化はというと、読んでいる本が『海辺のカフカ』から『審判』に変わったくらいのもので、とくにこれといった大きな変化はないように思える。

南インドから北インド、ネパールに着いて、また南インドへ移動。移動距離・背景は変化しても、とくに大きな変化はなかったような気がする。まるで僕だけがとり残されてるような錯覚すら感じる。(錯覚ではないのかもしれない。)

そう感じてしまうのはよくないことなのだろうか?いい悪いというものではないのだろうか?そんなものなのだろうか?

ただなんとなく自分でも変化を求める、今日この頃である。そんなことを書いてるうちに、ひとつ大きな変化に気づく。(僕のものさしでは大きい)深く考えるのを止めている。物事を深く考えていない。そんな気がする。それでいいような気がする。

PS. グルジが退院したらしい。容態は良好らしい。何よりである。
今週、ずっとPrimary led classだったので、張り切りすぎた僕は筋肉痛が酷い。
日曜日がmoon dayのため月曜日にまたled class。しかもPrimary 2 class& Intermediate 1 class。
一月に入り有名どころの先生やタレントが増えた。役者が揃ったという感じである。謙虚になって勉強すべきである。日本では、おなじみKranty先生、Barry先生も絶好調である。

文・更科有哉