緑が覆いしげる空間に咲くいくつかの水仙の花

「おおきなかぶ」と「てぶくろ」で考える平和

こんにちは。丘紫真璃です。今回は、絵本の「おおきなかぶ」と、「てぶくろ」を取り上げたいと思います。

日本ではどちらも内田莉莎子さんの訳で福音館書店より出版されており、子ども達にも親しまれておりますが、この2冊はもともとロシアとウクライナの民話です。

ロシアがウクライナを侵攻し、今なお激戦が続く中で、今この2冊がかなりブームになっているのは、「おおきなかぶ」がロシアの民話であり、「てぶくろ」がウクライナの民話だからなのです。

書店にも平和を考えるきっかけになればと、「おおきなかぶ」と「てぶくろ」がズラリと平積みにされたりしているようです。

そんな今話題の「おおきなかぶ」と「てぶくろ」を、このコラムでも取り上げてみたいと思います。

「おおきなかぶ」と、「てぶくろ」の2冊とヨガは、どう結びつくのでしょうか。2冊の絵本とヨガの結びつきを通して、皆さんと一緒に平和について考えてみたいと思います。

ロシア民話とウクライナ民話


先程もお話した通り、「おおきなかぶ」はロシア民話、「てぶくろ」はウクライナ民話となっております。

民話とは、人々が文字を持つ以前から口から口へと語り継がれてきたものです。

ですから、いつ、どこの場所で、誰が最初に語ったお話なのかということは、もちろん正確にわかっておりません。

歴史を調べてみますと、ウクライナから、紀元前6000年頃の東ヨーロッパ最古の農耕集落遺跡が発見されたりしています。

おそらく、こういった場所から人々は徐々に移動し、現在のウクライナやロシア地方へと広がってゆき、そこでめいめいの暮らしと文化を育み、大人から子どもへと民話を語り継いできたのでしょう。

ロシアもウクライナもどちらも寒い地方で、冬の夜が長いという特徴があります。

雪の夜、人々はペチカのそばに集まり、夜なべ仕事をしながら、民話に耳を傾けていたことでしょう。雪の夜が長い地方であるため、ロシアもウクライナも、民話を育みやすかったのです。

「おおきなかぶ」や「てぶくろ」の他にも、「マーシャとくま」や「おだんごパン」など、ロシアとウクライナの民話には、日本でも昔から親しまれてきているものがたくさんあります。

私達も知らないうちに、ロシアやウクライナの民話で育ってきたのですね。

みんなで引き抜くカブと、みんなで入る手袋


「大きなかぶ」の物語は、みなさんとっくにご存じですよね。

おじいさんが植えたかぶが、大きく育ちすぎてしまい、おじいさん1人ではとても抜けなくなってしまいます。

そこで、おばあさんや、孫娘、犬や、猫や、ネズミなどがみんなで協力して、大きなかぶを引っぱります。

うんとこしょ どっこいしょ それでもかぶはぬけません
(「大きなかぶ」)

内田莉莎子さんのリズムの良い名訳でも、おなじみですよね。

「てぶくろ」も、多くの人がもちろんよくご存じでしょう。

雪の森に、おじいさんが手袋を片方落とします。その手袋をネズミが家にしようと思ってもぐりこみ、そこに、カエルや、うさぎ、きつね、オオカミ、イノシシ、くま…次々にやってきては、ギュウギュウ詰めになりながらもぐりこみます。

おじいさんの片方の手袋の中に、こんなにいっぱいの生き物が入るものですか、と思わずツッコみたくなりますが、ラチョフの楽しい絵が見事にそんな疑問を吹き飛ばしてくれます。

犬や猫、ネズミなどのライバル関係にある動物同士が、一緒になって大きなかぶを引きぬいたり、ネズミやうさぎ、キツネ、オオカミ、クマなど、食って食われる関係である様々な動物達が、同じ1つの手袋の中に、仲良くおさまったりする。

そんな2冊の絵本から、敵も味方もなく共に生きようという「共生」を考えさせられると、今とても話題になっているのです。

共生をヨガ的に考える


「おおきなかぶ」と、「てぶくろ」の2つの民話から考えさせられる共生

敵も味方もなく、共に大きなかぶをひっこぬいたり、同じ1つのてぶくろの中におさまったり。

ウクライナでの激戦が続く中、そんな民話には、心温まるものがありますよね。

共生は、平和を考える上でも大事なテーマですが、ヨガ的にも大事なテーマなのだと言えると思います。

そもそもヨガには、敵とか味方とか、そんな区別をする考えは全くありません。なぜなら、ヨガ的な思考でいえば、全ての人は同じプルシャだからなのです。

全ての人の中にプルシャという光り輝くものがある。これは、どんなことがあっても絶対に変わらないものであり、永遠のものです。

その永遠に光り輝く、そして決して変わらないプルシャは、全ての人の中に確かにしっかりあるのです。

プルシャに国境は全く関係ありません。髪の色、目の色、言語、性別、年齢、思想…そういったものをはぎ取った後に残るものがプルシャです。

そしてまた、人だけではありません。ネズミの中にも、ネコの中にも、オオカミの中にも、花の中にも、木々の中にも、全ての生きとし生けるものの中に、プルシャは存在します。

だから、“わたし”は“あなた”であり、“あなた”は“わたし”だというのが、ヨガの考え方なのです。なぜなら、全ての人は同じプルシャだから。

私が敵を鉄砲で撃つということは、自分が、自分を鉄砲で撃つということと全く同じことなのです。ロシアの大統領がウクライナへの侵攻を指示しているわけですが、それはほかでもない、自分自身の国を侵攻していることと全く同じことなのです。

ウクライナの人々やロシアの人々が今も命を落としていますが、その命を落としているのは、戦いの最中にある人だけでなく、私であり、あなたなんだというのが、ヨガ的な考え方なのです。

ヨガ的な考え方でいけば、侵攻も戦争も攻撃も、全く無意味ですね。

だって、わたしとあなたの間には、何の区別もないのですから。

サットヴァを思い出す


そうは言っても、私達は“わたし”と“あなた”をどうしても区別したくなります。

全ての人は同じプルシャなのですが、永遠に変わらないプルシャという光輝くものに、様々な煩悩(クレーシャ)が重苦しくべっとりとからみついているため、私とあなたの間には明確な違いが出来てしまうというわけなのです。

ですが、もっと幼い頃、私達の心はこんなにも沢山の欲望や、思惑や、駆け引きや計算でいっぱいではなく、もっと純真で、ヨガ用語でいえばサットヴァな状態だったと思います。

子ども達は昔話が大好きです。日本でも、今でも子ども達の間で「おおきなかぶ」や「てぶくろ」は人気です。

「大きなかぶは抜けるかな、抜けるかな。まだ抜けないのか、まだまだ抜けないのか。さすがに抜けるかな。そら、抜けた!」と、大きなかぶが抜けるまで、子ども達は、ワクワクドキドキ楽しみます。

または、「てぶくろに、ネズミもカエルも入って、ウサギまで入れるの?キツネまで入れるの?さすがに、オオカミはムリだろう。イノシシなんてムリだろう。クマなんて絶対入れない…‥いやあ、全部入っちゃった!」と、手袋のギュウギュウぶりを笑いながら楽しみます。

子ども達の心は、まだまだ純真でサットヴァな状態ですから、昔話の単純なストーリーを、こんなにも楽しむことができるのです。

でも、大人になると、人は子ども達のようには昔話を楽しめなくなってきて、それどころかもっとタチが悪い人達は、昔話をプロパガンダ※1に使ったりもします。

実際、第一次世界大戦中などには、「おおきなかぶ」は、プロパガンダに使われていたこともあったそうです。

現在はプロバガンダという言葉が急に身近になりました。何が間違っているか何が正しいかわからない混乱した世の中で、一筋の光となるものは、サットヴァな眼差しのような気がします。曇りなき眼差しで世界を見ることが、今、とても大切になのではないでしょうか。

皆さん。ぜひ、「おおきなかぶ」でかぶを引き抜くおじいさん達の表情や、「てぶくろ」で、狭苦しい手袋の中でギュウギュウ詰めになっている動物達の表情を楽しんで下さい。

ロシアやウクライナ地方に、昔々から永遠と語り継がれてきた、「大きなかぶ」と「てぶくろ」の楽しい物語にワクワクして、サットヴァな時間を過ごして下さい。

そんなサットヴァな時間を過ごすことが、間違いなく平和を考えるきっかけになる。平和を考える人が増えれば増えるほど、平和な世の中が近づいてくる。

私はそんな風に信じたいと思います。

  • ※1 プロパガンダ:Propaganda(プロパガンダ)とは、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為。

参考資料

  1. A/トルストイ再話 内田莉莎子訳『おおきなかぶ』福音館(1962年)