他人のお金や時間や情報や心を奪う盗人

アステイヤ(不盗)で受け取る本当の富 -日常に取り入れるヨガの教え-

ヨガ実践者にとって、日常で最も取り入れやすい教えは八支則のヤマとニヤマです。ヤマの中にアステイヤ(不盗)という教えがあります。

私たちは日常の中で無意識に“他者から奪う行為“をしてしまうことがあります。どうしたらできるだけ奪わずに生きられるのでしょうか?ヨガのアステイヤで気を付けるべきことと、その効果について考えましょう。

ヨガのアステイヤ(不盗)とは?

アステイヤは『ヨガ・スートラ』という教典の八支則の1つ目、ヤマの実践方法の1つです。ヤマは「ヨガを志す人が守るべき戒律」であり、日常生活の中から自身の心を磨きます。

ヤマには5つの戒律が含まれています。

  • アヒムサー(非暴力): 肉体的に、言語的に、思考のレベルでも暴力を振るわないこと。
  • サティヤ(正直):嘘をつかなこと。
  • アスティヤ(不盗):他人のものを盗まないこと。
  • ブラフマチャリヤ(禁欲):性欲などでエネルギーの無駄遣いをしないこと。
  • アパリグラハ(不貪):所有しないこと。

アステイヤは3つ目にあたり、「盗まないこと」という意味です。

道徳的にとても当たり前の教えに聞こえますが、深く考えてみると、私たちは自分で意識していないうちに他者から何かを奪ってしまっていることがあります。

10分で理解が深まるヨガ哲学〜基本の八支則を超訳〜

盗むものは金品や物質だけじゃない

日常のあらゆる場面で自分が他者から奪う行為をしていないか見直してみましょう。案外、社会生活の中では奪ったり奪われることが多いと気が付きます。

「奪う」「盗む」と聞いて1番簡単に思いつくのは、お金や物を盗むことではないでしょうか。そして、「自分はそんなことはしていない」と簡単に安心してしまうかもしれません。

しかし、目に見えるわかりやすい盗みだけではなく、目に見えない盗みもあります。

お金の価値について見直してみましょう。多くの人にとってお金とは、「労働をして時間や労力」、「知識を提供した対価として与えられたもの」です。

だとすれば、相手の時間を無駄に浪費させれば、それはお金を奪ったことと本質的に違いがありません。

盗むことは得ではない

ヨガの哲学では、カルマ(業)という考え方があります。

カルマの法則をとてもシンプルに説くと、「良いことをすればいい結果が帰ってきて、悪い行いは悪い結果を招く」ということです。

物事の原因と結果は常にバランスを保っています。他者に与える行為を行えば、自身から出て行った分のエネルギーが必ず戻ってきます。逆に他者から不当に奪ってしまえば、その分を必ず別の形で失ってしまいます。

カルマ(業)の本質を考えることで、ヨガが深まる

様々な種類のアステイヤ

それでは、実際に日常生活で私たちが気を付けるべきアステイヤがどのようなものなのか、具体的に考えてみましょう。

お金・物品を奪うこと

金品や物質を盗まないことは最も分かりやすいアステイヤの実践です。

物質を盗むことは、単純に経済的な富を奪うことだと考えられがちですが、盗まれた側の立場に立つとそんなに単純なものではありません。

例えばお金を盗まれたら?

盗まれた人にとってお金とは、単なる銀行の残高の数字ではありません。そのお金を手に入れるために、好きではない仕事を毎日続けて、そのために本当はやりたいことを犠牲にしていたかもしれません。

職場に苦手な人がいれば、人間関係のストレスを抱えて精神をすり減らすこともあるでしょう。つまり、お金を奪うということは、それら全てを奪ってしまうということです。

物質でも同じです。

例えばスマートフォンを盗まれたら?

スマートフォンの中に入っていたデータのバックアップができていなければ、大切な人たちの連絡先や、大切な思い出の写真も失われてしまいます。奪った人は、スマートフォンを売った時の金額しか考えていないかもしれませんが、奪われた人にとっては何倍もの損失です。

盗む行為は、盗んだ人の得る利益と、盗まれた側の損失が必ず同じでない場合が多々あります。

時間を奪うこと

サービス残業で時間を奪われるサラリーマン
無意識に奪いがちなのが他者の時間です。

残念ながら、一般企業の中にはサービス残業が当たり前になってしまっている職場もあるかもしれません。労働者は時間と労力を対価にして賃金を得ています。契約時間を大きく超過して無賃で働かされるのは、立派な搾取ですね。

友人との待ち合わせなどに、つい遅刻しがちな人もいるかもしれません。

時間は目に見えないのであまり罪悪感を抱きにくいかもしれませんが、全ての人にとって時間は有限でとても大切なものです。

飲み会などで、相手が帰りたがっているのに、「もう一杯だけ付き合って」と強要するのも時間を奪う行為ですよね。もちろん、相手も「楽しいからもっと一緒にいたい」と同じ気持ちなら問題ありません。気を使いすぎてしまうと心が開きにくい場合もあるので、難しいですね。

エネルギーを奪うこと

時間と同様に目に見えませんが、エネルギーを奪うこともアステイヤに反します。

例えば、友達の愚痴や悪口を長々と聞かされたらすごく疲れたという経験は誰にでもあると思います。話している側は愚痴を聞いてもらってスッキリするので、奪った感覚はないかもしれません。しかし、聞きたくない話を聞かされることは、人によってはものすごくエネルギーを奪われます。

自分のエネルギーを奪っていないかも観察してみましょう。

ジャンクフードを食べた後にすごく身体が重たくなって、眠たくなったという経験がある人もいると思います。消化しにくい、もしくは急激に血糖値をあげるような食事をすることは、本来自分が持っていたエネルギーを自身の欲望によって奪ってしまうことになります。

機会(チャンス)を奪うこと

他人の考えを盗もうとする盗人
チャンスを奪うことも、もしかしたらアステイヤに反するかもしれません。

例えば自分の子供や、職場の部下が何かを挑戦したい時に、「こんなの上手くいくはずがない」「この子の将来のために」と反対すれば、それは相手のチャンスを奪うことになってしまうかもしれません。

だからと言って、子供がやりたいことを何でも認めてあげるのは現実的に不可能でしょう。逆に、子供に機会を与えるために自分の時間やお金をすべて捧げたら、それは自分を犠牲にしたことで自分に対するアステイヤに反してしまうかもしれませんね。

100%奪わないことはできないけど…

そもそも人間は、自身の生命活動を行っているだけで必ず奪う行為をしています。

自然界の大切な水や空気を汚し、木々を伐採して町を作ります。

人間は食事をしないと死んでしまいますが、私たちが口にするものは全て植物や動物といった命です。だからこそ、自身が食べるものにも意識を向けなくてはいけません。

インド流、アヒムサ(非暴力)で丁寧な食事の摂り方

人間として生きている間は、他者や自然界から必要なものを受け取ることは自然なことです。

そのうえで、最も大切なことはバランスです。

誰かから頂いたら、その分他の形で誰かに与えているか。受け取る時にも、必要以上に奪いすぎていないか。

バランスを考えて行動することが最も大切です。

アステイヤを守ると自然と富を受け取ることができる

『ヨガ・スートラ』によると、アステイヤを実践することで逆に富が自然に舞い込んでくると書かれています。

アステイヤの戒行に徹したならば、求めずして、あらゆる地方の珠玉が彼のところへ集まる。(ヨガ・スートラ2章37節)

これにはいくつかの説明があります。

恋愛などでも、追われたら逃げたくなることは多々ありますよね。それと同じように、財も強欲に追い求めることで余計に逃げ、無欲で心地いい場所に集まると考えられます。

アステイヤを実践している人は「自分のものにしよう」「独り占めしよう」という考えがなく、自然にエネルギーや富が流れるからです。

もしくは、強欲さを手放して心の清らかさを磨いたことによって、それまで気が付くことができなかった富やチャンスに気が付くことができると考えられます。

欲が強いと、ダイレクトに欲しいものを手に入れる方法を考えます。そのため、目の前にある本当の富に気が付くことができなくなってしまいます。

身の回りで本当に幸せそうな人がいたら、その人が何を持っているのかを考えてみましょう。

例えば、幸せな家族がいる人を羨ましいと思ったら? 

幸せの要因は、たまたま運良く素晴らしいパートナーに出会えたからではありません。その人が、自身のパートナーの良さに気が付くことができているから幸せを感じることができます。

それができないと、たとえ富豪と結婚したとしても、自分のパートナーの欠点ばかりを見て「もっとこうして欲しい」「ここが不満」だと、さらなる富を追い続けてしまいますね。

アステイヤを日常に取り入れる

人は必ず「他者から奪って生きる存在」なので、完璧なアステイヤは不可能です。しかし、日ごろから出来ることを心がけることで大きな変化を感じることができます。

例えば人からされて「自分の時間を奪われたな」と感じることがあれば、同じことを他者にしないように気を付けましょう。もしくは、自分のストレスを抱えきれなくて相談にのってもらったら、必ず感謝のお返しをするようにしましょう。

奪う量と与える量のバランスが取れていれば、とても心地いい関係が築けます。

同様に、私たちは自然界からも奪いすぎていないでしょうか。必要以上に奪わないために、何を心がけたらいいかを考えることも忘れないようにしたいですね。