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みなさんは、運命のようなものを信じますか?
ヨガではカルマ(業)という言葉があるので、人には生まれ持った運命のようなものがあり、それには逆らえないと感じてしまう人がいるかもしれません。また、生まれた場所、時代、国籍、性別によって、人生のスタート時点が大きく異なることもあります。
今回は、そのような世界の仕組みの中でも、自分の人生を切り開くことができるのは自分だけだということを、『ヨーガ・ヴァーシシュタ』の教えから考えていきましょう。
人生の真理を分かりやすく説いてくれる『ヨーガ・ヴァーシシュタ』

ヨガの古典教典に、『ヨーガ・ヴァーシシュタ』があります。
この教典が書かれた時代は6世紀から14世紀頃といわれ、作者もはっきりと分かりませんが、とても影響力の大きい教典です。3万詩節からなるとても長い教典ですが、短くまとめられた本が複数出版され、多くの聖者たちに引用されています。
『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は、教典の名前でもある聖者ヴァーシシュタがラーマ神へ真理を話す説法です。インドでは、時には神々よりも聖者が尊敬されることがあります。なぜなら、神々であっても人であっても、修行(ヨガ)によって真理を追究しない限り、輪廻転生からは免れないからです。
『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は、とても具体的な人々の悩みを解明しながら、ヨガによって解放される方法を分かりやすく説いてくれます。
運命よりも自分自身を信じる強さ

聖者ヴァーシシュタは、「自分は悲劇的な運命なのだ!」と嘆く人々を、無知であり、運命に逆らえないからと自己努力を惰る人であり、愚かなことだと言います。
世の中には、偶然や神のいたずらとしか言えないこともあります。
例えば、百姓が努力をしていても嵐が来て田畑が台無しになることもあれば、怠けものが宝くじに当たることもあります。しかし、それらも神の好き嫌いで行われた悪戯ではありません。
嵐や干ばつといった自然災害の力はとても強く、大きな自然の力に打ち勝つことは容易ではありません。しかし、そんな人生の障害に打ち勝ちながら、人々は努力し成長を続けてきました。
明らかなことです。人は旅に出たり、食べ物を食べて空腹を満たすのです。運命によるものではありません。
誰も運命や神を目の当たりにしていませんが、行為が結果を生む経験は誰もがしています。
『ヨーガ・ヴァーシシュタII:7, 8』
お腹を空かせた人が神に祈っても、お腹は膨れません。喉の渇きも癒えません。自分自身で食事をした時に、初めて満腹になるのは明らかなことです。家に食べ物がなければ、外に出かけて購入したり、誰かに提供してもらったりすることで、初めてお腹が膨らみます。
外に出ても、お店が閉まっていることもあるかもしれませんし、品切れになっていることもあるかもしれません。そんな困難に対峙することがあっても、「過去にお店が閉まっていて食べられないことがあったから」と嘆き、努力をやめることはできません。人々は、常に自分自身の行動で、未来を切り開き続けなくてはいけません。
ヨガは他力本願ではなく自分で歩む道

ヨガを始めたばかりの時には、良い先生に出会うことがとても重要です。正しい道に導いてくれる先生無しでは、ヨガの恩恵を受け取ることが難しいかもしれません。
しかし、素晴らしい先生に出会うことがヨガの成功ではありません。どれだけありがたい教えであっても、それを学び、実践しなければヨガは成功しません。
とても優れた解剖学の先生に出会ったからといって、その先生が魔術師のように健康を与えてくれるわけではありません。先生の正しい指導に従って自分自身で身体を動かし、努力した先に変化があります。
ヨガの道は、常に自分で歩むものです。山の頂上に到達したいのであれば、高額な登山用品の購入やガイドを付けることで、楽しく安全に登れる可能性が高まります。しかし、山道を一歩ずつ歩むのは自分自身です。高額を支払っても、途中で高山病になって登り切れないこともあるでしょう。万全のトレーニングをしてきても、山の天気は変わりやすく、突然の土砂崩れに襲われることもあります。
私たちの人生は、思うようにいかない時もあります。しかし、想像していなかったような感動的な喜びに出会えることもあります。だからこそ、自分自身の足で一歩ずつ歩むのです。
人生を切り開く正しいヨガの基盤

自分を高めるためのヨガの努力には、3つの基盤が必要だと聖者ヴァーシシュタは説きます。
自身の努力は聖典の教え、師(グル)の教え、自分自身の努力による。運命(または神の摂理)は含まれない。それゆえ、救いを求めるものは、不断の努力によって不純な心を純粋な心へと転じさせるべきである。
『ヨーガ・ヴァーシシュタ』II:7, 8
聖典に書かれた教え
ヨガの成功のひとつ目の基盤は、聖典に書かれた教えです。
インドでは、ヨガは神に与えられたものだと考えます。ハタヨガの教えは、太初のヨギ―であるシヴァ神から何万年も伝わるものであり、『バガヴァッド・ギーター』もクリシュナ神の言葉です。特定の神の名前をあげない『ヨガ・スートラ』でも、イーシュワラ(自在神)はグル(師)であることが書かれています。
ヨガの教えは誰か特定の人が作ったものではなく、古代から受け継がれてきた叡智を代々繋いできたものです。その叡智が書かれた聖典の教えは、大切なものだと考えられます。
正しい師(グル)の導き
古代インドでは、聖典は書物ではありませんでした。聖典とは言葉であり、師から弟子へと口頭で伝えられ、優れた弟子たちが暗記した教えを代々繋いできたものです。
現代では、聖典は書物となり出版され、誰でも読むことができますが、その内容を正しく理解して教えることができる師の存在は重要です。
ヨガは聖典の言葉を暗記する学問ではなく、<b>そこに書かれた内容を実践して自分の人生で体験することで、初めて正しく理解することができます。</b>自分のヨガによって体験した師だからこそ、次の弟子に教えることができます。
自分自身の努力
最も大切な3つ目の基盤は、自分自身の努力です。
例えば、肩こりが酷くて何とか治したい時にヨガ教室に行くと、お金を払って、さらに自分でアーサナ(ポーズ)の練習をしないといけません。同じようにお金を払うなら、整体の方が、横になっているだけで整体師さんが治してくれるので楽かもしれません。または、鎮痛剤を飲んだ方が、もっと安価で手軽かもしれません。
しかし、整体に行っても根本的には治りません。日常的に巻き肩の人は、正しい姿勢を保つための筋肉がないため、一時的に姿勢を整えても、数日経てば元の悪い姿勢に戻ってしまうでしょう。鎮痛剤を飲めば、一時的に激しい痛みは誤魔化せますが、そのまま放置すれば悪化するどころか薬も効かなくなってきますね。
ヨガは、自分で努力しないといけないので面倒です。しかし、自分自身の筋肉を使って、自分で正しい姿勢を学ぶことで、本当の原因が理解できます。自分自身で自分を整える術を得られれば、マッサージや薬などの何かに依存する必要はなく、自由な自分を手に入れることができます。それは、身体の痛みだけではなく、心の苦しみにも働きかけます。
自分の努力こそが、自分を自由にしてくれる鍵なのですね。
ヨガで自分を信じてみよう
誰でも嫌なことが続くと、「自分は運が悪い」「こんな運命なのだ」と悲観してしまうことはあります。嫌なことがあった時に、全てを自分が悪いと悲観する必要はありません。運命だからと、自分の人生を諦める必要もありません。
今、目の前にある苦しみは変えることができませんが、ヨガでは、自分の努力で自分の未来を切り開くことができます。ヨガの恩恵をすぐに感じられる人もいれば、時間がかかる人もいるかもしれません。しかし、ヨガを行うこと自体を楽しみながら続けることは、大きな自分への信頼に繋がるはずです。
参考文献:『Vasistha’s Yoga 』, Swami Venkatesananda著, STATE UNIVERSITY OF NEW YORK PRESS, 1993