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ヨガを練習している人の中には、神聖な空気が流れる神社仏閣が好きな方も多いのではないでしょうか。ヨガが生まれた国インドにも、様々な宗教の歴史的な寺院がたくさんあります。
寺院には彫刻や絵画などの美術作品が多くあり、それらには神話だけでなく哲学的な教えが含まれていることもよくあります。
今回は、とても有名なカジュラホの寺院の彫刻から、人が持つ8つの悪徳について考えていきます。
カジュラホの彫刻が表す8つの悪徳

インドには様々な世界遺産があり、カジュラホの寺院群もそのひとつです。10世紀から12世紀ごろに作られた寺院にはたくさんの彫刻が施されており、カジュラホの寺院は、ミトゥナ像と呼ばれる彫刻で有名です。ミトゥナ像は、主に男女の性行為を表したものであるため、シヴァ神とシャクティ女神のエネルギーや豊穣を象徴しているといわれています。
カジュラホを訪れる多くの人の目的はミトゥナ像を見ることですが、それはカジュラホ寺院の一部でしかなく、もっと深い哲学的な教えが込められていると考えられています。
そのひとつの例として、8匹の蛇を背景にした美しい女性像があります。この8匹の蛇は人が持つ8つの悪徳を象徴しており、それらの悪徳を克服して外に出た女性はとても穏やかな表情をしています。
8つの悪徳とは、下記の通りです。
- 欲望(カーマ / Kāma) :過剰な性的欲求。強い渇望は人を滅ぼします。
- 怒り(クローダ / Krodha) :怒りや憎しみ。
- 貪欲(ローバ / Lobha) :物質的な欲望。途切れることがなく、人の心を支配します。
- 妄執(モーハ / Moha) :執着や無知。
- 傲慢(マーダ / Mada) :傲慢さ、おごり高さ。
- 嫉妬(マーツァリヤ / Matsarya) :人との競争、妬み。
- 偽善(ダンバ / Dambha) :虚栄、偽りやの不誠実さ。
- 暴力(ヒムサー / Himsa) :暴力性。
欲望(カーマ / Kāma)
カーマは、欲望、快楽を意味します。カジュラホの寺院では多数の性的な彫刻表現があり、人が考えるあらゆる方法で快楽を貪る人々が彫られていますが、欲望に溺れて理性を失うことを称賛しているわけではありません。とても強い力で人を束縛するカーマを乗り越え、自分を高めた時にモークシャー(解放・自由)へ近づくことができます。
怒り(クローダ / Krodha)
怒りも、人を滅ぼす強い力を持った感情です。冷静さを失った人は、あらゆる妄見に囚われ、人を攻撃します。時には、自分自身に向けられた怒りによって自分自身を貶めることもあります。怒りは時に大きな活力にもなり得ますが、自分自身を怒りの炎で焼き尽くしてしまう悪徳です。
貪欲(ローバ / Lobha)
貪欲さ、強欲さも手放したい感情ですね。何かを欲しいと思う心は、「自分のものにしたい」「自分が優位でいたい」と思うエゴの象徴です。自分のもとに富を集めたいと思うエゴは、争いや妬み、嫉妬、争い、他者を貶める苦しみの根源です。
妄執(モーハ / Moha)
妄執は、特定の考えに対して執拗に執着している状態です。自分自身が「こうだ」と思い込んだことを、手放すことができません。例えば、権力を持った政治家全員が悪いと思い込んでいると、政治家がどれだけ良い政策を話していても「裏があるはずだ」と疑い、聞く耳を持たずに攻撃を繰り返してしまいます。
妄執は、日常のあらゆる場面で姿を現します。自分の敵だと思い込んだ人のことを一切信じられないこともあれば、逆に自分が「これが真実だ」「これは良いことだ」と思い込んだものへの執着が強くなりすぎることもあります。ヨガや健康法といった本来は良いものであっても、妄執によって苦しみを生み出す原因となります。
傲慢(マーダ / Mada)
傲慢さも、自分自身の願望を優先したいエゴの現れですね。
自分自身の幸せを優先し、他者の犠牲を顧みないことは、とても孤独ですね。
嫉妬(マーツァリヤ / Matsarya)
嫉妬の心は、大きな苦しみです。常に自分と他者を比較して苦しむことは、やめたいですね。自分以外の誰かが手に入れたものを、「私も欲しいな」と思う素直な気持ちに嘘はありません。しかし、自分より多くを手に入れた人のことを執拗に妬み、怒りや憎しみに繋げることは避けたいです。嫉妬は、他者ばかりを観察していて、自分自身に意識が向いていない時に強まります。しっかりと自分自身に向き合いたいですね。
偽善(ダンバ / Dambha)
自分自身をよく見せようとする虚栄も、苦しみを生みます。これは、道徳的・宗教的に高潔であるふりをしながら、実際には内面に邪悪な意図や自己中心的な欲望を抱いている状態を指します。
親身になって人助けをするふりをして、裏ではお金などを奪う行為をしていれば、それは自分自身も苦しめる行為になります。悪意がなかったとしても、自分自身を良い人に見せるために本心を隠すことは、自分の自由を奪います。
暴力(ヒムサー / Himsa)
ヒムサーは、アヒムサーの反対ですね。直接的に人を傷つける動力は、大きな悪徳です。物質的に相手を傷つけるだけでなく、言葉によって人を陥れるような行為もいけません。
自分が傷ついた時に、自分を苦しめた相手に、自分と同じくらい苦しんで欲しいという怒りの感情が生まれることがあるかもしれません。または、行き場のない憤りを無関係な他者にぶつけたくなる人もいます。怒りは連鎖し、また次の暴力性が生まれます。
日常世界からモークシャー(解放)への階段

カジュラホ寺院の彫刻は、精神的な成長を表す階段のようなものだと言われています。
寺院の外装を埋め尽くす彫刻は、何層にも連なって上方に伸びていきます。下方には、世界に存在する動物、一般庶民、王族などの日常生活が描かれています。日常生活を行っている人々の中には傲慢な人、怒りの表情をしている人、快楽を貪る人など、あらゆる悪徳を見ることができます。しかし、少し上方にある8匹の蛇を背景にした美しい女性は、悪徳が抜けて清々しい微笑みを浮かべています。
また、男女の愛を表すミトゥナ像も、お互いを思いやる深い愛情を感じられる幸福な表情になっています。
人々は自分自身の精神的な弱さを克服するにつれ、高い場所に向かうことができます。その中には、インドの神々との出会いの場面やパドマ・アーサナで瞑想をする聖者の姿もあります。階段を登る途中にも、人間の心の汚い部分が現れることもありますが、何度も失敗しては瞑想を行い歩み続くことで、モークシャ(解脱)に向かうことができます。
自分の心の中の弱さを教えてくれる古代インドの遺産

今回は、インドで有名な遺跡に描かれている教えを紹介しました。
古代の遺跡が何を表しているのかについてはいくつもの説があり、今回紹介したものもひとつの説でしかありません。
インドでは、今でも文字を読むことができない人が多くいますが、彼らにとって美しい彫刻は、世界の真理を知ることができる大切なものなのでしょう。13世紀以降にイスラム勢力が拡大したことによって、カジュラホの寺院群は忘れ去られていましたが、何百年ものちに森の中から発見されました。
息をのむ美しい彫刻は人々に驚愕と感動を与えるだけでなく、多くの人たちはその彫刻に込められた当時のリアルな生活と哲学・道徳的な教えを読み解いています。
今回紹介した8つの悪徳は、必ず誰の心の中にも存在します。
自分の内に生まれた醜い部分も見て見ぬふりをせず、しっかりと俯瞰して理解したのちに手放していきたいですね。それが出来るのが、ヨガです。寺院の中にも、たくさんの瞑想の姿が描かれています。自分の心を制御することは、とても難しいことです。だからこそ、ゆっくり自分に向き合うヨガの時間を大切にしたいですね。