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慈悲喜捨の瞑想~4つの感情を育てて心の穏やかさを手に入れよう~

古典的なヨガは心の中の苦しみを手放すために生まれました。

現代を生きる私たちの大きな苦悩は何かを考えてみると、多くの人が人間関係で日常的なストレスを抱えています。もちろん金銭的な不安や病気なども大きな苦しみです。

しかし、沢山のお金を持っていなくても、人は愛を感じることができれば幸せを感じることができます。

今回はヨガ的な愛の育て方、慈悲喜捨の考え方についてご説明します。

慈悲喜捨とは?他者に対するヨガ的な接し方

慈悲喜捨の考え方は仏教でとても有名なので、日本人にとっても馴染み深いです。また最近は慈悲の瞑想もポピュラーになってきました。

私たちは他者が自分の思い通りにならなかったり、自分が他人より劣っていると感じたりすると悲しみを感じやすいです。

しかし、慈悲喜捨の考え方を身に着けることができると、他人に自分の心をかき乱されにくくなり、心を穏やかにすることができます。

他人の幸せ、不幸、善行、悪行に対して抱く、慈悲喜捨は心の寂静を生む。(『ヨガ・スートラ』1章33節)

:他人の幸せを一緒に喜ぶ友情
:他人の不幸を一緒に悲しむ同情
:他人の善行を喜ぶ
:他人の悪行に対する無関心

この4つの感情は心の静けさをもたらしてくれます。

これらは、とても純粋な愛の感情で、自己中心的なエゴとは対極にあります。自分と他者を別物と考えて、自分に利益が集まるようにと考えると人間関係の衝突が起こります。自分も他者も平等に愛することができれば、苦悩は生まれにくくなります。

人間関係の苦しみの原因を知る

両手で顔を覆う女性
そもそも、どうして人間関係の苦しみが生まれるのか考えてみましょう。愛の神様クリシュナ神は『バガヴァッド・ギーター』の中で苦しみの原因を説いています。

人が感覚の対象を思う時、それらに対する執着が彼に生じる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる。(バガヴァッド・ギーター2章62節)

怒りから迷想が生じ、迷走から記憶の混乱が生じる。記憶の混乱から知性の損失が生じ、知性の損失から人は破滅する。(バガヴァッド・ギーター2章63節)

この教えは人間関係に当てはめて考えてみるととても分かりやすいです。

例)

  • 人が対象を思う: 自分の子供が可愛い(とても幸せな愛情)
  • 執着が生まれる: 私の子供。自分の所有物のように束縛する
  • 欲望が生まれる: 私の子供だから他の子より優秀でいて欲しい。私を愛して欲しい。
  • 怒りが生じる: 子供が私の願った通りにいかない。子供のために言ってあげているのに、私の言うことを聞かない。イライラ。
  • 迷想が生じる: 子供が言うことを聞かないのは、お義母さんが甘やかすからだ。(想像が暴走)
  • 記憶の混乱: いつもあなたはこうだよね!とあることないこと過去をネガティブに考える。
  • 知性の喪失: 知性が失われて善悪の判断もできなくなる。「あなたなんて生まなければよかった」など、言ってはいけないことを言ってしまう。
  • 人は破滅する: 母親に愛されていないと思って子供は深く傷つき、親子関係が悪くなる。

親子関係やパートナーシップのように、愛情が強い人間関係ほど深い苦悩の原因となってしまうことが多々あります。それはどうしてでしょうか?

自分が愛しいと思う人には、自分の思うように行動してほしいという欲望が強くなってしまうからです。それは、「私の好み」というエゴの押し付けです。

自分自身との関係も同じように考える

人間関係の苦しみは、親子やパートナーシップのような深い関係ほど大きな苦悩を生み出しやすいです。さらに私たちにとって最も身近な人を考えると、自分自身との関係性です。自分との関係もバガヴァッド・ギーターの教えにそのまま当てはめることができます。

自分に対しての思いが強いからこそ、自分が望むような姿になって、望むような人生を送りたいと欲望を抱きます。

結果的に「私はこうあるべき」「こうなれないといけない」という沢山のルールを自分に課してしまい、自ら自分を苦しめてしまいます。

慈悲喜捨の瞑想で心の穏やかさを手に入れる

宇宙を連想させる人のシルエットが隣の人を抱くように両手で包み込む様子
このような人間関係の苦しみを生み出さないためには、慈悲喜捨の心を育てることが有効です。

慈悲喜捨は他人に何かを求めない、エゴから解放された慈愛の心です。条件なしに他者を愛することができれば、他者の行動によって心が乱されることがなくなり、穏やかな幸せを感じることができるようになります。

『ヨガ・スートラ』の中でも、心が不安定な時には慈悲喜捨の感情に対して想念することを勧めています。

それぞれを詳しく見てみましょう。

慈:他人の幸せを一緒に喜ぶ友情

他者が得た幸福を一緒に喜んであげられる心を「慈」と呼びます。

自分の日常を見直してみると、案外できていないことが多いのではないでしょうか?

例えば、友達の妊娠報告。とてもおめでたいことなのに、私は結婚ができていないので、ますます焦りを感じてしまってなんだか純粋に喜んであげられない。そんなことはないでしょうか?

「私は満たされていない。他の人は与えられている。」と常に自分と他者を見比べて評価する癖がついていると、他者の幸福を一緒に喜ぶことができません。

自分と同じように他者のことを愛することで慈の感情は自然と生まれます。

悲:他人の不幸を一緒に悲しむ同情

他人の不幸は蜜の味…とまでは言わなくても、自分にとって敵対している相手に不運が訪れると、それを喜んでしまう場面があります。

例えば仕事のミスで落ち込んでいた時に、同僚が自分よりも大きいミスで上司に注意されていたら、これで自分のミスが目立たなくなるとホッとしてしまうかもしれません。

また、自分が人に傷つけられたと考えるときに、相手の不幸を願ってしまうことがあるかもしれませんね。パートナーの浮気が分かって別れたとしたら、私はこんなに傷つけられたのだから私を傷つけた2人には幸せになって欲しくないと思ってしまうかもしれません。

自分に対して敵対している相手であっても、相手の苦しみは悲しいと思う。

難しいことですが、相手の立場も自分のことのように考えられる広い視野をもつと、「悲」の心は自然と生まれてきます。

喜:他人の善行を喜ぶ

他者の善行も喜べないことは多々あります。

例えば父親が、自分の娘に対して結婚して普通の幸せを手に入れて欲しいと願っていたとします。しかし娘は仕事に興味があり、海外に出て自分のビジネスを始めてしまいます。

本人はとても努力をして頑張っているのに、父親は娘が自分の願いと違う人生を送ることが気に入らなかったり、自分は家族のために楽しくない仕事をしてきたのに、娘は好きなことで成功していると複雑な妬みも感じてしまうこともあります。娘は努力している自分を親に認めてもらいたいのに、分かってくれないと悲しくなりますよね。

自分が願った通りではなくても、他者の努力を認めてあげることは、多様性を認めてあげることでもあります。人は誰でも自分の考えが正しいと思いたいです。

しかし、自分と違う考え方もお互いに認めてあげることは大切です。

捨:他人の悪行に対する無関心

他者が悪いことをしていると、とても嫌な気持になります。しかし、他者の悪行に対しての怒りを抱き続けることも不毛なことです。

例えば、芸能人のゴシップが大好きな人もいます。会ったこともない人が不倫をしても、私の人生には全く影響がないはずです。

しかし、自分に自信がない人は、他人の悪事を責めることによって、「自分の方が正しい」と優越感を抱くことに快感を抱きます。

もしも身近な人が間違ったことをしていたら、その人が苦しみを生まないように注意してあげることも必要かもしれません。

しかし、他人の噂話を楽しんだり、ネットで批判したりするような行為は避けましょう

ヨガで慈悲喜捨の心を育てる

最近は、ガイドに合わせて行う慈悲の瞑想もポピュラーです。言葉で誘導して、他者に対する慈悲喜捨の心を瞑想中に想念すると、不思議と心がとても穏やかに感じることができるでしょう。

4つの中で得意な1つを意識的に育てていくことで、他の3つも自然と身に付きます。

例えば、普段から友達の幸運を一緒に喜んであげられる人は、自分にとって苦手な相手の幸せも喜んであげられるように意識してみます。

そうやって慈悲喜捨の心を育てると、不思議と多くの苦しみを感じにくく、幸せを感じられるようになります。

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