紫色の本を開く人と本から世界が広がるイラスト

丘紫真璃ってどんな人?

こんにちは!丘紫真璃です。

いつも『ヨガで文学探訪』のコラムをお読みいただいてありがとうございます。

でも、皆さん、何だって児童文学作家と名乗る人物が、ヨガのコラムであれこれエラそうに書いているんだろうと不思議に思っていらっしゃるのではないでしょうか?

そもそも、ヨガと文学ってどんな関係があるの?って思っていらっしゃる方もたくさんいらっしゃると思います。

そんなわけで今回は、『ヨガで文学探訪』のコラムを書いている丘紫真璃が何者なのか? どういうきっかけでヨガの世界に足を突っ込んだのか?ということを今さらですが、改めて語らせていただきたいと思います。

どうぞ、最後までお付き合いいただけたら幸いです。

物語を書くきっかけ

草の上の布に並んだぬいぐるみたち
私の場合、モノゴコロついた時から、周りには物語があふれていました。母が物語を考えることが大好きだったからでしょうね。

私の母は、クリストファー・ロビンの両親よろしく、兄と私のぬいぐるみを動かしながら、ぬいぐるみ達が活躍する物語をいつも私達に語って聞かせてくれたものでした。

時には、兄と私も横から口をはさんで、物語作りに参加しました。兄と私がかなり大きくなるまで、物語ごっこは続いていたのです。

兄はそのうち興味が他に移りましたけれど、私はいつまでも物語ごっこから卒業しませんでした。そのうち、私はぬいぐるみを主人公にした物語を自分で書き始めたのです。

小学校2年生の時、夏休みに自由研究の宿題がありましたが、私は自分の書いた物語を学校に提出しました。以後、夏休みになるたびに自由研究の宿題が出ると、私は物語を書いて、学校に提出したのです。

中学2年生の時にもやはり夏休みに『黄色い卵は誰のもの?』という物語を書いて、自由研究として学校に提出しました。

学校の先生はそれを読んでも特にコレといったコメントを下さいませんでしたが、母が『黄色い卵は誰のもの?』の原稿を出版社に送ってみたところ、何と、出版されるという形になったのです。

本を出版するようになったきっかけは、そんなことからでした。それ以来、子ども向けの物語を書き続けています。

小さい頃からの物語ごっこから、いまだに卒業していないってことなんですよ。

気軽な気持ちで始めたヨガ

足をクロスさせて前屈する女性
オトナになって、物語を書くほかにできる仕事はないかなと考えた時に浮かんだのが、ヨガインストラクターの仕事でした。

理由は全く恥ずかしいほど単純なのですが、私は5歳の時からクラシックバレエを習っていたので柔軟性にはわりと自身があったのです。

柔軟性さえあれば、ヨガのインストラクターもできるんじゃないかと、そんな大間違いなことを考えたのです。

とにかく、そんな理由で、ヨガインストラクター講座を受講してみたのが、私にとってのヨガの始まりでした。

ヨガって哲学?

山で瞑想する女性と差し込む光
ヨガってとにかくいろんなポーズを取るものだとしか思っていなかった私ですが、それは全くの大間違いだということは、インストラクター講座を受講してすぐにわかりました。

まず私にとって衝撃的だったのは、ヨガは哲学だったという事実です。

びっくりしました。ヨガってストレッチ的なことをあれこれするものじゃないの?って思っていましたから、ものすごく驚きました。

でも違ったんですね。古代インドで6,000年以上前に始まったヨガは、もともとは、人生をいかにして乗り越えることができるかということを考察する哲学だったのです。

6,000年前のインドでも、人生は苦しくて、ストレスがたくさんあって、なかなかうまくいかないものだと人々は考えていたのです。

そんな苦しみの多い人生をどう乗り越えていったらいいのか? 

欲望だらけだからこんなに苦しくなるのではないか?

最初から欲望を持たないようにすれば、苦しまずにすむのではないか?

それとも、呼吸を安定させたら、心が落ち着いていいかもしれない。

安定した呼吸に動きを組み合わせたら、身体が軽くなって、もっと心が落ち着いていいかもしれない…。

そうして、心を落ち着けるすべをあれこれ考えているうちに、現在の呼吸をしながらポーズを取っていくという、誰もが知っているヨガのスタイルが出来上がっていったというのです。

ヨガジェネレーションで普段からヨガに親しんでいらっしゃる方々には当たり前のことかもしれませんが、ヨガ初心者だった私には、ヨガがそんな深いものだったという事実が心底驚きでした。

そして、柔軟性なんてヨガとは何の関係もないんだと、つくづく思い知らされました。

瞑想体験

内側から光がもれている木のドア
ヨガインストラクター講座を続けているうちに、毎日ヨガの深さに驚かされていましたが、そんなある日、瞑想体験をすることになりました。

受講生みんなで目をつぶり、インストラクターの先生の声に耳を傾けます。

「階段をおりていきます。長い階段です。階段を降りた先に扉があります。その扉を開いてください。さあ、どんな世界がありますか? フッと浮かんでくるのはどんな世界ですか?」

そんな風にインストラクターの先生は語った時、私は広い広い野原や、そこを走っていく犬の姿を自然に思い浮かべました。

すると、先生がこう言ったのです。

「今、あなたの頭に浮かんだ世界は、無意識化の世界です。これが瞑想の入り口です」

私はびっくりしました。

これが瞑想だとしたら、私は瞑想にものすごくなじみがある、と、すぐに感じたんです。

物語を書くことは瞑想だ!

物語を書く時、1番大切なことは頭で考えないことだと言ったら意外に思われる方もいらっしゃるでしょうか?

頭で物語を考えたらろくな物語はできないんです。物語を作る時に最も大切なことは、頭の中をカラッポにすることなんです。

頭の中をカラッポにした時、ふっとある人物や情景が頭に浮かんできたりします。それが物語の種になるんです。

この種を育てることで物語が出来ていくのです。

いかに頭で考えずに、自然に浮かんできたままの人物や情景を物語にできるかという点に、面白い物語になるかならないかが、かかっている気がします。

つまり、物語を考えることは瞑想と同じなんです。

物語を考えている時、私は瞑想をしていたんです。

小さい頃から物語を考え続けてきた私って、ずーっと瞑想をしていたんだという発見に、私はものすごく驚きました。

(このコラムは次回の『文学も、ヨガも、人生だ』に続きます!)