自分だけの『スワダルマ』(職務)を見つける。自分らしい生き方

世の中には天職と言われるような職業に就いている人がいます。

それに対して、自分のやるべきこと、生き方が分からなくて悩み続けてしまう人もいます。

周囲の人を見て、自分の役割っていったい何なのだろうと悩んでしまう人もいることでしょう。

ヨガでは、「行うべきこと」をダルマと呼びます。

自分自身のダルマの見つけ方を考えてみましょう。

自分の職務「スワダルマ」とは?

「私個人が行うべきこと」を『バガヴァッド・ギーター』ではスワダルマと呼びます。

ヨガの生まれた国インドには古代からカーストと呼ばれる職業身分制度があり、人々は、生まれたときから人生をかけて全うすべき職業が決められていました。

自分自身に与えられた役割を丁寧にしっかりと遂行することが良い人生であるとインドでは考えられています。

職業選択の自由が認められた現代であっても、スワダルマの考え方は残っています。

スワダルマは、天職のようなものと言えるでしょう。

自分自身に与えられた職務を見つけたら、他者と比べることなく、自分の職務を全うするのが生きがいにつながります。

不完全であっても自分自身の義務(ダルマ)を遂行することは、他者のよく遂行された義務よりも優れている。たとえ自身の義務によって死ぬことになっても幸福なことだ。他者の義務を行うことは危険である。(バガヴァッド・ギーター3章35節)

例えば、サッカーで例えてみましょう。

自分がゴールキーパーだとします。ゴールキーパーの役割は、自分のチームのゴールを守ることです。

試合によってはずっと味方が攻めていて、自分のところに全くボールが回ってこないこともあります。

しかし、そんな時のゴールキーパーの役割は、ひたすらゴールポストの前に残り、いつ相手が攻めてきても大丈夫なように待機することです。

もしゴールキーパーが「試合で活躍しないと監督に認めてもらえないから」と、ゴールポスト前を離れて一緒に攻めに行ってしまってはどうでしょう?

チーム全体のバランスが崩れて、自分にとっても全体にとっても良くない状況に陥ります。

だから、動かないことさえもダルマになります。

それがギーターに書かれた「不完全であっても自分自身の義務(ダルマ)を遂行することは、他者のよく遂行された義務よりも優れている」という言葉の意味です。

周囲を見て自分のダルマを探さない

自分の役割を遂行することが大切と言われても、「自分の役割が見つからないから困っている」という声をよく聞きます。

そういう方は、周囲の人を見て自分と比較し、焦ってしまっていることが多いと思います。

  • ヨガ教室に行けば、素敵な空間で毎日ヨガを教えて、生徒さんたちを健康にしているヨガのインストラクターが素敵。自分もあんな風になりたいと憧れる。
  • 学生時代の友達に久しぶりに会ったら、すっかり2児の母親になっていて、子育ては大変そうだけど家族を守る姿に感動する。
  • 妹は留学してそのまま海外で就職して夢の海外生活を実現しているのに、自分は好きでもない仕事を生活にために続けている。これでいいのかと悩む。

そんなことは誰にでもあります。

誰でも自分と他者を比較して、自分に持っていないものを羨ましく思ってしまいます。

他者の役割を羨ましく思っているときには、自分の仕事に向き合うことができなくなってしまいます。

本当は与えられた役割があっても、それに気が付くことができず「私には何もない」と思い悩んでしまいます。

まずは、周囲と自分を比べないことが大切ですね。

急に大きな役割を探さず小さなダルマから


自分自身に与えられたスワダルマを見つけるには、自分との対話がとても大切です。

ダルマは、自分自身と周囲が快適で幸福であるために与えられた役割です。
どんな小さなことでもいいので、これを行うことで自分が快適になれる行いを探していきます。

ダルマは職業的なものだと考えられがちですが、自分の行う全ての行為に当てはまる考えであり、日常の習慣さえ、ダルマに従って生きることは快適な人生のコツです。

例えば、朝起きた時に1番に歯を磨いてお白湯を飲むこと。
これは、自分自身の体を快適な状態に保つための行いです。

理論的に「これはやらないといけないルール」だと決心するのではなく、自分自身の感覚に意識を向けて、「朝1番に口腔内を清潔にしたほうがスッキリとして気持ちがいい」と率先して行えるようになると、自分の人生で必要な行為が分かってきます。

人間として与えられた生を快適に生きるための行為をしっかりと行うことで、その先にある個人のダルマにも気が付きやすくなります。

ヨガで学ぶ万人が従うべきダルマ

ダルマには個々に与えられたダルマと、人類が皆従うべきダルマがあります。

『ヨガ・スートラ』で説かれたヤマとニヤマは、人間として生まれた誰もが従うべきダルマだと考えられます。

8支側のヤマを見ていきましょう。

  1. アヒンサー :非暴力、非殺生。
  2. サティヤ :正直、嘘をつかないこと。
  3. アステーヤ :盗まないこと。
  4. ブラフマチャリヤ :禁欲すること。
  5. アパリグラハ :所有しないこと。

今、私に与えられたダルマが分からない場合には、焦らずにヤマから実践していってもいいでしょう。

日常をヨガの実践としてみます。

例えば、面白くないと思っていた仕事。それでも仕事の時間もヨガを実践しようとアヒンサーを意識してみるとします。

すると会社の中で仕事のでミスが多く、て周囲から冷たくされている人のことが気になってくるかもしれません。

少し手間をかけて困っている人の話を聞いて、一緒に改善策を考えていたら、いつの間にか頼られる存在になっていることでしょう。

その結果、つまらないと思っていた職場の中でも自分にしかできない役割が見えてきます。

自分にできることが分かってきた結果、同じ職場の中で新しい役割が見つかって充実してくる人もいます。自分の得意なことが分かった結果、転職してさらに長所を活かせる場所に行く人もいます。

結果は必ず今の行動の先に与えられるものです。

「今より輝ける場所があるはず」と、環境だけを変えようとせずに、今目の前に与えられた環境と役割を誠実にこなしてみましょう。

ヨガで感覚を研ぎ澄ますと見えてくるダルマ


人生をかけて行うような天職に出会った人は、「突然降ってきた」と言う人が多いです。

ダルマは、自分で掴みにいくというより、突然「これをやるのだ」と気が付かされる人が多いです。

正しく天から降ってきた天職ですね。

ヨガ哲学では、ダルマは誰にでも必ず与えられているものだと考えられていますが、
思考ばかりが働いて、視界が濁ってしまうと、それに気が付くことができません。

例えば身体が果物などのビタミンを欲しているとき、感覚がクリアであればそれを感じることができます。

しかし、仕事が忙しくてとにかく疲れているときなどは、白砂糖のたっぷり入ったスイーツが食べたいと思ってしまい、それで満腹になってしまいますね。

ヨガでは、しっかりと自分と向き合う時間を味わいます。

日常生活で忙しく働いている雑念を止めることで、初めて純粋に世界を見ることができます。その結果、少しずつ自分の行うべきことも見えてきます。

焦らずに思考で考えず、自分自身の感覚を信じましょう。

何もしないダルマもある

多くの人は真面目なので「何かをしなくてはいけない」と考えます。

人生の貴重な時間を無駄にしないためにと、必死に動き回って、その結果空回りしてしまう経験は多くの人にあると思います。

何をしても上手くいかないとき、何もやる気が起きないとき、人には「何もしないダルマ」もあることを知りましょう。

その人にとっては充電期間なのかもしれません。ある人にとっては、次のダルマが与えられる前の準備期間かもしれません。

自分だけが取り残された気になっているときも、下手に焦らずに、その瞬間与えられた人生の休息を楽しめるといいですね。

自分から追いかけなくても、ダルマは誰にでも与えられるものです。

自分だけのスワダルマを見つける

世界の価値観が大きく変わる中で「私の人生これでいいのかな?」と悩む人も多いと思います。

しかし、どれだけ頭で考えても答えは見えてきません。

焦らずに、今の目の前のことを着実にこなしながら、しっかりと自分と向き合うヨガの時間を過ごすことが大切です。

ヨガで心に余裕を持つことで、きっと自分らしい生き方が見えてくるでしょう。

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