小鳥と猫と『星の王子さま』が教えてくれた「見えないもの」の見方

手の中の小鳥、生きている?

「手の中にいる小鳥、生きているか?死んでいるか?」と聞くのは、『京鹿子娘道成寺』(きょうかのこむすめどうじょうじ)という歌舞伎舞踊の冒頭に出てくるセリフ。あれ?と思った人もいるのではないだろうか?この命題は、量子物理学の中で出てくる有名な「シュレーディンガーの猫」と一緒だ。

シュレーディンガーの猫

エルヴィン・シュレーディンガーとは、1887年オーストリア・ウイーン生まれの物理学者。量子論の創始者の一人として名前を知られている。「シュレーディンガーの猫」とは、彼が行った猫を使った思考実験のこと。「一つの電子は同時に複数の場所に存在し、観測者が観測した時に初めて場所が確定する」という考え方に対して行った。実はシュレーディンガーは同時に複数存在することを否定しようとしたが、結果としては適当な答えが導かれず、量子のあいまいなふるまいが浮き彫りになっただけだった。今日でもあいまいさに関しては解決されていないという(詳しくは検索を)。ただ、ものごとは観察するまでわからない、という考え方は有名になった。

色即是空

『京鹿子娘道成寺』のセリフのもとになっているのは、「色即是空(ものごとのあらゆる現象に実態はない)」という仏教用語だ。舞台でも、「色即是空 空即是色」と続く。この仏教の言葉と同じ発想が、量子論の実験になっていたというわけ。

哲学と科学の狭間

実はシュレーディンガーは東洋哲学に興味を持っていて、特に梵我一如という思想に深く感銘を受けていたのだ(『ニュートン式超図解 最強に面白い!!量子論』監修=和田純夫/発行=ニュートンプレス)。梵我一如とは、ブラフマンとアートマンって結局は同じもの、という考え方だ。もし、シュレーディンガーがこの感覚をもって思考実験にたどり着いたのだったら…?哲学と科学の狭間にある、彼の発想をインタビューしたかった!

で、どっちだろう?手の中の小鳥は今、どうなっているのだろう?

星の王子さま

『星の王子さま』を読んだことがあるだろうか?小さい時にしか読んだことがないのであれば、ぜひまた読んでほしい。もし、まだ読んでいないなら、それはラッキー!今のヨガ的発想で読んだら、言葉の一つひとつに感動するだろう。

この本の中でも有名な言葉が、「肝心なことは、目に見えないんだよ」。心で見ないと見えないのだ、というのがこの本を貫くテーマだ。そして、随所に出てくるのが、視点の話。何をどう観るのか、どう意識するのか、何に気づくのか。それは、教えられるものではなくて、自分の中のスイッチを切り替えるしかないのだが、そのスイッチがあることを教えてくれるのが、この本なのだ。

キツネは語った

この本の中に出てくるキャラクターは、どれも強烈で愛すべきもの達だが、中でもキツネの話すことは魅力的。

同じ時間にくればよかったな。たとえば、あんたが午後四時になってくるとするだろ。そうすると、三時になると、もう、おれ、うれしくなってくる。そして、その時間が近づくにつれて、おれ、もう、うれしくて、うれしくて、たまらなくなっちゃう。四時になると、じっとなんかしていられないな。きっと飛び回っちゃうよ。

もう一度、バラの花のところへ行ってみてごらんよ。今度は、あんたの花が、この世界にたった一つしかない花だってことが、よく分かるから。

素晴らしいことは日常、あちこちにある。それに気づくか気づかないかは、まったく自分次第ということをキツネは教えてくれるのだ。

目に見えているのは4%

世の中に目に見えているものは、全体の4%ほどだという。それはまさに氷山の一角と同じ。意識と潜在意識との関係と一緒。あとの96%程度は見えないもので構成されているのだ。空気も見えないし、意識も見えないし、水の色だって反射しなければ見えない。表現方法があるものが見えているだけだ。

ブラフマンもそうだ。自分の存在を知るために、いろいろなものを作った。だから、見えるもの、見えないものも含め、ここに存在する100%がブラフマンを表現しているということになる。みんながみんなブラフマンの一部というのはそういうことだ。

自分の内側、自分以外、自分の外側

ヨガをする私達は、たくさんの目が自分に備わっていることを知っている。顔についている目、心の目、第三の目、自分を客観視する目、ブラフマンとしての目。自分以外のものを、自分の内側を、自分を外側からも見ることができる。

どの目をどこでどんなタイミングで使うかは、自分次第。自分が何を見ているのか、あるいは見せられているのか…。心の目に映っている確かなものを確認するようにしたい。

 

Text:Yogini編集部