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王子と乞食 ~苦難をなめて真の王となる~

皆さん、こんにちは!丘紫真璃です。
今回は、マーク・トウェインの名作「王子と乞食」を取り上げたいと思います。

16世紀のイギリスを舞台にしたこちらの名作は、若き国王エドワード6世が主人公の物語です。

イギリス王室といえば、エリザベス2世がお亡くなりになったことがまだ記憶に新しいですね。

エリザベス2世の崩御により、イギリス王室というものが、イギリス国民だけでなく、世界の中でいかに大きな存在であるか、再認識したという方も多くいらっしゃったと思います。

約千年の歴史を持ち、世界で3番目に長いと言われているイギリス王室を舞台にした「王子と乞食」は、ヨガとどのような関係があるのでしょうか。

早速、16世紀のイギリスに飛んでいきましょう。

作者もお気に入りの傑作

マーク・トウェインのイラスト
作者は、「トム・ソーヤーの冒険」や、「ハックルベリー・フィンの冒険」など数々の傑作を世に送り出したアメリカの小説家マーク・トウェイン。

「王子と乞食」は、そんな名作家マーク・トウェインのお気に入りでした。

彼は、友人ホウエルス氏に次のような手紙を書き送っています。

万一、この書物が唯の1部も売れないようなことがあったとしても、自分がこれを書いていた間に味わった芸術的幸福はいささかも減じない
(「王子と乞食」訳者のことば)

王子と乞食が入れ替わってしまうというアッと驚く斬新な筋立てなのですが、マーク・トウェインは、主人公の王子を誰をモデルにするかという事に関して、かなり苦心したそうです。

はじめは、エドワード7世の15歳くらいを考えていたようですが、これがなかなか難しそうだと断念し、ついにヘンリー8世の息子である、少年国王エドワード6世、エドワード・チュードル10歳を主人公のモデルとして選んだのでした。

次のページを繰ったらどんな事件が起こるのか、ハラハラドキドキさせどおしの傑作です。

王子と乞食の入れ替わり

王子と乞食のイラスト
1537年10月12日、イギリスのロンドンにて2人の男の子が生まれます。

1人は、イギリス国王ヘンリー8世の跡継ぎとして生まれたエドワード・チュードル。もう1人は、イギリスで最も貧しい貧民窟に生まれたトム・カンティでした。

貧しい乞食のせがれとして生まれ育ったトム・カンティは、目も当てられないほど貧乏な人達がごったがえしているオーファル小路の、今にも倒れそうな家で暮らしています。

父親は泥棒で、母親は乞食で、その子ども達も乞食として育てられたわけなのですが、トムの幸運は、このオーファル小路には珍しい年取ったアンドリュウ神父がいたことでした。

アンドリュウ神父は国王のきげんを悪くして、役目や住居を取り上げられ、今は少しの恩給で命をつなぎ、こんな貧民窟に住んでいるのですが、この人がトムや姉達に読み書きやラテン語などを教えてくれたのです。

乞食狩りがきびしく、刑ばつも重かったので、トムはどうにか親たちからしおきをされないですむだけを、もらい歩いてしまうと、あとの時間は神父アンドリュウの面白い昔ばなし、大男や妖精や一寸法師や仙人や、または魔法の城だのりっぱな王子たちの物語だのを聞いてすごした。トムの頭の中は、だんだんこれらのふしぎな話でいっぱいになってきて、夜ふけの暗やみの中で、悪臭のぷんぷんするすこしばかりのわらの上に、つかれきってふしぶしの痛む身体を横にしながらも、空想のつばさを自由自在にかけめぐらせ、御殿の中の王子様をえがきだしたりして、いつの間にか身内の痛みや苦しさを忘れてしまうのだった。
(「王子と乞食」)

そしてついに、トムは1つの願いで心がいっぱいになるようになります。

それは、生きた本物の王子をこの目で見たいという願いです。

そんな願いでいっぱいになったトムはある日、行ったこともないほど遠くまで歩き、ウエストミンスター宮殿の前までやってきます。

そこでついに、トムは宮殿内を歩く本物の王子を目にすることができます。

喜びに我を忘れたトムは思わず、宮殿に駆け寄り、門の格子にピッタリと顔を押し付けて、城内をのぞきこみました。

ところがそのとたん、番兵の手がトムに伸び、トムは乱暴に遠くに放り出されてしまいます。

その乱暴な様子を見た王子は、ひどく立腹してさけびます。

「なぜおまえは、あのかわいそうな子供をそんなにひどくするのだ? こういう子供こそはお父様のけらいの中で1番あわれな者なのだから、とくべつにいたわってやらなければならないではないか!さあ、早く門をあけて、あの子を入れてやれ!」
(「王子と乞食」)

こうして、哀れな乞食のトム・カンティは宮殿内に入り、王子の導きで、王子の部屋へと案内されます。

そこで2人きりになった王子とトムは、様々な事柄を語り合い、面白そうだからということで、王子と乞食の服を取り替えてみます。

すると、まあ不思議!驚くべきことが起こりました。

2人はまるで瓜二つで、服を取り替えたなんてことが、まるでわからないくらいになったのです。

王子の衣装を着たトムは、エドワード王子そのもの。乞食の服を着たエドワード王子は、トムそのもの。

こんなことがあろうとは思えないくらいの似通い方です。

トムの乞食の服を着てみたエドワード王子は言います。

「なるほど、こうしておまえの着物をからだにつけてみると、さっきのあのにくらしい番兵のやつからひどい目にあわされた時のおまえの心持ちが、ことさら思いやられるような気がする」
(「王子と乞食」)

短気で正義感あふれる王子は、トムが番兵にやられた傷を見つけ、乞食の服のまま室内を飛び出して、番兵を叱りに行ってしまいます。

ところが番兵は、乞食の服を着たエドワード王子を、トムと勘違いして乱暴に門の外へ放り出してしまいました。

エドワード王子がいくら自分は王子だと名乗っても信じません。頭のおかしい乞食だと思うばかりです。

王子のマネしている頭のおかしい乞食と勘違いされたエドワード王子は、集まってきたやじ馬にいじめられ、宮殿から遠くに追い立てられてしまいました。

こうして、エドワード王子と乞食トム・カンティは入れ替わってしまい、それぞれの冒険が始まるのです。

王子の苦難

入れ替わり事件の真っ最中に、エドワード王子の父ヘンリー8世が崩御します。

そしてエドワード6世は国王となったわけですが、本物のエドワード6世は乞食としてロンドンを彷徨い歩いているので、乞食小僧だったトム・カンティが、偽物のエドワード6世として国王と祭り上げられるようになってしまいました。

乞食小僧から国王様に祭り上げられたトムの戸惑いぶりは大変に面白いのですが、私達が注目したいのは、乞食小僧となったエドワード6世の苦難です。

いくら自分はエドワード6世だと名乗っても、どこへ行っても頭がおかしいという扱いされるばかり。

空腹をかかえて国内を放浪し、いたるところであざけられ、虐待され、ある時は盗人や人殺しといっしょに牢へつながれ、難儀や苦労のありったけをなめるという苦しい運命を辿ります。

そんな苦難の冒険の中で、エドワードは無罪の罪で苦しんでいる様々な人に出会います。

法律で禁止されている宗教を信じているからといって火あぶりにされる女性達や、馬を盗んだという疑いがかかって証拠不十分のまま断頭台へ引かれていく男、逃げ出した鷹を捕まえて家に持って帰った見習い小僧が、裁判所で窃盗罪を言い渡され、死刑宣告を受けたという話。

国の刑法がひどすぎるということを論文に書いたことが罪に問われ、両耳をそぎ落とされた上、終身禁固を言い渡された年取った弁護士。

エドワードはそれらの人々の話に心がかきむしられるように苦しい思いをし、きっと王位を取り戻して、これらの人々を救いたいと心に誓います。

そして、耳を切り落とされた弁護士の傷を見た時にこう言い放つのです。

「だれも余を信じてはくれぬ。そちだって信じはしないだろう。だけど、かまわない。一ヵ月の中には、そちをきっと自由の身にしてやる。そちを恥ずかしめ、英国の国名に汚点をつけた多くの法律は、法令の中から、すっかり消して見せてやる。世の中がまちがって来たのだ。国王でもときどきは学校へいって、自分の作った法律を調べなおし、慈悲の学問を勉強しなおさなければならなくなったのだ」
(「王子と乞食」)

苦難をなめて真の王となる

どんなに頭がおかしいという扱いをされ、あざけられ、虐待されても決してひるまず、自分の権利を主張し続けたエドワード。

苦難の限りをなめ、残酷な現状を目の当たりにしたエドワードが冒険の中でどんどん強くなっていく様子が、章を追うにつれ、手に取るようにわかります。

自分がつらい目に合えば合うほどますます、一刻も早く王位につき、この哀れな者達を救い、世の中全ての国民達を正しく幸せにしたいという思いをどんどん強めていくのです。

『ヨガ・スートラ』の中でパタンジャリは、苦しみを乗り越えることで、心はどんどん浄化されていくと語っています。

苦難の限りをなめ、強く優しくなったエドワードは、手に汗握るクライマックスの末、ついに王位を取り戻し、真の国王となりました。

彼の重臣は1度のみならずいく度も、あまりに寛大な王の性情に反対し、王が修正を加えようとされる法律は、もとのままでも決してひどいものではなく、なにも大した苦痛を人民に感じさせるものではないと論じたことがあったが、その度ごとにわかい国王は、愛情にみちあふれた大きな目に、強いうれいをふくませて、その重臣を見ながら答えるのであった。
「そちらが苦痛や迫害についてなにを知ろうぞ?余と余の民は知っている。そちは知らぬ」
(「王子と乞食」)

ただ王の権力を握りたいという理由ではなく、人民を救ってやりたいという一心で王位を取り戻し、人民の幸せのために尽くしたエドワード6世は、パタンジャリも認める王様と言えるのではないでしょうか?

王子と乞食が入れ替わってしまうという大胆な筋立ての物語を、マーク・トウェインが確かな筆力で語っていきます。

まだ読んだことはないという方はぜひ、手に取ってみて下さい。1度読みだしたら止まらない面白さを味わえることをお約束致します。

『王子と乞食』(1934年:マーク・トウェイン著/村岡花子訳/岩波文庫)