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人生が窮屈だと感じることはありますか。
不景気がずっと続いたりSNSが殺伐としていたり、なんとなく社会全体がネガティブであると、どこにも逃げ場がないような窮屈さを感じる人がいるかもしれません。
そのような時、ヨガ哲学ではどのように解決するのでしょうか。今回は、教典の言葉を借りてみていきましょう。
自由になれるかどうかの鍵は、自分自身の心

自分の人生が窮屈だと感じる時は、その原因がどこにあるのか考えてみましょう。
例えば……
- 不景気で再就職も難しいから、安定した仕事から離れられない。
- 仕事を辞めたら、家族に心配をかけるから辞められない。
- 若くないから、今さら何かを始めるのは難しい。
- 家族との関係を悪くしたくないから、自分が我慢すればいい。
- 私は人見知りする性格だから、人の前に立つ仕事はできない。
「これをしたい」と思うことがあっても、今までの価値観や経験から「私には無理」と思い込んでしまいがちですね。特に、自分自身に自信がない時には、「これは無理」という理由を一生懸命に見つけて、挑戦することから逃げてしまいます。
また、今まで我慢し続けて「自分にはこれで充分」と思い続けてきた人は、「これに挑戦したい」と願うことさえ忘れてしまいます。
「今の状態でも幸せ」という気持ちが、心からの本音であればなんの問題もありません。しかし、本当は今の生活が窮屈だと感じているのに、それを変えることは無理だと思い込んでしまっているのであればもったいないですね。
自ら自己を高めるべきである。自己を沈めてはならぬ。実に自己こそ自己の友である。自己こそ自己の敵である(6章5節)
訳 上村勝彦. 2018. 『バガヴァッド・ギーター』第34 刷. 岩波書店. p,62
教典『バガヴァッド・ギーター』では、自分自身の人生を変えられるのは自分だけだと説きます。
「自分にはこれだけしかできない」と思った時、道はそこで途絶えてしまいます。自分が自分を信じてあげられないのであれば、誰もあなたに期待してくれません。
まずは、自分で自分を信じるところから始めましょう。
失敗や恥を恐れすぎると、可能性が閉ざされる
自分のことを信じてあげられない時には、どうしても一歩踏み出すことを恐れてしまいます。それは、どうしてでしょうか。
多くの人は、挑戦することよりも失敗することを恐れてしまいます。失敗を恐れて、自分にとって安全なことばかりすることは、人生をどんどん窮屈なものにしてしまいます。
例えば、ヨガの先生になりたいとします。憧れのヨガスタジオに応募しましたがなんの返事もないので、1週間後に問い合わせをした結果、不採用だと知ると「私にはやっぱり価値がなかった。それなのに、こんな立派なヨガスタジオに応募して恥ずかしい。相手も、こんな未熟な人が応募してきて、呆れているかもしれない」と、悪い想像を膨らませてしまうかもしれません。すると、もうヨガスタジオに応募すること自体が恥ずかしくなってしまいます。合格不合格がある仕事に応募することが怖いので、次は自主開催をしようと考えます。しかし、友人知人に声掛けしたり、SNSに投稿して宣伝したりしようと思っても、やはり知人や家族に見られるのが恥ずかしいと思い、なかなか行動に起こせません。
このように、恥ずかしい思いをすることを恐れすぎると、どんな行動も取れなくなってしまいます。また、失敗した時の悲しみを恐れすぎても同じです。自分で、自分の人生に蓋をしてしまっているのですね。行動を起こさないと、自分自身の人生は変わりません。
自分と向き合うヨガを優先する

怖いと感じた時に、無理をすることが正解とは限りません。自分への信頼がない時に大きな失敗をしてしまうと、「やっぱり自分はダメなのだ」という落胆がより大きくなってしまいます。
そんな時は、自分自身のヨガに向き合うところから始めましょう。
普段よりも、少し強度が強いヨガのポーズを行うのもいいでしょう。そうすると、「自分はこれだけチャレンジできた」という満足を覚えていきます。普段はネガティブになりがちな人であっても、ヨガで大きく胸を開いて深く呼吸を行うことで、その瞬間は自由を感じやすくなります。
「今日はエネルギーが滞ってやる気が起きなかったけど、今はすごくスッキリしている」といったような、ヨガの練習後に感じる自分の体験を大切にしましょう。
少し難しめのヨガのポーズに挑戦すると、できる日もあればできない日もあります。それも、大切な学びです。成功した日も成功できなかった日も、一生懸命に集中できたことで自分に満足できるはずです。
彼にとって、この世における成功と失敗はなんの関係もない。また、万物に対し、彼が何らかの期待を抱くこともない。(3章18節)
訳 上村勝彦. 2018. 『バガヴァッド・ギーター』第34 刷. 岩波書店. p,45
それは、ヨガの練習を行っている自分自身を楽しめているからです。
練習自体を楽しめている時や自分ができる最高を求めている時には、当然、失敗もありますが、それよりも挑戦自体を楽しめています。
自分の心が変わった経験が、一番の自信になる
ヨガの練習で自分が体験したことは、一番の自信につながります。
言葉で学んだことではなく経験で学んだことは、「自分で自分を変えることができる」という学びです。そして、失敗しても大丈夫という大きな学びも大切です。
挑戦したいことがヨガに関わっていれば、自分のヨガの経験から学んだことがダイレクトに自信に繋がりますね。何かに挑戦して失敗しても、何も残らないわけではありません。自分が今まで築いてきたヨガの経験は、常に自分と共にあります。
自分の心を変えることができた経験が、どんな知識よりも多くの人の助けになります。同じ救いを求める人に、何ができるのか考えてみましょう。自分が苦しかった時期、そこからどのような変化があったのかを周囲の人たちに伝えることが、自分の価値になっていきます。
その時、初めて自分自身の価値と役割を実感できるのではないでしょうか。
失敗を恐れず楽しむことが自由への道

苦楽、得失、勝敗を平等のものと見て、戦いに専心せよ。(2章38節)
訳 上村勝彦. 2018. 『バガヴァッド・ギーター』第34 刷. 岩波書店. p,37
自分を信じられない時には、分かりやすい結果を求めがちです。
例えば、収入がいくらだった、こんな資格を取った、SNSのフォロワーが何人だと、わかりやすい評価基準を求めます。
しかし、これらは本質的な良し悪しだけではなく、運も関係します。そのため、一度成功を手にしても失うこともあれば、資格を取っても周囲から評価されないこともあります。これらに執着してしまうと、心は常に結果に合わせて一喜一憂し不安定なものになります。
本当に自信がある人は、分かりやすい結果を必要としません。また、多くの失敗をしても、それが喜びに繋がります。
例えば、陶芸を考えてみましょう。どれだけ正しく立派な先生から学んでも、高価な材料を使っても、美しい器ができる保証はありません。ほんの些細な温度の差、土に含まれていた成分の違いで、自分の思惑と全く違うものが焼き上がることがあります。
せっかく焼いた器のほとんどが失敗となることもあるでしょう。しかし、努力の結果、想像できなかったような美しい作品が出来上がることもあります。
それが、人生ではないでしょうか
約束された成功を求めるのではなく、自分の人生を豊かな経験で描いていくのが人生の楽しみです。そのためには、今までの自分の限界よりも頑張らなくてはいけないこともあるかもしれません。また、時に失敗することもあるでしょう。
そんな失敗を繰り返したからこそ学べるものがあると信じることで、自由に翔ける道が見えてくるはずです。