命をいただき生かしていく。「食事」という瞑想

「食事」という瞑想

普段、瞑想していますか? と聞くと、毎日していますという人は、増えているとはいえ、まだアーサナをしている人数に比べれば一部だろう。しかし、ヨガというものは、本来すべてが瞑想だ。アーサナや座ってする瞑想、プラーナーヤーマ、ヤマやニヤマなどの生き方など、すべて。

八支足には入っていないが、日常的に行いやすい瞑想と言えば「食事」だろう。最近ではマインドフルな食べ方といった文章なども見かけるが(実際、『Yogini』でも紹介したことがある)、食事はそもそも瞑想だ。それは命の尊さを知る時間だから。

食事は健全な体を保つためにある。それはイコール、心を健全に保つためでもある。そして、それは他の命で保たれている。だから、日本では古来「いただきます」という言葉を使ってきた。「命をいただきます」ということなのだ。

命を生かす循環

命のエネルギーをいただき、自分の命に生かす。この「生かす」ことができなければ、命を捧げてくれたありとあらゆるもの(循環を考えると果てしない)の尊厳を無視することになってしまう。

龍村修先生は語る。
「ヨガをするということは、他の命を自分の命に結んでいくこと。だから、ヨガの食事はそういう心で食べないといけないんだよ。あなたの命をいただきます、という意味だから。言葉の中にそういう感謝の心が残っているのは、有り難いことだと思います。食べるとは、植物であれ動物であれ、その命を自分の命に移し替えるわけ。だから、基本的にはムダな食べ方をできるだけ少なくする、そういう姿勢が仏教もヨガも同じ、そして基本なのです」

日本古来の精神

神社や寺ではそれぞれ独自の「いただきます」に当たる言葉がある。自分の心身を養うことで、他に奉仕することを誓い、食事をいただくという精神が、日本には古くから根づいているのだ。

「そういうことを思い浮かべないと、つい食べすぎたりする。また食べ物に対して感謝を失い、量の話や栄養があるとかないとか、あるいはまずいなど、そういうレベルで食べるのをやめてしまう…それを戒めているんだよ」

「人間の絵を描く」ということ

龍村先生と進行のある帯津良一先生(医学博士。日本ホリスティック医学協会名誉会長)は、医大の予備校生に「人間の絵を描いてみなさい」という問題を出す

「人の形を描くと、それは不正解なんです」

では何を描けばいいのだろう? 少し考えてみてほしい。

人とは何だ?

「父母と子ども、太陽、犬、樹木、草、雲など、さまざまなものがある絵が正解なんです」

すべての命が互いに影響し合いながら、相互関係の中で存在していることに気づくという観点を持つことが必要なのだと語る。つまり、命は命のリレーで生まれてきて、またリレーを続けていくということだ。

人間はもともと自分を生かしている力に対して尊敬心を持つ生き物だ。それを仏性(真理を理解、体得し、実現する能力)と呼ぶ。

「水をH2Oと言うのは一つの理知力ではあっても、仏性ではない。それは原水爆を作り出す能力でもあって、諸刃の剣だからね。私達を生かしてくれる水の中に“神性”を見て大切にし、このおかげで生かさせていただいているのだなと、尊敬する心を持って生きましょうというのが人間。自然の中に神性を見いだせる生き方をする、仏性を啓発する生き方をする、食事もその一つだよ」

何のために食事をするのか? 食事にはどんな意味があるのか? そんなことを考える瞑想の時間を持つのもいいかもしれない。

 

出典:『ヨガと食事』
文=Yogini編集