裏庭へと続く小さな入り口

「裏庭」に見るプルシャ~全ての人の心の中には、裏庭がある~

こんにちは!丘紫真璃です。今回は、梨木香歩さんの「裏庭」を取り上げたいと思います。

「裏庭」は、児童文学ファンタジー大賞を受賞したファンタジー作品です。ファンタジーといえば、イギリスのイメージが高く、「指輪物語」や、「ナルニア国物語」など、名作ファンタジーと呼ばれるものはイギリスで生まれたものが圧倒的に多いようです。

それに対して、日本からはなかなか名作ファンタジーが生まれない現状がありました。しかし、そんな既成観念を破ったのがこちらの作品ではないでしょうか。

日本の中の洋館を舞台に展開する「裏庭」は、日本と西洋が複雑に入り混じり、現代の日本から生まれたファンタジーといった雰囲気を色濃く漂わせています。

そんな現代の日本から生まれた名作ファンタジー「裏庭」と、ヨガにどんな関係があるのか、早速、のぞいてみましょう!

児童文学ファンタジー大賞の数少ない大賞作品「裏庭」

作者の梨木香歩さんは1994年「西の魔女が死んだ」で作家デビュー。この作品で日本児童文学者協会新人賞や、新美南吉児童文学賞、小学館文学賞など数々の賞を受賞されています。

その後に発表されたのが、今回このコラムのテーマである「裏庭」。第1回児童文学ファンタジー大賞の大賞作品になります。その後、梨木さんは現代にいたるまで数多くの作品を発表し、多くの賞を受賞され、今なお大活躍中です。

梨木さんが受賞した児童文学ファンタジー大賞は、“大賞作品をほとんど出さない”ということでも有名です。選考委員の工藤左千夫氏によると、「これぞと思う本物のファンタジー作品でないと、大賞には選考しない」のだそうです。

数少ない大賞作品として選ばれた「裏庭」は、まさしく名作ファンタジー作品にふさわしい1作なのだということですね。

照美の孤独

男女の双子の子供
主人公は、13歳の少女照美。彼女には、純という名前の双子の弟がいました。しかし、純は6年前に肺炎により、亡くなっています。

両親はレストラン経営で忙しく、帰ってくるのは毎晩夜中の23時過ぎ。そのため、どうしたって照美は家で1人で過ごす時間が長く、孤独に時を過ごす時間が多くなってしまっています。

純には軽い知的障害があり、双子でありながら照美よりもひと回り小さかったので、純の面倒を見るのはいつも照美でした。そんな照美に、両親はとても助かっていたのです。

そんな照美に母はしょっちゅう、「ありがとうねえ」と言ってくれていましたし、父も「女の子は本当に役に立つ」とほめてくれていました。照美はそれが胸がいっぱいになるほど嬉しかったのです。

ところが純がいなくなった今、照美はどうやったら父と母の役に立てるかわからなくなっていました。

父がもう1度、「照美は本当に役に立つ」と言ってくれるためなら何だってしようと思うのに、どうしたらいいのか全くわからないのです。

「純がいなくなってから、照美はどうやったらパパの役に立つのか、もうわからなくなっていた。パパもママも朝から晩まで働いて、照美のことなど視界にも入っていないようだ。確かにパパやママにはもう照美はいらない子なのかもしれない」(裏庭)

照美がそこまで思いつめてしまうのは、純が亡くなった原因は自分にあると考えているせいでもありました。

6年前、照美と純が2人で遊んでいた時、照美が目を離している間に、純は池に落ちてしまったのです。

その晩、純は熱を出してしまいました。そして、風邪から肺炎をこじらせて亡くなってしまったのです。

「あれは私のせいだったんだ。だからパパとママは私が許せないのだ……」(裏庭)

「何の役に立たず、純も殺してしまった自分はパパとママから愛されない……。」パパとママからの愛情を感じられない照美は、そんな思いにとらわれ、苦しみます。

そんなある日、照美は純が亡くなった原因となった池があるバーンズ屋敷の庭を訪れます。そして、そこから照美のファンタジーの冒険が幕を開けることとなるのです。

バーンズ屋敷の裏庭

古い洋館と庭
丘のふもとに建っているバーンズ屋敷は、照美の町に戦前からずっと立っていた洋館です。

「地球の始まりから最後まで、ここに建っているみたいだ……」と照美が思うくらい、その町になじんでおり、重要な洋館でもありました。

そしてその町の子ども達は、こっそりバーンズ屋敷の庭に入り込み、遊び場にしていました。

バーンズ屋敷の庭で幻のような不思議なものを見たという子どもが多くおり、「おばけ屋敷」とも呼ばれていたのですが、そのミステリアスさがまた子ども達の気をひいていたのです。

照美の父や母も小さい頃、バーンズ屋敷の庭でしょっちゅう遊んでいましたし、照美もまた、小さい頃純を連れてバーンズ屋敷のぬけ穴をくぐって遊びにいっていたのです。

ところで、バーンズ家には大きな秘密がありました。普通の庭の他にもう一つ、裏庭と呼ばれる特別な庭があったのです。

裏庭には、誰でも行けるわけではありません。裏庭は異世界なのです。そこには特別な方法でしか行けません。バーンズ屋敷の廊下にある大鏡をくぐっていかなければ訪れることのできない異世界なのです。

バーンズ屋敷を訪れた照美は、開いたドアから屋敷の中に入り、ガランと静まり返った廊下で、不思議な大鏡を発見します。

そして、大鏡をくぐって、裏庭に入っていくことになるのです。

傷を癒す旅

様々なの感情を抱える人のイラスト
裏庭での照美の冒険のテーマは、傷です。

照美は、自分自身の心の傷と向き合い、その傷を真に癒すための旅を裏庭で展開していきます。

「真の癒しは鋭い痛みを伴うものだ」(裏庭)

作中にそんな言葉が出てきますが、その言葉通り、真に傷を癒す旅は生易しいものではありませんでした。

照美は、裏庭での冒険で、悲しみ、苦しみ、痛み……殺人に至る怒りの爆発までも体験します。

それが具体的にどんな冒険だったのかということは、実際に本で読んでいただくのが1番だと思いますが、とにかく、照美は過酷な冒険をくぐりぬけ、真に強くなって、現実世界に戻ってきます。

「裏庭」で過酷な経験をした後、照美は、母との距離を痛烈に感じます。

「―ママと自分ははるかに遠い場所にいるんだ。
 その認識は、照美に、自分と母親はまったく別個の人間なのだ、という事実を肌で理解させた。
突然、裏庭の世界で経験した感情のダイナミックな動きが、再び照美を襲った。雷に打たれたように、照美はそのことを理解した。まったく別個の人間。
 それは、何という寂しさ、けれど同時に何という清々しさでもあったことだろう。
 ―そして、そう、それなら、私は、ママの役に立たなくてもいいんだ! 私は、もう、パパやママの役に立つ必要はないんだ!」
(裏庭)

照美は、純が亡くなってからずっと、もうパパとママの役に立つことができないとがんじがらめになって思いつめていました。

「裏庭」での冒険で、照美は自分という存在を初めて確立したのです。

パパとママの役に立つ自分とか、純のお世話係としての自分ではなく、照美という存在そのもの。それを発見して、強くなったのです。

だからこそ、「もう、パパとママの役に立たなくていいんだ」と、心の底から思うことができ、今までの呪縛から解き放たれることができたのでしょう。

「裏庭」は、照美の内面世界そのものです。照美は、「裏庭」の奥深くまでおりていき、そしてまた戻ってきました。

照美は、自分の内面世界の底の底まで見てきたのです。

ヨギーも瞑想によって、自分の内面世界に深く深くおりていきます。

人の内面世界は何層にもなっており、意識世界の下には、無意識の世界があり、さらにその下には、宇宙が広がっているとヨガでは考えます。

内面世界の1番奥底に広がる宇宙は、自分1人だけのものではありません。他の全ての人とつながっているものです。

そして、全ての人と共通してつながっている宇宙、それがプルシャなのです。

「裏庭」は、まさしくプルシャそのものではないでしょうか?

そのことは、バーンズ屋敷の庭で、子ども達がしょっちゅう幻のようなものを見、「おばけ屋敷」と呼ばれていたことに、象徴されているような気がします。

子ども達が庭で目撃した幻とは、裏庭の幻だったのですが、多くの子どもが裏庭を見たということが、裏庭が全ての人に共通して心の中にあるものである……つまり、ヨガでいうプルシャだということを表しているような気が、私はするのです。

作中では、照美の父、徹夫の心の動きや、母、幸江の心理状態もくわしく語られ、なぜ2人が照美に愛情をうまく表すことができなかったのかということが丁寧に語られます。

そして、照美の裏庭での冒険とリンクして、父と母もそれぞれ、作中の中で変わっていきます。

照美を中心に、父と母がどのように変わってゆき、家族はどのように再びつながりを取り戻していったのか?

家族の絆が深まるラストにも注目して、ぜひ「裏庭」の本を手に取ってみて下さい!

参考資料

  1. 『裏庭』(平成13年:梨木香歩著/新潮文庫)