ヨガの効果を上げる、サットヴァ(純粋)な心の磨きかた

ヨガの効果を上げる、サットヴァ(純粋)な心の磨きかた

同じヨガの練習をしていても、ヨガへの向き合い方で効果がガラリと変わってしまいます。ヨガの効果を得るためにはアーサナのアライメントや練習の頻度もとても大切ですが、それ以上にヨガに向き合う姿勢が大切です。

クリシュナ神は、『バガヴァッド・ギーター』の中で3種類の苦行について説きました。ヨガの練習をするときも、苦行と同様、純粋な心で向き合うことが大切と説いています。

ギーターで説かれる3つの、ヨガの練習法

『バガヴァッド・ギーター』17章では、3種類のタパス(苦行)について説かれています。

タパス(苦行)とは、努力によって自分自身を高めるための実践です。つまり、私たちが行っているヨガの練習もタパスとして行うことができます。

タパスの実践には、正しい方法と間違った方法があると考えられています。まずは、クリシュナ神が説いた3種類のタパスについてみていきましょう。

サットヴァ性(純粋)な練習

最初に説かれるのはサットヴァ性のタパスです。

人々が果報を期待せず、専心して、最高の信仰をもって、3種の苦行(身体的・言語的・心的)を行った場合、それを純質的な苦行と称する。(『バガヴァッド・ギーター』17章17節)

サットヴァ性のヨガの練習とは、どんな練習を行うかが重要なわけではありません。ある人はアーサナの練習をして、ある人はヨガ哲学を学び、ある人は瞑想をして、ある人はカルマ・ヨガで奉仕活動をするでしょう。

どのようなヨガの実践を行っていても、結果に執着せず、ひたむきに練習に向き合うことが大切です。そして、自分のヨガに対する信じる力もとても大切。

果報を期待しないということは、結果(未来)ではなく、今この瞬間に集中することです。見返りを求めた練習ではなく、練習そのものを楽しむことができると、自然とマインドフルな状態となり、結果的に効果も高まります。

ラジャス性(激質)な練習

2つ目はラジャス性のタパスです。

接待、尊敬、崇拝を得るために、偽善により行われる苦行は、動揺し不確実であり、この世で、激質的な苦行と呼ばれる。(『バガヴァッド・ギーター』17章18節)

ラジャス性とは、激しさを表す性質です。人の欲望は行動(動き)の原動力となります。つまり、欲望にとらわれたヨガの練習はラジャス性の練習と呼ぶことができます。

例えば尊敬や崇拝を求めてのヨガの練習とは、「ヨガの先生になるための練習」も当てはまります。ヨガを教えるためには、まずは自分自身のヨガを深めて、その効果を実感して、ヨガが素晴らしいものだと体験することで初めて体験を伴った指導をすることができます。

しかし、最初からヨガの先生になることが目的だと、先生らしく見える難しいポーズをすることに執着したり、アライメントを知識として覚えることに必死になってしまいます。結果的に、自分自身の感覚に意識が充分に向いていないので、ヨガとしての効果を得ることが困難になってしまいます。

それ以外にも、「痩せるため」「柔軟性を高くするため」「かっこよく見えるポーズをできるようになるため」「便秘を治すため」と、特定の目的に執着して練習をしていると、結果が成功したか失敗したかでヨガの良し悪しをジャッジしてしまいます。

もちろん、ヨガを始めるキッカケとしてはいいですが、すでにヨガを始めているのなら、練習そのものを楽しめているか?と、意識を少しづつ変えていけるといいです。

ヨガは、行っているその瞬間を楽しむことで、高い効果を得ることができます。未来への欲望を抱いたラジャス性の練習にならないように気を付けましょう。

ラジャス性(激質)な練習
練習そのものを楽しめているでしょうか?

タマス性(暗質)な練習

最後はタマス性のタパスです。

迷える見解に固執し、自己を苦しめたり他者を滅ぼすために行われる苦行は、暗質的な苦行と呼ばれる。(『バガヴァッド・ギーター』17章19節)

ヨガ哲学で、もっとも苦悩を生み出すと考えられる煩悩(クレーシャ)は「無知」であると考えられます。間違った見解で行われるヨガとはどのようなものでしょうか?
例えば、自己を苦しめるようなヨガの練習。

アーサナの完成度を重視するために、身体を酷使するような練習はしていませんか?ヨガにおいて、自分自身を痛めつけるようなタパスは間違っていると考えられます。無理やり後屈を深めようとした結果怪我をしたり、過度の断食で体を痛めつけるのも間違った練習です。

また、他人を批判するようなヨガも間違っています。ヨガにおいて、自分自身のヨガや先生を信じることはとても大切ですが、それは他のヨガを行っている人を蔑むものではありません。自分と違う考えでヨガを行っている人がいても、不要にジャッジすることは避けましょう。自分自身のヨガに専念することが最も大切です。

ヨガ的生き方の第一歩〜日常に活かす3つのグナ〜

身体的・言語的・心的なタパス

17章では、サットヴァ・ラジャス・タマスという3種類のタパスの分類とは別に、身体的・言語的・心的という分類を行っています。

ヨガを行う人は、これら3つのタパスをすべてサットヴァ性の高いものにするように目指します。

身体的なヨガの練習

まずは、自身の身体を使って行うヨガです。アーサナ、プラーナヤマ、カルマ・ヨガなど、実際に行動を起こすヨガはとても分かりやすいですね。アヒムサ(非暴力)などを含むヤマの実践や、シャウチャ(清浄)を含むニヤマの実践も含みます。

もしくは、日常生活のあらゆる行動が身体的なヨガに当てはまります。自分自身の食べるもの、着るもの、仕事、人生の全てがヨガとして意識してみましょう。

言語的なヨガ

言語的なヨガ
自分の発する言葉に意識を向ける

真実で誠実、好ましい言葉を使うことは言語的なヨガです。自分の発する言葉に意識を向けて、ネガティブな言葉を避けること、誠実な言葉を選ぶようにすることはとても大切です。ヨガの練習をどれだけ一生懸命していても、他のヨガの先生の批判をしたり、噂話ばかりしていては、逆効果になってしまいます。

心的なヨガ

ヨガで最も大切なことは、心の状態を整えることです。どれだけアーサナの練習をしていても、心の状態がラジャス性やタマス性に偏っていたら、ヨガの効果を得難いことはすでに述べました。

自分自身の欲望を抑制し、穏やかな心を保つこと。不純な思考に囚われないことが心のヨガです。

心のヨガは難しいですが、アーサナの練習など、身体的なヨガを行っているときの自分の心に意識を向けていくことで、少しづつ自分の心を制御できるようになってきます。

心の制御とは、快楽や悲しみなどの感情を押し殺すことではありません。どのような感情がわいてきても受け入れて、感情に支配されない客観性を築くことで実現します。

自分のヨガのサットヴァ性を上げよう

ヨガは形だけの実践では正しい効果を得ることはできません。ヨガの練習をしている時に、どれだけ自分の心に向き合えているかによって、自分自身の人生をより豊かにするヨガの効果を得ることができます。

心に向き合うことは簡単ではありません。最初はアーサナなどの身体的なヨガから入ることが一番実践しやすくお勧めです。どのような実践をしていても、その瞬間の感覚や感情、心の状態に意識を向けるようにしましょう。そうすることで、自然と「今」に意識の向いたサットヴァ性のヨガを行えるようになります。

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