『ナルニア国物語』〜大冒険で芯からつかむ真実の強さと優しさ〜

『ナルニア国物語』〜大冒険で芯からつかむ真実の強さと優しさ〜

こんにちは、丘紫真璃です。今回は、長編ファンタジーの傑作中の傑作『ナルニア国物語』を取り上げてみたいと思います。

『ナルニア国物語』は映画にもなりましたので、ご存知の方も多いと思います。この本の著者C.Sルイスは、著名な文学者であり、またキリスト教の信徒伝道者であったことから、ナルニア国の話も、キリスト教がもとになっているということが一般的に言われております。

事実、キリスト教と深い関係を持つ話だとは思うのですが、宗教というものは、キリスト教であれ、ヒンドゥー教であれ、仏教であれ、どれも皆、普遍的に同じ真実を語っているものではないかと、私はそんな風に思うのです。そして、同じ真実を『ヨガ・スートラ』の中でも、パタンジャリが繰り返し語っています。

このように書くと、『ナルニア国物語』が宗教的で説教くさい話のようだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、とんでもない!そんなことは全然ありません。

私は、この物語が子どもの頃に大好きで、何度も読みましたけれども、宗教などには一切関係なく、ただひたすらワクワクしながら読みました。大人のみなさんにも、純粋な物語として、十分楽しんでいただけると思います。

さて、前置きばかり長くなりましたが、早速『ナルニア国物語』の世界を、のぞきにいきましょう!

ヨガの真理に通じる、長編ファンタジー小説『ナルニア国物語』

ナルニア国物語とは、1950年~1956年にイギリスで発表された7冊の長編ファンタジー小説です。出版順に並べますと、以下の7冊になります。

  • 『ライオンと魔女』(1950年)
  • 『カスピアン王子のつのぶえ』(1951年)
  • 『朝びらき丸 東の海へ』(1952年)
  • 『銀のいす』(1953年)
  • 『馬と少年』(1954年)
  • 『魔術師のおい』(1955年)
  • 『さいごの戦い』(1956年)

著者のC.Sルイスは、この本を書いたのは自分の楽しみのためだと言っており、次のように語っています。

「子どものための物語こそ、私の言わなければならない事がらにとって、最良の芸術形式だから」

ルイスが書いた子どものための本は『ナルニア国物語』だけでしたが、これが彼の最も有名な作品となりました。

地球とは別世界にある魔法の国ナルニア

『ナルニア国物語』は、一冊一冊が、それぞれ面白くまとまった物語になっています。けれども、7冊全部を読み通した時、それらが、ナルニア誕生から、ナルニアが滅びる時までを語っている大きな歴史の流れになっていることが、よくわかります。

ナルニアは、地球とは別世界にある不思議の国です。そこには、ものいうけものがおり、フォーンやセント―ルが暮らし、歩く木々や川の精なども住んでいます。地球とナルニアは、流れている時間も違います。

ナルニアで百年暮しても、地球に戻れば出かけた日と同じだったり、地球で一週間過ごしてから、ナルニアへ戻ると、ナルニアでは千年もたっていたりするのです。

そんなナルニアに、魔法の力で連れてこられたイギリスの少年少女たちが、これらの本の主な主人公になります。子ども達は、ナルニアで悪い魔女と戦ったり、大航海に出かけたり、地下に囚われた王子を探しに出かけたりといった大冒険を繰り広げていくのです。

少年少女たちに生きる本質を体感させた、偉大なライオン王アスラン

少年少女たちに生きる本質を体感させた、偉大なライオン王アスラン
偉大なライオン王アスラン

この『ナルニア国物語』で、最も重要な登場人物はアスランです。どの本にも必ず登場してきますし、ナルニアの全ての物語にかかわっているといってもいいくらい、とにかく偉大な人物なのです。

人物といいましたが、アスランは人ではありません。ライオンです。大変偉大なライオンです。何しろ、ナルニアをそもそもつくったのは、このアスランなのですから。アスランが魔法の歌を歌って、ナルニアの木々や、花や、星や、けものたちをこしらえていったのです。

アスランについて、物語の中ではこんな風に書かれています。

ナルニアにいったことのないひとにとっては、あくまで善人でありながら同時にすさまじいおそろしさをそなえたひとというものは考えられません。

子どもたちにしても、そんなひとがいるときかされれば、まるで信じなかったでしょうけれども、このアスランを見ては、いやでもそのことをさとらないわけにいきますまい。

子どもたちはアスランの顔を見ようとして、ただ黄金色のたてがみと、何者をもうちひしぐような威厳のある王者の目を、ちらりとあおぎ見たばかりで、あとは、アスランを見つめることもできずに、わなわなとふるえてしまったのでした。

ー 『ライオンと魔女』より[1]

けれども、同時にアスランのそばにいると、おだやかな気持ちにもなるのです。

アスランの声音は、ふかく、朗々としていて、みんなのそわつきをはらうはたらきがありました。

一同は、よろこばしくなると同時に、すっかりおだやかになりました。

アスランの前に立って、何もいわないでいても、落ちつかない感じはありませんでした。

ー 『ライオンと魔女』より[1]

恐ろしく美しく、同時にそばにいるだけで喜ばしく、穏やかになれるという偉大すぎるアスランですが、ナルニアの民達は、昔からこんな歌を歌っているんだそうです。

アスランきたれば あやまち正され
 アスラン吼ゆれば かなしみ消ゆる

ー 『ライオンと魔女』より[1]

イギリスの少年少女を、魔法の力でナルニアに呼び寄せるのは、いつも大抵、アスランです。アスランが、彼らを数々の冒険に送り出します。

冒険を通じて高い視点の生きかたを芯からつかむ

子ども達がナルニアで繰り広げる冒険は、ハラハラドキドキどころのレベルではありません。命がけの大冒険を息つくひまもなく、次々に繰り広げていくのですが、この冒険のスリルが『ナルニア物語』の面白さの大きなポイントの一つだといえるでしょう。

その冒険の内容をごく簡単に少しだけご紹介してみましょう。

『ライオンと魔女』

ピーターとスーザン、エドマンド、ルーシィという四人兄弟が、白い魔女と渡り合います。ナルニアを支配している白い魔女は、世界を常に冬にしています。

(そのくせ、決してクリスマスはやってきません)

そんな悪い魔女と、ピーター達は、剣と剣で渡り合う命がけの戦いを行います。

『カスピアン王子のつのぶえ』

おなじくピーターとスーザン、エドマンド、ルーシィの四人兄弟がナルニアにやってきます。ただし、前回四人がナルニアに行った時から、数百年の月日が流れていました。

(ピーター達の暮すイギリスでは一年しかたっていませんでした)

四人は、今度はカスピアン王子と共に悪い王と戦い、ナルニアを元通りによみがえらせます。

『朝びらき丸 東の海へ』

エドマンドとルーシィ、それにいとこのユースチスが、少年王となったカスピアンの船に乗り合わせます。カスピアンは、行方不明の七卿を探しに東の海へ大航海に乗り出していくところでした。

エドマンド達はその航海に加わり、どれい商人に売り飛ばされたり、竜に変えられたりといったドキドキの冒険を体験します。

『銀のいす』

ユースチスと友人のジルが、地下の国に囚われたナルニアの王子を救い出すために、巨人の国を通って冒険をします。

『魔術師のおい』

ナルニア創生時の物語です。ナルニアをアスランが作っていくさまを、ディコリーという少年とポリーという少女が見守ります。

そして、この子達がうっかり人間界から悪の種を持ち込んでしまったので、そのつぐないをするために、ディコリー達は、天馬に乗って遠いリンゴを取りに行く冒険を行います。

こうした壮大な大冒険を通して、子ども達は大事なものをつかみます。ナルニアの物語は、キリスト教に影響されて作られた話だと言われますけれども、子ども達がつかみとるのは、宗教を超えた大切なものです。

『ヨガ・スートラ』の中で、ヤマとニヤマといった八支則が語られますよね。

八支則は、正直であれとか、盗みをするななどといった、ヨガをする人もしない人も心得ておきたい、生きるための基本事項のようなものですが、普通の人は頭でわかっていても、なかなか実行にうつせません。

けれども、子ども達はナルニアの冒険を通して、そういった大事な事を芯からしっかりとつかみます。

私がこんな風に書くと、やっぱりナルニアの物語はお説教くさいのかな?と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、ナルニアの本を広げて読む時、そんな説教じみたことは、チラリとも頭に浮かびません。

ナルニアの楽しいけものたちやフォーン達の暮す愉快な世界、そしてまた恐ろしい敵もやってくるスリルに満ちた世界が鮮やかに展開してゆき、読者はピーター達とひたすら面白く、ひたすらワクワクするナルニアの時間を過ごすことができます。

そして、ピーター達と共に冒険を体験した後、読者の私達もまた、自然に何か大事なものを感じ取っているのです。

冒険を通じて高い視点の生きかたを芯からつかむ
自然に何か大事なものを感じ取っている子ども達

ナルニアの冒険を終えた子ども達は、大事なものをつかみとって成長し、自分達の住むイギリスに戻っていきます。

〜すべてはよいのだ〜 その真実を生きはじめた子ども達

ナルニアで活躍する子ども達は、自分達の世界では、どこか傷ついた子達ばかりです。戦争中であったり、病気で死にそうなお母さんがいたり、学校でいじめられたりしています。

けれども冒険を終えて、アスランによってまたイギリスに返される時、子ども達は、こう思うのです。

子どもたちは、ライオンが話しているあいだ、ずっとその顔を見あげていました。

するととつぜん(どういうぐあいにそうなったのか、子どもたちにはよくわかりませんでしたが)その顔がさかまく黄金の海のように見え、子どもたちはその海をただよっているのでした。そしてえもいわれぬこころよさと力とが波のようにふたりに押し寄せ、ふたりをまきこみました。

その波にひたった子どもたちは、これにくらべれば、これまではほんとうにしあわせでも、かしこくも、正しくもなかったように感じられました。それどころか、これまでのところ生きていた、目がさめていたとさえ、いえない気がしたのです。

そしてその瞬間の思い出は、いつまでもふたりの心にとどまりましたから、ふたりの生きているかぎり、悲しみや心配や腹だちがあっても、この時の黄金色のさいわいのことを思いだし、それがいつもそこに、すぐ近くに、その横丁に、そのドアのうしろにあると感ずると、心の奥のどこかに、すべてはよいのだとかたく信ずるようになったのでした。

ー 『魔術師のおい』より[1]

こうした冒険を体験してきた子ども達は強く、優しくなっています。ナルニアで王になる体験をしたピーターとエドマンドなどは、王であり勇士であるおもかげさえ、そなえるようになります。

そんな彼らは最終巻で『ナルニア国物語』の最後に立ち会い、衝撃的なラストを迎えます。その様は、カーネギー賞を受賞した『さいごの戦い』でくわしく語られるのですが、これはヨガの世界観とも深くかかわってくる素晴らしいラストともいえるのです。

そのラストについては次回の「ヨガと文学探訪」で、くわしくお話することにしましょう!

では、次回もナルニア国の冒険、お楽しみに!

参考資料

  1. C.S.ルイス著、瀬田貞二訳『ライオンと魔女』岩波少年文庫、1985年
  2. C.S.ルイス著、瀬田貞二訳『魔術師のおい』岩波少年文庫、1986年