輪廻を表現した壮大な渦のCG

カルマと輪廻~行動が結果を生み出すしくみ~

みなさんは、偶然はあると思いますか?
ヨガ哲学では、偶然はなく、目の前に現れるあらゆる物事には必ず理由があると考えます。たとえ偶然と感じるようなことがあったとしても、必ず何らかの原因があると信じられています。もしかしたら、私たちが日本に生まれたことや自分の性別、生まれ持った才能や個性にも、理由や原因があるのでは?と考えます。これは、輪廻転生という考え方に繋がります。教典『ヨガ・スートラ』では、物事が起こる仕組みと輪廻転生についても語られています。

世界の全てはカルマ(業)が原因

天秤と白い羽と炎を纏った鉄球

ヨガでは、仏教同様に因果応報の考えを取り入れています。あらゆる事象は種となる原因の内側にすでに宿っているものであり、理由のない結果はないのだと考えます。つまり、棚から牡丹餅が落ちてきたとしても、牡丹餅が落ちてきたことには原因があるという考え方ですね。

私たちが、日ごろ行っているあらゆる行為は種まきです。今、私が行っていること、話した言葉や考えた思考が原因となり、未来の何らかの果報(結果)を生み出します。自業自得のしくみですね。

原因となるあらゆる行為をカルマ(業)と呼びます。本来カルマとは、「行為」を意味するとてもシンプルな言葉です。例えば、勉強を頑張ったから試験に合格した、食べ過ぎたから太ったというように、自分自身の行いが自分の結果として返ってきます。私たちの未来は、今の私たち自身の行為で作られているからこそ、日々の行動を律しなくてはいけません。

白いカルマと黒いカルマ

過去のカルマ(行為)が未来の原因となりますが、もう一つ重要な方程式があります。それは、善因善果と悪因悪果です。
『ヨガ・スートラ』では、それらを白いカルマと黒いカルマと呼びます。

  • 白いカルマ:善い行い。善い結果の原因となる
  • 黒いカルマ:悪い行い。悪い結果の原因となる

これも当たり前に聞こえますが、良いことをすれば良い結果が得られます。当然のことながら、人を騙したりズルをするような悪い行いは、悪い結果を生み出します。しかし、私たちの日常の行いの多くは、その中間の灰色です。
例えば、妊娠中の家族と外出している時に妊婦の体調が悪化したら、心配の余り一刻も早く病院へ駆けつけたいと思うでしょう。もし車を運転していたら、スピード違反や誰もいない道路なら信号無視をしてしまうかもしれません。家族を何としても守りたいと思う気持ちは善ですが、交通ルールを違反することは悪です。
このような行為は、完全な悪でも、完全な正義でもありません。私たちが生活していると、100%良いことだけをすることはできません。悪意なく行ったことであっても、誰かの不利益になっていることもあります。他者を優先した結果、自分自身を蔑ろにしていることもあります。
白と黒の混ざった灰色のカルマ(業)を生み出し続けている私たちは、良いこともあれば、不運もある人生を過ごしています。

原因が直接結果を生むのではない

夕日が沈む田園で水路を見つめる3人の農夫

白いカルマと黒いカルマの話をすると、「自分はこんなに頑張っているのに報われない」と感じる人や、「ズルをしたけれどバレなかった!ラッキー」と思う人もいるでしょう。
「周囲の人よりも頑張って勉強をしたのに試験に落ちた。」「他の生徒よりもヨガのクラスに沢山出たのに難しいポーズができない。」といった、思い通りにいかない経験はどうして起こるのでしょうか。どうして、行動通りの結果が生まれないことがあるのでしょうか。
それは、行為そのものが直接結果を生むのではなく、間接的な要因だからです。

善悪の業は転変の副因であって、自性(プラクリティ)に対する命令者ではない。業はただ自性の流出を妨げるものを破壊するに過ぎない。そのはたらきは農夫の労働に似ている。(4章3節)

佐保田鶴治. 『ヨーガ根本経典;ヨーガ・スートラ』 平河出版社. 1983. p,151

『ヨガ・スートラ』では、農夫の仕事に例えて説明しています。
稲を育てるためには、田んぼに水を流すための水路が必要です。しかし、水路に泥が詰まっていたら、充分な水は流れません。農夫は、水路に泥が溜まれば取り除かなくてはいけません。また、水が流れ過ぎてしまう時には、堰(せき)を閉めて水の流れを止めなくてはいけません。では、農夫が直接水を流しているのかというと違います。水は、重力によって流れているだけなので、水路を開けたりせき止める行為が直接水を流す行為ではありません。

同様に、田んぼに種を蒔く行為や土を耕す行為、雑草を取り除く行為も、直接的に稲を育てているのではありません。稲は自分自身の生命力によって育ちますが、そのために必要な土壌の準備や栄養を奪う雑草を取り除くことは、あくまでも補助的な行為です。

農夫の仕事によって、収穫の可能性は確実に高くなります。しかし、上手くいかない年もあるでしょう。期待した収穫が得られなかった時には、農夫はまた原因を探さなくてはいけません。それは気の遠くなるような作業かもしれませんが、努力によって、確実に自分の求める結果に近づいていきます。

過去の行動が生まれ変わりに繋がる

宇宙から見た地球から人が飛び立つイメージのCG

ここまでに説明したカルマ(業)の仕組みが、輪廻転生にも繋がります。
私たちは、毎日の生活の中で沢山の行為(カルマ)を生み出し、未来への種まきをしています。しかし、人には寿命があるので、種子が芽吹く前に人生が終わってしまうこともあります。
例えば、人の財産を奪ったのに、罰を受ける前に寿命を迎えたらどうなるのでしょうか。身体が寿命を迎えても、悪いことをした記憶は潜在印象(サンスカーラ)として残ります。
蒔いた種の結果である果報を受け取るために、私たちはまたこの世界に生まれ変わると信じられています。

前世での行いが良ければ、白いカルマの貯蓄が溜まっているので、幸福な果報を受け取るために優れた環境で生まれることができます。しかし、黒いカルマが溜まっていれば、苦しみを得やすい状況で生を受けることでしょう。
世の中には天賦の才としか言い表せない優れた能力を持っている人もいて、羨ましく感じることもあります。『バガヴァッド・ギーター』では、ヨガの志半ばで寿命を(臨終を)迎えた人は、来世では、ヨガを行うための最適な環境に生まれると説きます。それはラッキーではなく、何らかの原因の結果なのですね。
しかし、生まれつき恵まれた環境にいたとしても、今世で悪行を重ねれば、当然のことながら上手くいかないこともあります。また、身体が弱かったり貧しい家庭で生まれたとしても、人生で素晴らしい成果を上げる人もいます。今、この瞬間の状態は変えられなくても、未来は自分次第なのですね。

カルマ(業)の仕組みを理解して自分を高める

農夫の仕事のように、私たちが受け取る未来は思い通りにいかないことも多々あります。しかし、精一杯した努力は、必ず返ってくると信じるのがヨガ哲学です。
もしかしたら、想像した未来と違う姿で返ってくることもあるでしょう。ヨガの先生になりたいと思って養成講座を受けたのに、ヨガの先生としては上手くいかないこともあります。しかし、ヨガを通して学んだことが、全く違う仕事に就いたときに、想像と違う成功に繋がることもあります。
今の自分の行動が、未来を生み出します。それを意識していると、毎日の行動が少しずつ変わるかもしれません。その少しの変化の積み重ねが、いつか大きな結果に繋がります。