ねこのシルエットイラストと「わたしおてつだいねこ」タイトル

わたし おてつだいねこ~ありのままのプルシャを愛する~

こんにちは!丘紫真璃です。
今回は日本の幼年童話「わたし おてつだいねこ」を取り上げたいと思います。

「幼年童話なんて子どもが読むものだ」って、皆さんは思っていらっしゃるでしょうか?

確かに幼い子どもに読み聞かせたり、子ども自身が読んだりするために書かれた作品です。

しかし、長い年月を超えて愛され続けてきた幼年童話というものは、大人が読んでも胸に迫る、真実をまっすぐに描かれているものなのです。

「わたし おてつだいねこ」はまさしく、大人が読んでも楽しい作品で、時代を超えるかわいらしさと温かさを持った幼年童話の名作といえると思います。

では、そんな「わたし おてつだいねこ」とヨガがどんな関係にあるのか、一緒に考えていきましょう!

夫婦で協力して生み出した作品

「わたし おてつだいねこ」の物語を書いたのは、数々の賞を受賞されている児童文学作家の竹下文子さん。挿絵の担当は、竹下さんの夫で画家の鈴木まもるさんです。

夫婦でコンビを組んで数々の作品を作っていて、「りくにあがったせんちょうさん」や「ぼうしの好きな女の子」、「しろいはんかち」、「ジャムくんのおてつだい」など、数々の楽しい幼年童話や絵本を、世に送り出しています。

「わたし おてつだいねこ」は、息の合った夫婦コンビで作り上げた幼年童話の名作で、おてつだいねこの可愛らしさから人気シリーズとなりました。

ねこの手も借りたいくらい

エプロンをした縞模様のねこが立っているイラスト
本のページをめくってまず登場するのは、忙しそうなおばさんです。

子どもたちを学校へ送りだし、だんなさんを会社に送り出し、朝ご飯のお皿を片づけたり、掃除機をかけたりと大忙し。

「ああ、いそがしい、いそがしい。ねこの手もかりたいぐらいだわ」
(「わたし おてつだいねこ」)

おばさんがそんな独り言をつぶやいた時、ピンポーンとチャイムが鳴って、おばさんはドアを開きます。

すると、そこにはしま模様のねこが1匹、ふろしきづつみを持って立っていたのです!

ねこは、丁寧におじぎをして、自分はねこのおてつだいさんだと名乗り、「今日からここで働かせていただきます」と宣言します。

ねこのおてつだいさんなんて雇った覚えのないおばさんは首をかしげますが、ねこは落ち着いてこう言うのです。

「さっき、おっしゃったでしょ。いそがしくて、ねこの手もかりたいって。だから、きっと、やとってくださると 思ったんですけど」
(「わたし おてつだいねこ」)

おてつだいさんを名乗り出るねこは、毛なみも特に立派なわけではない、どこにでもいそうなしまねこなのですが、おばさんは試しに何ができるのかと聞いてみます。

「ええと、ねこさん、あなた、なにができるの?」
「なんでも。」
ねこは、むねをはって こたえました。
「おせんたくなんかも?」
「はい、もちろん。」
ねこは、ふろしきづつみを おろしました。中からエプロンをとりだして、きりっとしめました。
こうして見ると、なかなか、はたらきもののねこのようです。
(「わたし おてつだいねこ」)

ねこはお行儀も良く、しっかり者のようでしたし、お給料はお食事と日曜日ごとのにぼし1袋ということでしたので、おばさんは、ねこを雇うことに決めます。

本当は何もできないの

女性が雨のなか傘をさして歩いている
なんでもできると言い張ったねこですが、いざお手伝いをしてみると失敗ばかり。洗濯や、掃除、昼食作り、お留守番など、なかなかうまくいきません。

しまいには、洗濯物を取り込んでおいてとおばさんが頼んだのに忘れてしまい、急に降ってきた雨で、せっかくの洗濯物をびしょびしょに濡らしてしまいました。

あわてて、雨に濡れた洗濯物を取り込もうとした猫は、せっかくのキレイな洗濯物に、猫の足跡型の泥をいっぱいつけてしまい、洗濯物はやり直さなくちゃいけなくなってしまいました。

おばさんは、最初に家に来た時に、なんでもできると言ったのはウソだったのかと厳しく問い正します。

すると、ねこはしょんぼりしながら、本当は洗濯も、料理も、掃除も、お留守番も、できないんだということを打ち明けました。

おばさんは、ため息をついて、「どうしてウソついたの?」と、ねこに聞くと、ねこはこう答えるのです。

「わたしが、けさ、ここのおうちの前を通ったら、ねこの手もかりたいって、声がしたでしょ。それを聞いたら、きゅうに、わたし、なにかできるような気がしたの。 
ほんとは、なんにもできないねこだけど、もしかして、もしかしたら、やくにたつこと、できるんじゃないかと思ったの。
いろいろなおてつだいができて、このおうちでくらせたら、どんなにたのしいだろうと思ったの」
(「わたし おてつだいねこ」)

ねこはそう言うと、うつむいたままエプロンを外して、短い間お世話になりましたと礼儀正しく挨拶をして、おばさんの家を出ていきました。

おばさんは、ねこが出て行くと、急に立ち上がり、雨の中飛び出します。

そして、ねこを追いかけて走りながら、大きな声でこう叫ぶのです。

「ねこさん、もどってらっしゃい。なんにもできないねこでいいの。なんにもできないおてつだいさんでいいの。やとってあげる!やとってあげる!」
(「わたし おてつだいねこ」)

こうして、ねこは、なんにもできないおてつだいさんとして、おばさんの家で暮らすことになるのですが、このおばさんのせりふが、今回の1番の注目ポイントといえるのではないでしょうか。

ありのままのプルシャを愛する

ハートがもう一つのハートをハグしているイラスト
子どもの頃にこの作品を読んだ時、わたしが1番大好きだったのは、このおばさんのせりふでした。

「なんにもできないおてつだいさんでいいの!」

このせりふを読むと、大人もグッと胸に来るものがあるのではないでしょうか。

お手伝いさんというのは本来、役に立つ存在のはずです。いろんな家の用事を手伝ってくれる便利な働き者がお手伝いさんというものです。

それが、何にもできないなんて、お手伝いさんの意味がありません。何にもできないお手伝いさんなんて役立たずだと首になるのが普通でしょう。

けれども、おばさんは、何にもできないお手伝いさんであるねこを雇いました。

それは、おばさんが、ねこが役に立つからとか、便利だからとか、そういう理由ではなく、ただ、ねこにそばにいてほしかったからではないでしょうか?

この人といると得になるからとか、便利だからとか、そういった損得関係ではなく、何の理由もなく、無条件にその人と一緒にいたいという感情。

何も得にもならないけれども、その人が好きだから一緒にいたいという気持ち。 

それは、役に立つとか、便利だとか、そういったものをはぎとった”ありのままのその人”というものを愛しているということではないでしょうか?

そして、ヨガ的に考えてみればそれは、相手の中にあるプルシャを愛しているということではないかなと思うのです。

立派な毛並みをしているわけではない、どこにでもいるごく普通のねこであるおてつだいねこですが、おばさんは、ねこそのものを愛して、一緒にいたいと思いました。

おばさんは、ねこの中にあるプルシャを愛して、一緒にいたいと思ったのでしょう。

おばさんとねこは、お互いが好きだから一緒にいたいという関係であり、損得なんて飛び越えたプルシャとプルシャの関係だと言えると思うのです。

そして、おばさんは、ねこがそばにいて見守ってくれているというだけで、幸せになるのです。それこそが、素晴らしいお手伝いさんとしての仕事と言えるのではないでしょうか?

おばさんとねこは、お昼ご飯をおいしく一緒に食べます。
「やっぱり、ごはんは、だれかといっしょにたべるのが おいしいわねえ」
と、おばさんがいうと、
「ええ、ほんと」
と、ねこがうなずきます。
「ねこさんがいてくれると、なんだか、しごとが、どんどんかたづくような気がするわ」
「わたしも、なんだか、おてつだいしているような気がします」
 そして、おばさんは、いつも、
「おてつだいさんがいて、ほんとによかった!」と思うのでした。
(「わたし おてつだいねこ」)

おてつだいねこの物語は何とも言えない温かさにあふれています。子どもはもちろん、大人も何度も読んで癒されたくなる名作といえると思います。

古さを全く感じさせない、かわいくて温かい幼年童話の名作「おてつだいねこシリーズ」。

ぜひ、1度手に取って読んでみて下さい。お子さんと一緒に読んでみても良いですね!

竹下文子著 『わたし おてつだいねこ』小学館(1986年)