みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、宮沢賢治の童話の世界を取り上げてみたいと思います。
このコラムで宮沢賢治を取り上げるのは、実は3回目です。『銀河鉄道の夜』と『農民芸術概論綱要』をテーマに紹介したことがありますが、彼の作品は大変奥が深くて、まだまだヨガとの深いつながりがたくさん見えてくるのです。
そんなわけで今回は、宮沢賢治が数多く残した童話の世界とヨガとのつながりについて考えてみたいと思います。
1カ月の間に3,000枚⁉

1896年、宮沢賢治は、岩手県花巻市で古着質商の長男として生まれます。
23歳で盛岡高等農林学校の農芸化学学科を卒業した後は、しばらく実家の店番などをしていたようですが、その後、誰に言うことなく家を出て東京に行き、印刷の仕事をする傍ら、猛烈な勢いで童話を書き始めます。弟の宮沢清六さんによると、その頃、賢治は小学校の恩師に次のように語っていたそうです。
人間の力には限りがあります。仕事をするのには時間がいります。どうせ間もなく死ぬのだから、早く書きたいものを書いてしまおうと、わたしは思いました。一カ月の間、三千枚書きました……。
宮沢賢治. 『注文の多い料理店』. 角川文庫. 昭和57. p,151
20代前半で、もう、どうせ間もなく死ぬのだからなんて考えているなんて、常人ではありませんね。
童話や詩の創作は、その後も生涯に渡って続けられましたが、生前に出版された本は、童話集『注文の多い料理店』と、心象スケッチ『春の修羅』の2冊だけ。しかも、自費出版だったようです。
心象スケッチ『春と修羅』も、他の誰も決してマネできない素晴らしい詩ばかりが掲載されているのですが、今回は、彼の童話の世界とヨガとのつながりを考えていきたいと思います。
『ガドルフの百合』

『ガドルフの百合』は、賢治の童話の中でも全く有名ではありません。知らない方の方が多いのではないでしょうか。主人公はガドルフという旅人で、物語は、彼が雷の空の下を歩いているところからはじまります。
ハックニー馬のしっぽのような、巫山戯(ふざけ)た楊(やなぎ)の並木と陶製の白い空との下を、みじめな旅のガドルフは、力いっぱい、朝から歩いておりました。
それにただ十六哩だという次の町が、まだ一向見えてもこなければ、けはいもしませんでした。
(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉に変ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊にその青いときは、まるで砒素をつかった下等の顔料(えのぐ)のおもちゃじゃないか)
ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤(おこ)って歩きました。
それに俄かに雲が重くなったのです。
(卑しいニッケルの粉だ。淫らな光だ)
その雲のどこからか、雷の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。宮沢賢治. 『風の又三郎』. 角川文庫. 昭和59. p,189
ガドルフが急ぎ足で歩いていくと、激しい雷雨に襲われてしまいます。
そして間もなく、雨と黄昏とがいっしょに襲いかかったのです。
実にはげしい雷雨になりました。いなびかりは、まるでこんな憐れな旅のものなどを漂白してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒に堅いみちを叩き、枝までがガリガリ引き裂かれて降りかかりました。
(もうすっかり法則がこわれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度きちんと空がみがかれて、星座がめぐることなとはまあ夢だ。夢でなけぁ霧だ。みずけむりさ)宮沢賢治. 『風の又三郎』. 角川文庫. 昭和59. p,190
ガドルフは、たまらなくなって大きな真っ黒な家に逃げ込みます。そして、窓の外に白いものが5つほど並んでいるのを発見します。どこかの子どもがのぞいているのかと思って、ガドルフは、窓を開けて外を見てみました。
稲光が光って辺りが明るくなった時、ガドルフは、その白いものは子どもではなく、真っ白な百合だったことを知ります。
けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合が、十本ばかり息もつけない嵐の中に、その稲妻の八分の一秒を、まるでかがやいてじっと立っていたのです。
宮沢賢治. 『風の又三郎』. 角川文庫. 昭和59. p,194
ガドルフは、その白百合の美しさにたちまち心を奪われてしまい、窓を閉めるのも忘れて、次の稲光で百合の姿がもう一度見えるのではないかと、息をのんでじっと待ちます。
間もなく次の電光は、明るくサッサと閃いて、庭は幻燈のように青く浮び、雨の粒は美しい楕円形の粒になって宙に停まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋って立ちました。
(おれの恋は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ)宮沢賢治. 『風の又三郎』. 角川文庫. 昭和59. pp,194-195
雲が重たく垂れこめて雷雨になる様子を、こんな風に表現できる作家を、私は他に知りません。化学の専門用語を駆使しながら、独特な言い回しで、嵐の凄まじさをありありとページの上に再現してみせます。
読んでいると、まざまざと嵐が見えるどころか、雷雨の前の湿ったどんよりした空気を皮膚で感じ、激しい雨音や匂いを、耳や鼻で感じます。まさしく、五感全部を刺激するような、そんな表現で、賢治は読者を雷雨の夜に引きずりこんでいくのです。
そして、激しい雷雨の中で、一瞬の稲光に照らされて真っ白に輝く百合を見た時、読者はガドルフと共に、その百合に心を奪われてしまうのです。
賢治は、『ガドルフの百合』のような読者の五感に直接訴えてくるような作品を数多く残しました。いったい彼の童話はどのようにして書かれたものなのでしょうか。
無意識下の世界を描く

彼の童話がいったいどのようなものであるかということについては、賢治自身が生前に自費出版した『注文の多い料理店』の付録に詳しく書いてあります。それによりますと、彼の童話は全て、イーハトーヴのことを書いた童話だということなのです。イーハトーヴとはいったい何なのかということについて、賢治は次のように書いています。
イーハトーヴは一つの地名である。しいて、その地点を求むるなればそれは、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスがたどった鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠のはるかな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。
じつはこれは著者の心象中に、このような情景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。宮沢賢治. 『注文の多い料理店』. 角川文庫. 昭和57. p,140
イーハトーヴは、賢治の心の中にある世界なのですね。
ヨガの修行をするヨギーたちは、永遠の真実を求めて瞑想をします。瞑想をすると、自分の心の内側におりてゆくような感覚になるのだそうです。
人間の心には、意識下の世界と無意識下の世界があります。人が意識できる世界の奥に、無意識の世界があるというのです。
ヨガでは、その無意識下の世界は、万人に共通のものだと言われていますが、賢治も自分の童話について、次のように語っています。
(これらの童話は)たしかにこのとおりその時心象の中に現れたものである。ゆえにそれは、どんなに馬鹿げていても、難解でも必ず心の深部において万人の共通である。
宮沢賢治. 『注文の多い料理店』. 角川文庫. 昭和57. p,141
賢治は、全ての人が共通して持っている無意識下の世界のことを童話にしたのです。賢治の童話は、決してわかりやすいものではありません。わけがわからないものもたくさんありますし、あらすじになっていないようなものも確かにあります。
それでも、彼の童話は不思議に心に残るのです。それは、彼の童話を読んでいると、私たちの中にも確かにある無意識下の世界が刺激されるからなのかもしれません。
無意識下の世界は、永遠に変わらない真実であるプルシャに近いものだとヨガでは言われています。賢治は、プルシャに近い世界のことを、独特で魅力的な童話にして書き残してくれたのです。
私たちは、瞑想で無意識下の世界をのぞくなど、なかなか難しくてできません。それでも、賢治の本を手に取って、その童話を読む時、無意識下の世界を少しばかりのぞくことができます。賢治の童話は、プルシャに近い世界を少しだけ体験できる……そんなものではないかなと私は思うのですが、みなさんはいかがでしょうか?
宮沢賢治は大好きだという方と、よくわからないという方がいらっしゃると思います。また、昔はわけがわからないと思っていても、ある時期に読んでみたら、とても心を惹かれたということもある……そんな作品です。
宮沢賢治に少しでも興味がわいたらぜひ! 彼の童話や詩を手にとって、イーハトーヴの世界を楽しんでみて下さいね。他では味わうことのできない独特な時間を過ごせることと思います。