ようこそ、おまけの時間に~茨と格闘する若きヨギー達~

こんにちは、丘紫真璃です。

今回は、岡田淳先生の「ようこそ、おまけの時間に」を取り上げてみたいと思います。

小学校の図工の先生をなさっていた岡田先生の作品は、学校を舞台にしたものが多く、本のページから現実世界に飛び出してきそうなほどリアルな子ども達が、イキイキと躍動します。

「ようこそ、おまけの時間に」も、学校を舞台に、子ども達がイキイキと活躍する物語であり、30年ほど前に書かれた物語なのに、全く古い影はなく、今の子供達も十分楽しんで、ドキドキワクワク読める作品です。

長年愛される名作というものは、古さを感じさせないのが特徴だと思いますが「ようこそ、おまけの時間に」こそ、まさしく、そうした名作の1つとしてランクインする作品でしょう。

そんな「ようこそ、おまけの時間に」とヨガに、どんな関係があるのでしょう?

早速、おまけの時間をのぞきにいってみることにしましょう!

独特なリアルファンタジー「ようこそ、おまけの時間に」

作者の岡田淳先生は、1947年生まれ。兵庫県で小学校の図工の先生を務めていた間に、多くの作品を生み出しました。

「放課後の時間割」で日本児童文学者協会新人賞、「学校ウサギをつかまえろ」で同協会賞、「雨やどりはすべり台の下で」でサンケイ自動出版文化賞、「扉のむこうの物語」で赤い鳥文学賞、「こそあどの森」シリーズで野間児童文芸賞……と、とにかく数多くの賞を受賞しています。

現実ではありえないような不思議な出来事を、目と鼻の先で実際に起こっているんじゃないかとリアルに錯覚させてしまうのが岡田先生の作品の大きな特徴で、「ようこそ、おまけの時間に」も、巨大な茨に取り巻かれた学校を、イキイキと描きます。

子どもはもちろん、大人も1度読みだしたら、どんどんつりこまれてしまうこと受け合いの名作です。

茨に取り囲まれた不思議な夢の世界


主人公は6年1組の松本賢。主人公といっても、クラスの中で特別目立っている子というわけではありません。

それどころか、目立つということがなく、良い事も悪い事も自分から進んでやるということがないので、取り立ててほめられることも叱られることもなく、時々ぼんやりしているけれど、注意を受けるほどではない……。

主人公としては、どうも冴えない男の子です。

そんな賢は最近、4時間目の授業中に”変わった夢”…のようなものを見ていました。

12時になると近くの工場のサイレンが鳴るのですが、サイレンの音が鳴った瞬間、先生の言葉が急にふっつりと途切れ、賢は気がつくとシンと静まり返ったふしぎな世界にいるのです。

そこは6年1組の賢たちの教室でした。

サイレンが鳴った瞬間そのままの4時間目の授業中の教室です。それでいながら、いつもの教室の様子とは全く違っていました。

するどいトゲの生えた巨大な茨が教室中にはびこっていて、クラスメイト全員がその茨のつるに取り巻かれ、身動き1つせず目をつぶって眠っているのです。

賢自身も、茨のつるに取り巻かれていました。

顔のまわりも、頬杖をついた左手も、鉛筆を持った右手も、トゲの生えた茨のつるに取り巻かれ身動き1つできません。教科書にも、ノートにも、茨のつるは取り巻いていたのです。

賢が驚いている間に、遠くでサイレンの音が鳴り、気がついたら現実世界の教室に戻っていました。

そして何事もなかったかのように、4時間目の授業が続きました。

しかも、これは1回だけではありません。毎日続いたのです。

12時のサイレンが鳴るたびに、賢は茨だらけの教室にいる夢を見るのです。

けれど、夢にしてはおかしなところがありました。トゲに刺されたら痛いのです。

「痛みを感じる夢なんてあっただろうか?」と、賢は疑問に思います。

「まちがいなくこれは夢のはずだった。だがふつうの夢ではなく、その中で、めざめているときとおなじようにものを考えたり、いたみを感じたり、行動したり……といっても、目玉をうごかすくらいのことだが……できる、とくべつな夢なのだ。そして、やがてサイレンがきこえれば、いっしゅんのうちに現実の授業にもどるはずだ」
(「ようこそ、おまけの時間に」)

言ってみれば、“おまけの時間”が得られたようなものだと思った賢は、この特別な時間にもっと行動をするために、どうにか茨から脱出しようと考えます。

そこで翌日、賢はサイレンが鳴る直前、鉛筆のかわりにカッターナイフを持ってみました。

すると、サイレンが鳴ったとたん、賢はあの不思議な夢の世界で、カッターナイフを持っていて、カッターナイフで自分のまわりの茨を断ち切ることができたのです。

茨から自由になった賢は、となりの席の田中明子の茨のつるを切ってやりました。

すると、驚くべきことが起こりました。

さらに翌日、賢が12時のサイレンと共に茨の世界に行くと、明子もパッチリ目を覚ましていたのです。

みんな、どこかちょっと違う


茨の夢の世界で目を覚ました明子は、現実の明子とは、どこか様子が違いました。

現実世界の明子は、Tシャツとショートパンツのしっかりした活発な女の子。賢もしょっちゅう、「ぼやぼやするな!」と明子に叱られています。

そんな明子が、夢の中では大人しい女の子になっていました。

「『いまなんていったの? それより、これは、どういうことなの?』
 ほとんど声になっていないほど小さな明子の声を、賢はとても新鮮なひびきできいた。
おずおずと女の子らしくしゃべるこの世界の明子は、現実の明子にくらべるとずっとつきあいやすいように思えた」        
(「ようこそ、おまけの時間に」)

明子だけではありません。賢がつるを切って目覚めていくクラスメイト達は、夢の世界では、みんな、何だか様子が違うのです。

「ムッツリガリ勉」の圭一は、陽気な子に。
大人しい転校生の優子は、勇ましく、元気な子に。

どの子も様子が違うのですが、みんなそれぞれ現実の世界よりもずっと付き合いやすいのです。

現実世界では決して仲良くなかった賢のクラスメイト達ですが、夢の世界では、ごく自然に気軽に、何でも思ったことをしゃべりあうことができました。

すると、優子が、こう提案します。

「ずいぶん気味がわるいじゃないの。こんな茨の中で知った顔がねむっているなんて……。おこしてやろうよ、みんな。茨さえ切ればめざめるんだろう、つぎの日に」
(「ようこそ、おまけの時間に」)

そうして、みんなは協力し合いながら、茨を切って、次々に学校中のみんなを目覚めさせていくことになります。

不思議なことに、おまけの時間は日に日に長くなっていきました。

長くなっていくおまけの時間の中で、力を合わせて茨と格闘するうちに、賢のクラスの仲間達は、どんどん打ち解けて仲良くなります。

すると、おまけの時間以外の現実の学校生活の中でも、クラスの雰囲気が変わっていきます。

現実の学校生活の中でも、おまけの時間と同じように、みんなは打ちとけあい、仲良く過ごせるようになってくるのです。

縛りを切る


おまけの時間の中で、賢は自分を取り巻いている茨を切り、クラスメイト達に巻きつく茨も次々に切っていきました。

茨を切るということは、どういうことなのでしょう。それはおそらく、縛りを切るということなんじゃないかなと、私はそんな風に思うのです。

考えてみれば、私達は様々なものに縛られています。

目立つのは恥ずかしいとか、悪口を言われるのは怖いとか、冷やかされるのは嫌だとか。

「こうしなければならない。ああふるまうべきだ。」

子ども達だって、様々なものにがんじがらめに縛りつけられているのです。

もしかすると、「ようこそ、おまけの時間に」が書かれた1989年代よりも、今のコロナ禍の子ども達の方がさらにたくさんの縛りで縛られているかもしれません。

賢にしても、ほかのクラスメイトの子達にしても、現実世界ではいろいろな縛りで縛られていて、なかなか自分らしく生きていくことができずにいます。

縛りがするどいトゲのある茨となって、みんなに巻きついているわけです。

みんなは眠っています。自分が縛られているということにさえ、気がついていないのです。

賢たちは、そんな茨と立ち向かい、次々にクラスメイトに巻きつく茨を断ち切っていきます。

そうして、縛りを解き離れた賢たちは、現実世界では知ることのなかった”本当の自分”を発見し、また、”クラスメイト達の本当の姿”を発見します。

縛りを切るということ。それは、ヨガそのものではないでしょうか?

「こうであるはずだ、こうでなければならない。」そんな常識や、とらわれから自由になる。自由に新しい目で世界を見る。それがヨガだとすれば、賢たちがしていることはまさしく、ヨガそのものだといえるでしょう。

賢たちの茨の世界には、先生がいません。大人は1人もいないのです。

賢のクラスの中には、初め、自分達で勝手に木を切ったりしてもいいのかという不安な声をあげる子もいましたが、そんな子に明子が言います。

「ここにはわたしたちしかいないじゃない。なにをしていいかわるいかは、わたしたちできめなくちゃならないでしょう?」        
(「ようこそ、おまけの時間に」)

賢たちは、先生なしで、自分達で話し合い、力強く行動をし、力を合わせて学校を取り巻く巨大な茨と立ち向かっていきます。

何をするのも自分から進んですることはなかったという賢が、みんなのリーダーシップを取り、仲間と力を合わせて、力強く茨と格闘する姿を見ていると、これはまさしく、賢たち1人1人が、ヨギーに成長していく話なんだ!と、私は、そんな気がしてなりません。

「ようこそ、おまけの時間に」のすばらしさは、茨に取り囲まれた世界のリアル感にあると思います。

巨大な緑の茨のトゲ、のこぎりで茨を切った時に飛ぶ緑の汁や、青い匂いがページから飛び出してくるようで、巨大な茨が印象的に脳内の中に残ります。

だからこそ、茨と格闘する賢たちに感情移入ができ、賢たちとともに私達もまた、茨と格闘することができるのです。

この物語を読み終わった後、どこかさわやかな気持ちがするのは、私達を縛り付けている縛りから、少しだけ解放されるからなのかもしれません。

参考資料

  1. 『ようこそ、おまけの時間に』(1989年:岡田淳著/偕成社文庫)