両手でチンムドラを作り椅子に座って目を閉じる女性

ヨガで自分の時間を大切に~他人に流されず見つける自身のダルマ~

自分の行いに自信が持てなくなる時は誰にでもあると思います。

自分が正しいと思っていることでも、周囲の意見と合わなかったり、上手く機能していなかったりすると、自分の信じていることに自信が持てなくなってしまいます。時には、一般常識と自分の信念が合わない時もあるでしょう。

それであってもクリシュナ神は、他人の評価ではなくて自分のやるべきことを遂行するように教えます。

自分の今やるべきことが何なのか?

それを考えるために『バガヴァッド・ギーター』の教えを参考にしてみてはいかがでしょうか。

「スワ・ダルマ」自分のやるべきことが他人と違うのは当たり前

人種の異なる3人の女性のバストアップ
日本人の国民性について考えると、横並び意識の高さがあげられることが多いです。

これは決して悪いことではありません。共通の認識を多くの人が持つことによって、コミュニケーションが円滑化しますし、協調性や仲間意識も生まれやすくなります。

しかし、このような横並び意識が高いことによって同調圧力が強まってしまい、生きにくさを感じる人が出てくることも事実です。

ヨガの生まれた国インドではどうでしょうか。

インドには古代からカーストという身分制度があり、家庭によって異なる風習や価値観があることが当たり前でした。

同じ土地で生活していても、異なる宗教の人、異なる肌の色の人が混在しており、自分と他人が違うことが当然のことであると幼い時から学びます。

しかし、このような多民族国家インドにおいても、同じカースト内、特に家族コミュニティ内での同調圧力は強く存在しています。それは日本以上かもしれません。

特に「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」という性別による区別は顕著であり、インドの都心部では性差別に対する抗議活動が近年盛んに行われています。

多くの宗教では「善人はこう行動すべき」だと、共通した認識を教えます。

社会全体が同じ価値観を共有することによって、そのコミュニティが円滑に発展できることは事実です。

それに対してヨガでは、「あなたが行うべきことを遂行しなさい」と説きます。

「私が行うべきこと」という、個人に与えられた職務をヨガの言葉ではスワ・ダルマ(個人の義務)と呼びます。

子供の学校生活のように、全員が同じことをする社会に比べて、それぞれが責任をもって違うことをするのは簡単ではありません。

しかし、それぞれが自立して強く生きられるようになることで、より充実した人生を過ごすことができます。このように、独立した存在であることを学ぶのもヨガです。

自己のダルマの遂行は、不完全でも、よく遂行された他者のダルマに勝る。本性により定められた行為をすれば、人は罪に至ることはない。(バガヴァッド・ギーター18章47節)

自分と他人は違って当たり前。自分のやるべきことと、人のやるべきことが違うのは当たり前。

バガヴァッド・ギーターの中においてスワ・ダルマ(個人の義務)はとても重要なコンセプトであり、第3章と第18章の中で繰り返し説かれています。

他者の価値観と違っても罪にならない純粋なダルマ

手に持った布をはためかせながら草原に向かって両手を広げる一人の女性
自分の信じていることが、他人の正義と違うことがあります。

異なる価値観の人がいる社会の中では、その間に立って苦しむ人もいます。

例えば、会社の中で重要なポジションを任された女性は、毎日精一杯仕事に没頭して生き甲斐を感じていることでしょう。

しかし、田舎の実家に帰った時に両親や親族から「早く結婚しなさい」「早く孫の顔が見たい」と言われ問い詰められると息苦しさを感じてしまうでしょう。「女性が家庭に入るなんて価値観が古い!」と一括してしまう人も中にはいるかもしれません。しかし、現実はそれほど単純ではないですね。

両親も悪気があるわけではありません。周りの同じ年代の人たちが孫に恵まれて幸せそうにしているのを見ると、それを羨ましく思ったり、自分の娘の将来が心配で不憫に感じたりしてしまうのは当然のことです。

それが分かるからこそ、親の希望と自分のやりがいの間で悩んでしまいます。

このような場面で、仕事を取るのか、いったん仕事のペースを落としても結婚を選ぶのか、万人に共通した答えはありません。

大切なことは、自分の答えを自分自身で見つけることです。

たとい極悪人であっても、ひたすら私を信愛するならば、彼はまさしく善人であると見なされるべきである。彼は正しく決心した人であるから。(バガヴァッド・ギーター9勝30節)

同じ行動をしても、立場によって正義になる場合と悪と捉えられる場合があります。

時に自分の信じた行為が、他人から否定されることもあるでしょう。しかし、自分自身が正しいと信じて行った行為は正しいのだとクリシュナ神は説きます。

「親に言われたから」「社会の中の常識的なマナーだから」と、他者の価値観で自分の行動を制限する必要はありません。今の自分がやるべきだと信じたことを精一杯遂行すれば大丈夫です。

一時的に周囲の人と考えが合わなくて窮屈さを感じてしまうこともあるかもしれません。

しかし、家族や本当に親しい友人は、あなたが生きがいを持って生きていることに必ず喜びを感じてくれるようになります。周囲の不安は、大切な人が失敗をすることです。

最初は心配をしていても、長い時間継続して、生き生きと活躍できる場所だと分かれば、少しずつ理解してくれるはずです。

友人の中には、価値観が合わなくなったことで離れる人もいるかもしれません。

物質世界のあらゆるものが無常であるように、人間関係も移り変わるものです。環境が変わると距離が離れる友人もいれば、新しい環境での新しい出会いもあります。

変化を怖がらないことで、より今の自分にとって快適な環境を見つけられるようになります。

自分のダルマが分からない時には内の声を聞く

そうは言っても、そもそも自分の行うべきダルマが分からないと悩む人は多いと思います。

「私は何をするべきか?」と思考で考えようとすればするほど、外的な要因や損得で考えてしまい、本質が分からなくなってしまいます。

ヨガでは、本当に大切なダルマ(役割)は自分の内側にすでに存在していると考えます。

多くの場合、これは瞑想などをして外からの情報を遮断し、内側の自分に向き合うことで見えてきます。

内側の声を聞くと言ってもピンと来ないかもしれませんが、大げさに考える必要はありません。まずは小さなことから感じ取ることが必要です。

例えばヨガでスッキリした状態で、汚れのない状態が快適であると知った結果、自分の身の回りも綺麗な状態にしたいと考えるようになるかもしれません。

シャワーを浴びることが気持ち良い、朝起きたら1番に歯磨きをして、お白湯を飲むことでスッキリと1日が過ごせる、そんな日常の習慣であっても大切なダルマです。

自分の快適さのために必要な行為こそがダルマです。

自分の内側の声を無視しない、意識を外から内に向ける、そんな習慣の結果、ライフスタイルが少しずつ変わってくるかもしれません。

どのような生き方が快適であるかは、人によって違います。自分が1番自然な状態を見つけましょう。

ある人は、毎日仕事を忙しく詰め込んで走り回る生活が幸せかもしれません。中には、最低限だけ働いて、プライベートの時間をゆっくり楽しみたい人もいます。

他人の価値観や、社会からの同調圧力に流されず、自分らしさを見つけられると、自分の生き方に悩むことが無くなってきます。

ヨガで自分の時間を大切にしましょう。

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