赤い和紙の上に広げられた百人一首

百人一首で考える ~時代も国も超える心~

みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。さて、2025年始めの『ヨガで文学探訪』は、百人一首を取り上げたいと思います。
百人一首を知らない方は、いらっしゃいませんよね。百人一首の歌を覚えていない方はいらっしゃっても、百人一首そのものを知らないという方は、ほとんどいらっしゃらないと思います。そういう私も、百人一首の歌をあんまり覚えていないのですが、お正月に家族で百人一首かるたで遊ぶのはやっぱり楽しいものですよね。
私は百人一首といえば、かるたというイメージしかありませんでしたが、百人一首をよくよく調べてみると、ヨガとの共通点があるのではないかなと思いました。というわけで、今回は百人一首とヨガの共通点を探っていきたいと思います。

百人一首は、襖に飾るものだった⁉

連なる和室を仕切る襖を開けた様子

百人一首の起源は、鎌倉時代まで遡ります。公家だった藤原定家は、ある時、友人の宇都宮頼綱から別荘である小倉山荘の襖に飾る色紙を作ってくれと頼まれました。定家は様々な歌人の歌を色紙に書き、頼綱に贈りました。その時に色紙に書いた歌が、現在の百人一首になったと言われています。小倉山荘の襖に飾る和歌だったことから、百人一首が「小倉百人一首」と呼ばれるようになりました。

友人の別荘の襖に飾る色紙に和歌を書くなんて、藤原定家はなかなか粋な人ですね。

100人の歌人が詠んだ歌が1首ずつ入っていることから百人一首と呼ばれていますが、定家自身の歌も97番に入っています。定家自身は男性ですが、この歌は、来ると思っていた恋人を待つ女性の心理を、松浦海岸で焼かれる藻塩に喩えて詠んだようです。ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、せっかくなのでここで紹介します。

こぬ人を松帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ
小倉百人一首栞, エンゼルトランプ株式会社

男性でありながら、恋焦がれる女性の気持ちをビックリするほどストレートに詠んでいますね。
定家は自分でも数多くの歌を詠んだだけでなく、『新古今和歌集』の編集も行うなど、和歌をたいへん愛し、和歌のために人生を捧げたと言われています。

英語に訳された百人一首

さて、日本人なら誰もが知る百人一首ですが、実は今、海外でもちょっとしたブームになっているそうなんですよ。百人一首は英語に訳され、英語版百人一首でかるたを楽しむ外国の方もいらっしゃるらしいのです。百人一首が英語になっているなんて、日本人としては驚きですよね。

ピーター・J・マクミランさんの著作である『英語で読む百人一首』では、英語版の百人一首を読むことができます。といっても、私はあんまり英語ができないので、英語版の百人一首を理解できるわけではないのですが、英語が得意な方は英文で読むと新たな百人一首の一面を知ることができるのではないでしょうか。
英語ができない私でも英語版の百人一首を見ていると、アルファベットの文面が新鮮で、百人一首は日本のものという思い込みは間違っていたんだなあと思い知らされます。

さて、そんな百人一首の英語バージョンも、先程の97番の藤原定家の歌で紹介します。

Pining for you
who does not come,
I am like the salt-making fires
at dusk on the Bay of Waiting-
burning bitterly in flames of love.

ピーター・J・マクミラン著. 『英語で読む百人一首』. 文春文庫. 2017. p,201

どうですか?
百人一首がアルファベットになると、なかなか新鮮ではありませんか?

それにしても、なぜ、百人一首は時代を越え国を越えて広まり続けるのでしょうか。何首か例にあげながら、考えていきたいと思います。

あるあるが意外とある!

継ぎ紙に描いた百人一首「小野小町」の春の歌

百人一首といえばかるたですから、上の句のはじめと下の句のはじめしか覚えていないという方も結構多いのではないでしょうか。私の周りでも、百人一首の歌を百個全部暗唱できるのは私の祖母くらいです。他は、全然覚えていないか、好きな歌を数句だけ覚えているか、上の句のはじめと下の句のはじめだけは覚えているといった感じでしょうか。
ですが、百人一首をよく見てみると、その気持ちわかる~!という歌が多いんですよ。

絶世の美女だったと言われている小野小町の有名な9番の歌は、中年以降の女性なら同じ叫びをしたことがあるのではないでしょうか。

原文:
花のいろはうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに
(小倉百人一首栞, エンゼルトランプ株式会社)

現代語訳:
長く降り続く雨で桜の花がすっかり色あせてしまったわね。あの桜の花が色あせてしまったように、美しかった私の顔も色あせてしまったわ

英語訳:
I have loved in vain
and now my beauty fades
like these cherry blossoms
paling in the long rains of spring
that I gaze upon alone.

ピーター・J・マクミラン著. 『英語で読む百人一首』.文春文庫. 2017. p,25

きっと、この叫びは国を問わず世界各国の女性が経験していますよね。

故郷を想って歌った7番の阿部仲麻呂の歌も、故郷を離れて暮らす方々は「わかる~!」と言いたくなるのではないでしょうか。平安時代に遣唐使として活躍した阿部仲麻呂は、この歌を日本から離れた唐の国で詠んだそうです。

原文:
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
(小倉百人一首栞, エンゼルトランプ株式会社)

現代語訳:
今、私が見ているあの月は、故郷の春日にある三笠山の上に出ていた月と同じ月なのだね……

英語訳:
I gaze up at the sky and wonder
is that the same moon
that shone over Mount Mikasa
at Kasuga
all those years ago?

ピーター・J・マクミラン著. 『英語で読む百人一首』.文春文庫. 2017. p,21

遠く離れた地から故郷の月を懐かしく思う気持ちは、日本人だけではありませんよね。世界のどの国の人だって、同じ思いで月を見上げることはもちろんあるはずです。

秘めた恋を歌った40番も、身に覚えがあるという方がきっといらっしゃると思います。

原文:
しのぶれど色に出てにけりわが恋は物や思ふと人のとふまで
(小倉百人一首栞, エンゼルトランプ株式会社)

現代語訳:
僕はこの恋を隠しているつもりなのに、どうやら隠しきれていないようだ。僕の顔を見ると、人は恋してるのかって聞くからね

英語訳:
Though I try to keep it secret,
my deep love shows
in the blush on my face
Others keep asking me,
Who are you thinking of?

ピーター・J・マクミラン著. 『英語で読む百人一首』.文春文庫. 2017. p,87

恋をしていることを絶対に知られたくないのに、気持ちが高ぶっているのか、ついつい顔に出てしまう……なんていう気持ちに覚えのある方は、日本人に限らず世界中にいることでしょう。

今、紹介したほかにも、案外「あるある!」の歌があるんです。ぜひ探してみて下さいね!

美の心は時代や国を超える

百人一首の中には、美しい情景を詠んだ歌も数多くあります。いろいろ綺麗な歌はありますが、私は98番が好きです。

原文:
かぜそよぐ楢の小川の夕ぐれはみそぎそ夏のしるしなりける
(小倉百人一首栞, エンゼルトランプ株式会社)

現代語訳:
風が楢の葉を吹き渡っている様子は、もう秋が来たようだけど、まだ小川でみそぎをしているから、夏のしるしなんだよね
(みそぎとは、旧暦6月30日の行事で、川や海で身の汚れを洗い清めることだそうです。この行事をしていれば、まだ夏の証拠だということらしいです。)

英語訳:
A twilight breeze rustles
through the oak leaves
of the little Nara River,
but the cleansing rites
tell us is still summer.

ピーター・J・マクミラン著. 『英語で読む百人一首』.文春文庫. 2017. p,202

暑かった夏が終わりかけ、秋の気配が感じられるちょっと涼しげな風が顔に感じられるようですよね。

秋が深まった頃の紅葉を歌った歌は、とても多いです。17番は、特に有名です。

原文:
千早ぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは
(小倉百人一首栞, エンゼルトランプ株式会社)

現代語訳:
神秘に見慣れている神々だって見たことがないだろう。龍田川がもみじをたくさん浮かべて、まるで深紅に水を絞り染めにしたような美しい情景になっているところなんて

英語訳:
Such beauty unheard of
even in the age of the raging gods
the Tatuta River
tie dyeing its waters
in autumnal colors.

ピーター・J・マクミラン著. 『英語で読む百人一首』.文春文庫. 2017. p,41

龍田川にもみじがたくさん流れていて、水が深紅に染まっているようだという美しい秋の情景が、まざまざと目に浮かんできますよね。

定家が深く愛したという29番は冬の歌ですが、白が非常に印象的です。

原文:
心あてにをらばやをらむ初霜の置きまどはせる白菊の花
(小倉百人一首栞, エンゼルトランプ株式会社)

現代語訳:
白菊を摘もうと思ったけれど、初霜が降りて、どこが霜で、どこが白菊かわからないから、当てずっぽうで折ってみるしかないね

英語訳:
To pluck a stem
I shall have to guess,
for I cannot tell apart
white chrysanthemums
from the first frost.

ピーター・J・マクミラン著. 『英語で読む百人一首』.文春文庫. 2017. p,64

白菊を覆っている冷たい初霜の白い色が、痛いほど目に浮かんでくるようですね。

この他にも、美しい景色が浮かんでくる歌がたくさんあります。美しい情景を愛する心は、平安時代から今の令和の時代まで変わらないものなのではないでしょうか。そしてまた、美しい景色を愛する心は国も越え、世界各国の人々を魅了するのだと思います。

人の思いは時代や国を超えていく

様々な色紙で作られた複数人の人の横顔

百人一首は、人の心を詠んだものですよね。
美しかった自分を嘆く気持ちだったり、故郷を懐かしむ気持ちだったり、恋の気持ちだったり。あるいは、悲しみや切なさ、喜びを歌に込めるわけです。美しい情景を見て、ハッと心が躍った気持ちを伝えたくて、和歌を詠むということもあるでしょう。いずれにせよ、百人一首で詠まれているものは人の心です。
人の心というものは、平安や鎌倉の時代から令和の今の時代まで少しも変わりません。平安や鎌倉の昔にも、今と同じように人は嘆き、懐かしみ、恋をし、悲しくなり、切なくなり、そして喜び、美しいものに心を躍らせていたのです。
そしてまた、人の心は国を超えても少しも変わらないものです。アメリカでもイギリスでも、インドでも中国でも、どこの国の人々だって、嘆いたり、懐かしんだり、恋をしたり、悲しんだり、喜んだり、美しいものに心を躍らせたりするのです。
言葉は違っても、人の心は変わりません。短いリズムの中に、百人百様の心を込めて詠んだものだからこそ、百人一首は面白く、時代を越え、海外でも人気になっているのでしょう。

そう考えた時、ヨガもまた、同じように時代や国を超えているのだなと、私は改めて思いました。ヨガは、約6000年前にインドではじまりました。その頃のヨガは、辛くて心が乱れた時に落ち着かせるための方法を説いたものでした。ヨガの聖典『ヨガ・スートラ』は、インド各地で広まっていたヨガを一冊の本にまとめたものです。ですから『ヨガ・スートラ』には、心を落ち着かせるための方法がいっぱい書いてあるのです。
ヨガは、人の心をどう落ち着かせるかを説くものだったのですから、心というものがヨガのテーマになってくるのですよね。だからこそ、ヨガは時代を越え、国を超え、こうして遠く離れた日本の現代人までもがヨガをしているのです。

人の心は、いつの時代でもどの国でも変わりません。時代や言葉遣いが違っても、風習や環境が違っても、それでも人間の心というものはみな同じなのですね。

お正月に百人一首かるたを楽しんだという方はたくさんいらっしゃると思いますが、百人一首の歌にも着目して楽しんでみてはいかがでしょうか。百人一首の新しい発見ができるかもしれませんよ。