緑の空間に座る子供の象

『ぼくのおじさん』~最強に素敵なゾウのおじさん~

みなさん、こんにちは!丘紫真璃です。
今回は、『がまくんとかえるくん』シリーズでおなじみの絵本作家、アーノルド・ローベルの作品を紹介したいと思います。
『がまくんとかえるくん』については以前、こちらのコラム(https://www.yoga-gene.com/post-66358/)で紹介しました。教科書になっているくらい有名な作品なので、一度は手に取ったことがあるという方も多いのではないでしょうか。
ですが、今回紹介したいのは『がまくんとかえるくん』シリーズ以外のローベルの名作です。『ぼくのおじさん』というゾウの絵本をご存じですか?これもまた、とってもステキな温かい絵本なので、今回は『ぼくのおじさん』を取り上げたいと思います。

病弱だったことが絵本作家につながったアーノルド・ローベル

ベッドの上で本を読むマスクをした少年

アーノルド・ローベルがどんな人かということについては、以前も紹介したことがありますが、かなり前のことですので、ここでもう一度紹介しておきたいと思います。

1933年、アーノルド・ローベルは、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれます。幼い頃にニューヨーク州スケネクタディに引っ越しましたが、病弱だったため学校は休みがちだったようです。学校を休んで家で療養している時、彼はたくさんの本を読んだり動物の絵を描いたりして過ごしていたようです。その体験が、彼の絵本作家の原点となりました。
高校卒業後は、ニューヨークのプラット・インスティテュートという美術系の名門校に通い、美術を学びます。その後、イラストレーターや絵本作家として活躍しましたが、1987年に病を患い54歳の若さで亡くなりました。

おじさんの家で過ごすことになるゾウのぼく

微笑んでいる子供の象

『ぼくのおじさん』の冒頭は、このように始まります。

ぼくは ぞうの こども。
あるひ かあさんと とうさんが
ふねに のって たびにでた。
でも ぼく いっしょに いけなかった。
かぜひいて はなみずが でて
のどが いたかったからね。
で うちへ かえって ねていた。
そしたら あらしになって
ふねは かえってこない。
かあさんも とうさんも
いなくなっちゃった。
ひとりぼっちだ ぼく。
カーテンしめて
へやに すわりこんでいた。

アーノルド・ローベル. 訳 三木卓. 『ぼくのおじさん』. 文化出版局. 2011. pp,6-7

そんな悲しいぼくのところに登場したのは、ぼくの“おじさん”であるお年寄りのゾウです。

ぼくは おじさんを みた。
「きみは なにを みてるのかな」
と、おじさんは たずねた。
「ああ そうか。
わしの しわ みてるんだな」
「ずいぶん たくさん ありますね」
と ぼくは いった。
「そうとも」と おじさんは いった。
「いっぽんの きの はっぱよりも
たくさん ある。
はまべの すなつぶよりも
たくさん ある。
そらの ほしよりも
たくさん ある」

アーノルド・ローベル. 訳 三木卓. 『ぼくのおじさん』. 文化出版局. 2011. pp,8-9

こうしてぼくは、シワがたくさんあるお年寄りのおじさんと共に汽車に乗り、おじさんの家に向かうことになるのですが、このおじさんが面白いんです。

「ひとつ ふたつ みっつ。おや ぬかしてしまった」
と、おじさんは いった。
「なに かぞえているの?」
と、ぼくは きいた。
「すぎていく いえを
かぞえているんだよ」
と、おじさんは いった

アーノルド・ローベル. 訳 三木卓. 『ぼくのおじさん』. 文化出版局. 2011. p,12

おじさんは窓の外をずっと見つめ、ひっきりなしに過ぎていく家や、畑や、電柱を数えます。汽車がものすごく速く走るので、数えるのはなかなか大変です。おじさんが、いそがしそうに、過ぎていく家や、畑や、電柱を数えているので、ぼくは悲しい気持ちを忘れ、ついつい、おじさんにつりこまれてしまいます。
こうして、面白いおじさんと共に、ぼくはおじさんの家に到着します。そして、この愉快なおじさんと共に暮らすことになるのです。

愉快なおじさん

薄暗い室内の窓辺に置かれたランプ

このおじさんは、本当に面白いんです。
例えば、夕食を食べようとランプをつけた時のこと。火がついたとたん、ランプから、「あれっ!」という小さな声が聞こえてきます。
ランプから、そんなおかしな声が聞こえてきたら、みなさんならどう考えますか?ランプが声を出すわけがないとか、最近疲れているから幻聴かな、とか考えてしまうのではないでしょうか。
でも、おじさんは、そんなつまらない反応はしません。

「いまの きいたかね」
と、おじさんが きいた。
「この ランプ くちが きけるのだ!」
「まほうの ランプだ!」
と、ぼくは いった。
「じゃ、ねがいことが できるぞ」
と おじさんは いった。

アーノルド・ローベル. 訳 三木卓. 『ぼくのおじさん』. 文化出版局. 2011. p,20

ぼくとおじさんは、夢中になってたくさんの願い事をしますが、結局、その願い事がかなうことはありませんでした。あれっ!と小さな声を立てたのは、ランプを巣にしていた小さなクモだったからです。
でも、おじさんの子ども心たっぷりな反応が、とてもステキだと思いませんか?

おじさんは、どんな時でもそんな調子です。
ぼくが、行方不明になった両親のことを思い出して悲しんでいると、おじさんは、どうにか慰めてあげたいなと思い、こっけいな恰好をしようと思いつきます。そして、自分が持っているありったけの服や帽子をぜーんぶ重ねまくって身につけてしまい、ものすごくおかしな様子で、ぼくの前でおどけてみせます。
ぼくはおじさんの姿に笑ってしまい、悲しいのを忘れてしまいます。

ぼくの両親が無事だったという知らせを受け取ると、おじさんはぼくと一緒に嬉しがり、跳ね回って喜びます。本当に、ぼくの“おじさん”は、どこまでも子ども心のままなんです。

ぼくは、友達みたいに面白いおじさんと愉快に過ごすことができたので、両親のもとに帰るまでちっとも寂しくありませんでした。

最強に素敵なゾウのおじさん

黄色い服を着て腕組みをしている象

ぼくの“おじさん”は、子ども心がたっぷりの素敵なおじさんですよね。ヨガでは、子どものように純粋な心でいることをサットヴァと呼びますが、ぼくの“おじさん”こそ、サットヴァな心の持ち主だということができるのではないでしょうか。

人は生まれた時には、誰だって純粋なサットヴァの心でいるものです。けれども、成長して大人になるにつれ、生まれた時にしっかり輝いていたサットヴァは、心の奥底に埋もれてしまい、いつしか忘れ去られてしまいます。けれども、ぼくの“おじさん”は、少しもサットヴァを忘れていません。お年寄りになった今でも、おじさんのサットヴァは、子どもの頃に輝いていたまま心の一番大切な場所に飾られて、キラキラと輝いているのです。

おじさんの顔には、一本の木についている葉っぱよりも、浜辺の砂粒よりも、星の数よりもたくさんのシワがあります。そのたくさんのシワの数だけ、おじさんは、苦労や悲しみを経験してきているのです。だから、大人としての経験で僕の悲しみを理解し、寄り添うことができるのです。しかも、サットヴァな子ども心を昔のままに持ち合わせているので、まるでぼくの友達のように遊び、時にはおどけた格好をして、ぼくを笑わせることまでできるんです。

大人としての優しさがある上に、サットヴァな子ども心で遊ぶことまでできるなんて、ぼくの“おじさん”は最強に素敵なゾウだと言ってもいいのではないでしょうか。

おじさんは、両親が行方不明になった悲しいゾウの子どもであるぼくを、最高に優しく温かくユーモラスに包み込みます。読んでいる私たちまで、キューンとなるくらいぼくとおじさんの関係は素敵です。
子どもはもちろん、大人の方も楽しめる大人の絵本なので、ぜひ、一度手に取ってみて下さい。